第一部 第五章 異世界転生?(五)
休日の朝。
目覚ましよりも早く、スマホの振動で悠斗は目を覚ました。画面に表示されていたのは、短い一文。
『家に来て』
「……はいはい」
こんなメッセージを送ってくる相手は、一人しかいない。
結月だ。
軽く返信を送り、身支度を整える。着替えを終えた、その時だった。
「……え?」
自分の身体が、淡く光り始めた。次の瞬間、視界が真っ白になる。
二度目の感覚だった。
(また、か――)
視界が戻ると、目の前に立っていたのは見覚えのある少女。
「セレフィナ?」
その瞬間、頭痛、目眩、耳鳴りが一気に押し寄せた。
「っ……!」
思わず膝をつく悠斗に、セレフィナが駆け寄る。
「ユート、大丈夫ですか?」
「ユート、無事かー!」
「ユート様!」
聞き慣れた声が重なり、数秒後、痛みは嘘のように引いていった。
異世界に来るたびに起きる、あの現象だ。
「……もう大丈夫」
「よかった……。この前は急に消えてしまわれたので、心配しておりました」
「ああ、元の世界に戻ったんだ。どうやら、自動で戻るみたいでさ」
「そうでしたか。お父様も、ユートと話がしたかったと言っておられましたわ」
「ははは……」
ぎこちない笑いを返しつつ、しばし再会を喜ぶ。
だが、悠斗はすぐに本題を切り出した。
「それで……今回は何を召喚してたんだ?」
「え?」
「セレフィナ、忘れないでよ。薬草だよ、薬草」
「あ、そうでした。お兄様が遠征に行くため、薬草の準備が必要でして」
「じゃあ、また宝物殿?」
「いいえ。お城の裏山にある保管庫です」
その時、召喚の間の扉が開いた。
入ってきたのは、若いが確かな威厳をまとった男。騎士とはまた違う、鋭さを感じさせる存在だった。
「セレフィナ、薬草は届いたか?……ん? 君は……もしかして、ユートか?」
「え?」
「紹介します。兄です」
「短すぎるよ~」
「ふっ。私はレオネル・アロウディム。セレフィナの兄だ。よろしく、ユート」
陽光を思わせる明るい茶髪に、澄んだ青い瞳。鍛え抜かれた体を騎士団長の鎧に包み、紅と蒼のマントを翻す。人懐こい笑みを浮かべる、最前線に立つ若き王子だ。
「……佐藤悠斗です。よろしくお願いします」
「お兄様。薬草はまだです。召喚したところ、再びユートが来られて……」
「そうか。今度の遠征は少々危険でな。本当は万全を期したかったが、明日までは待てんな」
(……今、死亡フラグ立てなかったか?)
「あの……裏山ですよね? 薬草があるのは。取りに行けば――」
(はっ!? 王子様に何言ってんだ俺!?)
「その道は、術師でなければ辿れない難所があるのだ。だが、術師の体力では丸一日かかる」
「術師、ですか?」
悠斗が視線を向けると、セレフィナは静かに頷いた。
「保管庫は魔力の壁で覆われており、人の魔力を拒絶してしまうのです。術師が解除しなければ入ることはできません。しかし……」
今度は、彼女の視線が悠斗に向けられる。
「……魔力がない俺なら、すり抜けられる?」
「はい。きっと、このタイミングでユートが来たということは……そういうことです」
(雑用感が、半端ないな……)
悠斗は心の中で、そう呟いた。
今回は、従者エリオットと精霊ルクル、そして悠斗の三人で保管庫へ向かうことになった。
体力に不安のあるセレフィナは城で待つ予定だったが、保険として数名と共に後から来るらしい。
「じゃあ、行くか。エリオット、案内よろしく」
「はい、ユート様。こちらです」
「ちょっとちょっと、僕も忘れないでよ〜」
軽い足取りでルクルが宙を漂う。
「羨ましいですわ。裏山だけに」
セレフィナがぼそっと呟く。
「(この世界にもダジャレ文化あるんだ……)」
裏山はきちんと整備されており、道自体は歩きやすい。
だが、遠くに見える保管庫はやや高所にあり、確かに体力のない術師には厳しそうだった。
悠斗はちらりと後発組を振り返る。
セレフィナのペースに合わせているため、すでにかなり距離が開いていた。
「エリオット、少し急ごう。俺はペース上げられる。セレフィナが辛そうだから」
「はい。それでは、こちらへ」
…………
…………
「……おかしいな」
しばらく歩いて、悠斗は首をかしげた。
「保管庫、ずっと見えてるよな? なのに全然近づいてる気がしないんだけど」
「え? そ、そうですか? 道は合っているはずですが……」
「エリオット、汗すごいぞ」
「ファイトー」
「で、では今度こそ、こちらです!」
…………
…………
「……おい」
「は、はい?」
背後から聞こえた声に、悠斗は振り返った。
「あら、ユート?」
「……なんで後発組に追いつかれてるんだよ」
エリオットが目に見えてしょんぼりする。
「も、申し訳ございません……」
「エリオット、ここ、いつも迷いますものね」
「それ先に言って!? じゃあ交代だ。そこの騎士さん、案内お願い」
「しゅん……」
「次は頑張りましょう」
「ドンマイドンマイ〜」
…………
…………
「……なあ」
あっさり目的地に辿り着いた悠斗は、薬草を手に取って呟いた。
「エリオットがいなきゃ、こんなに簡単だったのか。薬草、ゲットだぜ」
ふと視線を向けると、遠くで後発組が同じ場所をぐるぐる回っている。
「……なんでまたエリオットに案内させてるんだよ」
悠斗は深く、ため息をついた。
城へ戻ると、悠斗はそのまま王子レオネルの元へ案内された。
差し出したのは、裏山の保管庫にあった薬草だ。
「レオネル様、こちらで間違いないですね?」
「……ああ。こんな短時間で持ち帰るとは」
レオネルは目を細め、感心したように頷く。
「聞いていた通りの英雄だな、ユートは」
「いやいや、そんなんじゃないですよ」
ちょうどその時、遅れて後発組も城に戻ってきた。
「お兄様、もう行かれるのですね?」
セレフィナが声をかける。
「ああ。前線基地も今が耐え時だ。ここを凌いで、反撃の機会に備えなければならない」
そう言って、レオネルは微笑んだ。
「セレフィナの生誕祭には、必ず戻るよ」
(……さらっと死亡フラグ立てなかったか、この人?)
「はい。お待ちしております。お兄様、ご武運を」
穏やかなやり取りの、その直後だった。
――悠斗の身体が、淡く光り出す。
「……え?」
視線が集まる。
「セレフィナ!! 俺、元の世界に戻るみたい!!」
一瞬の逡巡の後、悠斗は笑った。
「……またな」
「ユート!!」
セレフィナは一歩踏み出し、そして――
「……はい。また」
その言葉を最後に、悠斗の姿は光の中へと溶けていった。
しかし、不思議と不安はなかった。
再会できたのだ。ならば、また会える。
…………
…………
視界が白から戻る。
気づけば、悠斗はスマホを握って立っていた。
「……あ」
画面にはメッセージ。
『家に来て』
「そうだった。結月が待ってるんだ」
時刻を見る。
着信から、ほんの数分しか経っていない。
(準備にかけた時間くらいしか経ってない、か……)
やはり、あちらの世界で過ごした時間は、こちらでは“無かったこと”になっているらしい。
「……そんなもんか」
深く考えるのをやめ、悠斗は結月の家へ向かった。
「結月ー!! 来たぞー!!」
呼び鈴を押しても反応はない。
大声で呼んでも、静まり返ったまま。
「留守? でも『家に来て』って……」
その時、玄関の扉がゆっくりと開いた。
「ゆーくん……ごめんね」
赤い顔をした結月が、部屋着のまま立っていた。
「結月? 体調悪いのか?」
「うん……今日はお母さんもいなくて。それでね、ゆーくん」
「ん?」
結月は少し言いづらそうに視線を逸らす。
「……薬、買ってきてほしいの」
「お前もかーい!!」
悠斗のツッコミが、夕方の住宅街に響いた。
あれから――
悠斗は、何度も呼ばれることになった。
…………
「ユート!!」
「セレフィナ? ……またか?」
「私の生誕祭に使う食器が足りなくて……」
「はいはい」
…………
「ユート!」
「……今度は何だ?」
「生誕祭のお料理の食材が……」
「おう」
…………
…………
「ユート、ドレスの仕立てで……」
「お前……」
「?」
「召喚しといて雑用か!!」
「ふふっ」
軽やかな笑い声に、振り返る。
「ずいぶんと賑やかだな、セレフィナ」
「お兄様?」
そこには、いつの間にか戻ってきていたレオネルの姿があった。
「ユート、君も生誕祭に呼ばれたのか?」
「え、生誕祭って……今日なんですか?」
「はい、ユート。……それにしても、お兄様、いつ戻られたのですか?」
「今朝早くだな。間に合ってよかった」
(死亡フラグ王子、生きてたんだな……)
結局、その日はドレスの仕立てを後回しにした。目的を果たさなければ戻らない、そう思ったからだ。案の定、悠斗は現代に戻されることなく――生誕祭に参加していた。
(……都合よすぎないか、この能力)
豪華なドレスに身を包んだセレフィナは、いつもより少し大人びて見えた。
(まあ、たまにはこんなご褒美があってもいいよな)
盛大な祝宴。
笑顔のセレフィナ。
そして、自然とその場にいる自分。
やがて、悠斗は静かに現代へと戻っていった。
…………
…………
戻ってきた後も、不思議と余韻が残っていた。
満たされた空気。
セレフィナとの、心地よい距離感。
人の顔色を気にして、距離を測って生きてきたはずなのに。
彼女の前では、それを意識する必要がなかった。
「……結月に、似てるんだよな」
ふと、そんなことを思う。
「食べ過ぎたな……今日は俺はいいか」
冷蔵庫を開きながら、悠斗は呟いた。
「でも、悠宇の分は用意しとくか」
そうして――
日常と非日常だった二つの世界は、少しずつ境目を失い。
いつの間にか、どちらも“日常”になっていった。




