第一部 第三章 異世界転生?(三)
悠斗は改めて周囲を見渡した。
立派な城の一室。天井は高く、装飾は控えめながらも品がある。庭側は大きく開かれていて、外の景色がそのまま絵画のように切り取られていた。
視線の先には庭。
――確かに広い。噴水があり、手入れの行き届いた芝生が広がっている。だが。
その庭の端に見える、小さな建物。
宝物殿。
距離にして、せいぜい目と鼻の先。
歩いて一分、いや三十秒もかからないだろう。
「……何で直接取りに行かないの?」
思わず、そんな疑問が口をついて出た。
「城壁の内側なら安全なんだよね? だったら、普通に取りに行けばいいじゃん」
セレフィナは一瞬、言葉に詰まったように視線を伏せる。さっきまでの柔らかい雰囲気とは違い、どこか神妙な面持ちになった。
「それが……出来ないんです」
悠斗は黙って次の言葉を待った。
「防御結界は、敵国だけでなく……私たち自身にも影響を与えます。結界の内側に入ると……」
(ごくっ)
無意識に喉を鳴らす悠斗。
「……ムズムズ、するんです」
「……は?」
「身体が、ムズムズするんです」
「……へ? ムズムズ?」
悠斗の困惑をよそに、ジィが咳払いを一つして説明を引き継いだ。
「防御結界の内部は、体内の魔力に常時負荷をかける構造になっておりましてな。容易に立ち入れるものではありませぬ。特に――」
ちらり、とセレフィナを見る。
「魔力の多い者ほど、その影響は大きい」
「ムズムズ、するんです」
「わかったよ!!」
悠斗は思わず声を張り上げた。
「王女さまがムズムズムズムズ言うな!!」
「いやん」
セレフィナは頬に手を当て、ほんのりと頬を赤らめた。
――緩い。
この国、わりと緩い。
悠斗は、半信半疑のまま庭の方へと歩き出した。
防御結界がどうとか、ムズムズするとか言われても、正直なところ実感はない。
普通に歩けるし、身体に異変も感じなかった。
その背中に、慌てた声が飛ぶ。
「ユート、危ないです!」
振り返るよりも早く、足音が近づいてきた。
「姫さま、危険です!」
「走れ走れー!!」
精霊の無責任な声が響いた直後――
「きゃっ!」
エリオットの足がもつれ、派手に転んだ。
その勢いのままセレフィナも巻き込まれ、結果として――
「うわっ!?」
三人まとめて、庭の芝生に転がり込んだ。
「だーっ!! いててて……なんだよもう!」
文句を言いかけた悠斗は、数秒ほど完全に固まった。
――近い。
というより、抱き締めている。
腕の中に、セレフィナがいた。
「……」
思考停止する悠斗の耳に、小さな声が届く。
「……ム、ムズムズします……」
セレフィナが身じろぎし、頬を赤らめる。
一方でエリオットは、
「う、うぅ……身体が……重い……」
魔力への負荷が、まるで重力に変わったかのようにのしかかり、立ち上がることもできずにいた。どうやら個人差があるようだ。
精霊はというと、
「ふふふー」
完全に面白がっている。
城の方では、ジィがオロオロと右往左往している。
「セ、セレフィナさま……だ、大丈夫ですか?」
悠斗は慌てて腕を緩めながらも、セレフィナの様子を気にかける。
「ムズムズしますが……召喚の儀式の後なので……これなら……」
「申し訳ございません、姫さま……私の不注意で……」
悠斗は自分の身体を見下ろした。
「あれ?俺は、何ともないぞ」
「……え?」
セレフィナが、きょとんと目を瞬かせる。
その様子を見て、ジィが一歩前に出た。
先ほどまでのオロオロした姿は身を潜め、威厳を取り戻したようにキリッとしている。
「ユート殿……まさかとは思うが……」
じっと悠斗を見つめ、
「体内の魔力が……少ないのではないのか? いや……」
一瞬、言葉を飲み込む。
「……ない、のか?」
それは、この世界ではあり得ない仮説だった。
人の召喚に続く、あり得ない現象の連続。
ジィは何かを感じ取ったように、深く息を吐く。
「……ユート殿、お願いがある」
真剣な眼差しで、悠斗を見た。
「宝物殿から、結界石を持ってきてくだされ」
「え? まぁ、それはいいけどさ」
悠斗は日常の癖で引き受けてしまう。
「どれが結界石か、俺には分かんないぞ?」
「それならば――」
セレフィナが一歩前に出る。
「私もご一緒します。……ムズムズしますが」
「がんばれー」
「姫さまが行くなら、わ、私も……」
立つだけで精一杯な従者。
「分かったよ」
悠斗は肩をすくめた。
「すぐそこなんだろ? 行けるか、セレフィナさま」
「は、はい……」
少し顔を赤らめながら、王女は頷いた。
こうして、悠斗とセレフィナ――
おまけでエリオット、ルクルの奇妙な一団が、オロオロするジィが見つめる中、宝物殿へ向かうことになった。
距離は100m程の距離、時間にしてたった一分程度。
だが現実は、
十歩進んでは、セレフィナがムズムズし。
そのたびに立ち止まり。
エリオットは地面を這い。
ルクルは応援し。
ジィはオロオロする。
その光景を見ながら、悠斗は確信した。
「……緩いな」
「ユートは、緩くなったのですか?」
「違うわ!!」
そんなこんなで宝物殿に到着し、結界石は無事に回収された。
なお、帰り道も同じ茶番劇が繰り広げられたが――
それは、割愛しよう。
召喚の儀式の間へ戻ると、セレフィナとエリオットは床に座り込んだまま、荒い息を整えていた。
悠斗は手にしていた結界石を、ジィへ差し出す。
「これで……この国は大丈夫なんだよな?」
「うむ。我が国の存亡の危機は、ひとまず乗り越えられましょう」
「そんな大げさな……」
悠斗にとっては、家の庭にある倉庫まで石を取りに行った程度の感覚だった。
そのとき、重々しい音を立てて、儀式の間の扉が開く。
「セレフィナよ、上手くいったか――ん?」
横たわる王女と従者の姿に、国王は眉をひそめ、大臣へ視線を向けた。
「召喚の儀で消耗したのか?して、結界石は?」
「はっ。結界石は、こちらに」
大臣が結界石を示すと、国王は満足げにうなずく。
「ふむ……流石は我が娘」
そして、今になって悠斗の存在に気づいた。
「……ん? 君は、誰だ?」
「えっ? あ、セレフィナさまが娘ってことは……王さま!?」
反射的に膝をつく。アニメで見たような所作を必死に真似たが、正しいかどうかは分からない。
とにかく、無礼だけは避けたかった。
「王よ。この者こそ、我が国の存亡の危機を救った英雄にございます」
「ち、違う! いえ、違います! 本当にたまたまで……」
召喚から結界石奪還までの経緯を簡単に説明すると、国王は静かに耳を傾け、やがて穏やかに笑った。
「なるほど。感謝しよう、若者よ」
労いの言葉を残し、国王は結界石を手にして儀式の間を後にした。
その場に残された悠斗は、状況についていけないまま、ただ立ち尽くしていた。
国王レオニス・アロウディム。金の王冠をいただいた、壮年の王。短く整えた黒髪と口髭。赤と紺の外套に鎧を重ね、腰の剣に手を添えて立つ――それだけで「王」とわかる男だった。
その器の大きさに完全に気圧された悠斗は、力が抜けたように床へ座り込んだ。
先ほどまで横たわっていたセレフィナとエリオットは、徐々に回復した様子で立ち上がり、悠斗の前に並ぶ。
「ユート、ありがとう」
まっすぐな瞳で、セレフィナは微笑んだ。
「本来の役目とは、少し違う形になってしまいましたが……それでも、ユートと出会えて良かったわ」
「俺も、役に立てたなら嬉しいよ。セレフィナさま」
「……その“さま”は、付けないでください」
「え?」
思わずジィとエリオットの方を見ると、二人とも無言でうなずいている。
「セレフィナ、友達が出来たね〜」
「ルクル。英雄さまに向かって、お友達だなんて……」
「え、英雄はちょっと、うん、友達、い、いいだろ? 友達で。セレフィナ……」
呼び捨てにした瞬間、セレフィナはわずかに頬を赤らめた。
そのときだった。
城全体が、低く震える。
国王レオニスが持ち去った結界石が、起動したのだろう。
「……あ、これは」
言いかけた瞬間、悠斗の身体が淡く光を帯びる。
次の瞬間。
セレフィナの目の前から、悠斗の姿が、音もなく消え去った。




