第三部 第三十四章 消えた繋がり?(二)
残された空間が、二つ。揺らぐ境界の先に、待つのは――二人。
足が、重い。大切な人のために、大切な人との繋がりを絶つ。決意を持ってしても、その足取りは重くなっていく。
だが止まれない。前に進むしかない。
「……ここは、湖?」
視界が開ける。
見覚えのある水面。ノアと調査した、あの湖。
「あら?悠斗。私が影から出さなくても、ここに来られたのね」
相変わらず、状況を即座に受け入れる冷静さ。水質調査の最中だったのか、ノアの全身が水に濡れてキラキラと輝いて見えた。
ノアはすぐに悠斗の違和感に気づいた。
「何か、あったの?」
「……やっぱり、隠せないか」
深く息を吐く。
ポケットから、一枚のコインを取り出した。
古びた金属。見慣れた刻印。
「これと同じコイン、持ってないか?」
ノアは受け取らず、目だけでじっと観察する。
やがて、小さくため息。
「似たようなコインなら、たくさんあるわ」
「たくさん!?」
「影の中に、山ほど」
「いや、似てるじゃなくて……全く同じコインだ。たぶん、ノアは持ってるはずなんだ」
「全く同じ……?」
露骨に面倒そうな顔をする。
そして観念したように肩を落とした。
「……手伝って」
地面にシートを広げる。
次の瞬間。
ざらざらざら――。
影から溢れ出す、無数のコイン。
「ちょっ……何枚あるんだよ!?」
「一万枚はあるんじゃない?」
「い!? 一万!?」
金属音が湖畔に響く。
コイン、コイン、コイン。
悠斗は自分の一枚と見比べながら、次々に弾いていく。
「違う。これも違う。これも……」
額に汗。
指先が金属で冷える。
「これも違――あっ!!」
「見つかった?」
「ち、違う! 俺の落としそうになった!」
慌てて拾い上げ、胸を撫で下ろす。
「あぶねぇ……」
この一枚だけは、失えない。
空間を繋ぐ鍵。
時代を越える証。
無数のコインの海の中で、悠斗の鼓動だけがやけに大きく響いていた。
ノアもまた、コインを一枚ずつ並べては、悠斗のそれと見比べ、違えば弾いていく。
悠斗のコインは、ノアが取り出した小さなケースに収めた。混ざらないように、慎重に。
「違うわね。これも……これも」
「違う。違う、違う……」
金属音だけが、湖畔に乾いたリズムを刻む。
やがて空気は、かつてノアの部屋でパーツを整理していた時と同じものになっていた。
言葉は少ない。
だが、居心地は悪くない。
むしろ、心が落ち着く。
だからこそ――悠斗の胸は重くなる。
(見つかってほしい。でも……見つかってほしくない)
矛盾した感情が、静かに絡み合う。
そして。
「……これじゃないかしら?」
彼女が拾い上げた一枚。
悠斗の鼓動が止まりかける。
「……同じ、だな」
刻印も、形も、完全に一致している。
「そう」
ノアはそれを、悠斗のコインと同じ様にケースにそっと入れた。
区別するように。
「で?」
静かな問い。
「……うん」
さっきまでの穏やかさが、嘘のように消える。
言わなければ。
「そのコインは……俺のコインと引きつけ合っている。それで、俺たちは今、会えてる」
「うん」
「俺は今、それを集めてるんだ。大切な人のために」
「……大切な人」
「でも、ノアのコインを受け取ったら……たぶん、もう……」
「会えなくなる、ってことね」
淡々と、だが優しく。
「あなたらしい悩みね。ここに来た時点で、気持ちは決まっているのに」
「……」
「前の優しいだけのあなたなら、失うのが怖くてどちらも選べない。私はあなたに……甘い……って言ったかも。でも」
ノアは悠斗を真っ直ぐ見る。
「今の悠斗は違う。その目に、決意がある」
揺れている。
だが、折れてはいない。
「躊躇っているけど、進む覚悟はできている」
そして、微笑む。優しく。包み込むように。
湖面が揺れる。
風が、二人の間を通り抜けた。
――残り一つの空間。
悠斗は、胸の奥に溜まった重さを噛みしめていた。
真実を語ることの、痛み。
子どもの頃は、思ったことをそのまま口にしていた。
けれど返ってきたのは「妄想癖」「虚言癖」という言葉だった。
それでも嘘はつけなかった。嘘をつく事に抵抗を感じていたから。だが、真実を語る怖さも知っていた。
唯一、真実を真実として受け止めてくれたのは結月だけ。
今――
その“真実”を語ることに、以前とは違う怖さを感じていた。
最後の一人。
待っているのは、セレフィナ。
「……行こう」
悠斗は歩き出した。
扉の先に広がっていたのは、広いがどこか温もりのある部屋。
可愛らしい小物が並び、大きめのベッドが一つ。
そしてそこに、違和感なく収まる一人の少女。
「あら?ユート?」
「え……ここって……まさか」
「私の部屋ですよ?」
無邪気に微笑むセレフィナ。
その姿は――スウェット姿だった。
「その格好は……」
「部屋着ですわ」
城の王女らしからぬ、ゆったりとした服装。
けれど、不思議とよく似合っている。
「そろそろ着替えなければね。ユートもお着替えですわ」
取り出されたのは、以前仕立てた悠斗用の礼装。
「あ……ってことは、今日は」
「えぇ。お兄様の結婚式ですわ。これからユートを呼ぼうとしておりましたのよ」
満面の笑み。
「そうか……結婚式、か。あの王子様、無敵かよ」
死亡フラグを立てる王子。そのフラグをことごとく打ち破る王子。
重く沈んでいた心が、少しだけ軽くなる。
「結婚式に出てからでも……いいよな」
小さく呟く。
結月の顔を思い浮かべながら。
「さぁ、着替えましょう」
そう言って、セレフィナは何の躊躇もなくスウェットに手をかける。
「ちょ、セレフィナ!? 待て待て待て!!」
「?」
「ダメだ!! 俺は外に出るから!!」
慌てて背を向けた瞬間。
バタンッ!
「姫さま!? 何事――え? ユート様!?」
エリオットが部屋に飛び込んできた。
目の前には、
スウェットを脱ごうとするセレフィナと、必死に視線を逸らす悠斗。
エリオットは即座に両手で顔を覆う。
「こ、これは……!」
だが。
指の隙間は、がっつり開いていた。
「見てるだろお前!!」
「い、いえ決して!! 騎士として確認を――!」
「すんな!!」
セレフィナはきょとんと首を傾げる。
「どうして外に出るのですか?」
「普通は出るんだよ!!」
王女の部屋。
着替え。
護衛騎士。
状況だけ見れば、完全に処刑案件だった。
無事――本当に無事かはさておき――着替えを終えた二人は、王子レオネルの控室へと向かった。
「ユート。よく来てくれた。嬉しいよ」
華やかな礼装に身を包んだ新郎は、忙しさの中でも穏やかな笑みを浮かべる。
「この度は、おめでとうございます」
「お兄様、とても立派でございます」
「ありがとう」
短い挨拶だけでも、王子の周囲には人が絶えない。祝辞、確認、最終調整。次々と声が飛び交う。
やがて式場へ。
すでに多くの来賓が集まり、豪奢な装飾が煌めいていた。
現代の結婚式とは違い、各国の重鎮たちの視線は祝福だけでなく、思惑も帯びている。
政略。均衡。未来への布石。
王族の結婚式とは、そういうものだ。
セレフィナの隣に立つ悠斗へ、勘違いした貴族が話しかけてくる場面もあったが――
「申し訳ありません。その件は私が承りますわ」
にこやかに、しかし隙なく、セレフィナが捌く。
「……流石だな」
「当然ですわ」
胸を張る姿に、悠斗は小さく笑った。
「凄い豪華だな」
「お兄様の存在は、アロウディムの未来そのものですから」
(物語が漫画で残るくらいだ。史実でも屈指の英雄なんだろうな)
「私も、いつか……」
セレフィナは悠斗を見て、柔らかく微笑んだ。
その笑みに、胸が痛む。
(この後、俺は――)
「ユート、始まりますわ」
国王レオニス・アロウディムが王妃と共に入場し、会場が静まり返る。
続いて、新郎新婦の入場。
歓声と拍手が一斉に響いた。
祝福の光に包まれ、国の未来が約束されたかのような空気が広がる。
「レオネル様は、ずっと前に進んでいるな。迷いもなく戦場に立つんだろうな」
「そんなことはありませんわ」
「え?」
「お兄様も、出陣前は礼拝堂で長く祈りを捧げております」
「……そうなのか?」
「戦場で散った者の運命を、敵味方関係なく背負うと決めているのです。だから、負けられない、と」
「あの王子様が……」
「怖いのですよ。お兄様も」
その言葉に、悠斗は静かに息を吐く。
自分だけが迷い、怖がっていると思っていた。
だが違う。
皆、怖さを抱えて、それでも前へ進んでいる。
式はつつがなく終わった。
だが祝宴は続き、会場はなお賑わっている。
悠斗とセレフィナは、人混みを離れ、中庭へと向かった。
宝物殿のある、あの場所。
初めて召喚された時、ともに歩いた場所。
夜風が静かに吹く。
「セレフィナ」
「はい?」
祝宴の喧騒が遠くに聞こえる中、悠斗は真っ直ぐに彼女を見た。
「実は……今回ここに来た目的は、レオネル様の結婚式だけじゃない」
空気が変わる。
静まり返った中庭で。
悠斗の覚悟を込めた声は、確かに彼女へ届いていた。




