第一部 第二章 異世界転生?(二)
頭の奥を、鈍い痛みが締めつけていた。
脈打つような頭痛に加え、ぐらりと世界が傾く。耳鳴りがして、視界の端が白く滲んだ。
(……なんだ、これ)
悠斗は眉をひそめる。立ち上がろうとして、力が入らないことに気づいた。
(異世界転生の……影響、か?)
そんな都合のいい言葉が、自然と頭に浮かぶ。
説明不能な状況に放り込まれてから、まだそれほど時間は経っていないはずなのに、体の感覚だけがどこかズレている。
しばらくして、視界の白がゆっくりと引いていった。
――その瞬間。
「わぁ!!」
間近で上がった声に、悠斗は思わず身を強張らせた。
目の前にあったのは、少女の顔だった。
至近距離。驚きに見開かれた瞳と、こちらを覗き込むような姿勢。
(近っ……!?)
反射的に身を起こそうとして、ようやく自分の状況を理解する。
――膝枕、されている。
「っ!?」
悠斗は跳ね起きるように体を離し、慌てて距離を取った。
「ご、ごめん!」
とっさに謝罪が口をついて出る。理由はよく分からないが、何かとんでもないことをしてしまった気がした。
改めて周囲を見回す。
少し離れた位置に、緊張した面持ちの従者らしき人物。
白髪で穏やかな雰囲気をまとった、いかにも大臣然とした老人。
そして、儀式用のローブを着た術師らしき者が数名。
全員が、こちらを見ていた。
静まり返った空気の中で、悠斗はぽつりと呟く。
「……マジか?」
「大丈夫、ですか?」
目の前の少女――いや、先ほどから明らかに場の中心にいる人物が、柔らかな声で問いかけてくる。
だがその姿勢は、先ほどと変わらない。
正座のまま、である。
「あ、はい。あ、ありがとう、ご、ございます?」
条件反射で丁寧語が出たが、正直、自分が何に対して礼を言っているのかも曖昧だった。姿勢も少女に合わせて正座する。
少女は安心したように、ほっと息をつく。
「よかった……。では、改めて。
わたくしは、セレフィナ・エル・アロウディム。アロウディム王国の王女です」
正座をしたまま、きちんと名乗った。
その姿を、悠斗はぼんやりと眺める。光を編み込んだような、長いブロンドの髪が背中まで流れている。透き通るような青い瞳に、柔らかな微笑み。王女の証である小ぶりのティアラが、その気品をさりげなく際立たせていた。白と青を基調とした王室仕様のローブは、金の装飾が繊細に施され、揺れるたびに神聖な気配を纏う。手にした杖の蒼い宝珠が、静かに魔力を宿していた。可憐でおっとり。だがその佇まいは、確かに一国の姫だった。
(……まぶしい)
比喩ではなく、本気でそう思った。視線を向けているだけで、目が慣れない。
悠斗は、ふらりとよろめきながら名乗る。
「お、俺は……悠斗。佐藤悠斗、です」
「ユート、ですね」
セレフィナはゆっくりと頷き、穏やかな表情で続けた。
「あなたは、アロウディム国の人ですか?
それとも……別の国の人?」
「おそらく……べ、別の、世界から来たみたい、です」
言葉を選びながら、悠斗は続ける。
「俺の、いた世界では……このような場所は、存在しない、はずですから」
「!?」
セレフィナは目を見開いた。
「別の……世界?」
すぐに隣へ視線を向ける。
「ジィ、今の話、どう思いますか?」
呼ばれた白髪の老人――大臣は、顎に手を当て、ゆっくりと首を傾げた。
「召喚術が、世界そのものを飛び越えるという話は、聞いたことがありませんな。
ただ……」
一拍置き、穏やかな声で続ける。
「昔のおとぎ話には、似たような逸話が、確かにございます」
「じゃあ……」
セレフィナは、再び悠斗を見る。
その視線に耐えきれず、悠斗は別の疑問を口にした。
「あの、セレフィナ、さま?」
「はい?」
「なんで……ずっと、座ったまま、なんですか?」
一瞬の沈黙。
セレフィナは、少し困ったように笑った。
「あ、足が痺れてしまって、立てないの」
「……」
(緩い)
悠斗は、心の中でそう結論づけた。
セレフィナの足の痺れが完全に引くまで、という理由で、場は自然と身元確認の続きへと戻った。
セレフィナ自身は相変わらず床に座ったままだが、その表情はすっかり切り替わっている。
「確かに……ユートの着ている服装は、どこの国の民族衣装でも見たことがありませんね」
そう言って、改めて悠斗の全身を観察する。
「ジィは、どう思いますか?」
「私も存じ上げませんな、姫さま」
ジィは即答だった。
迷いがない分、その言葉には重みがある。
「となると……」
セレフィナは小さく頷き、次の質問を投げた。
「ユートは、武器をお持ちではありませんけれど……術師、ですか?」
「……え?」
思わず間の抜けた声が出る。
「武器? 術師?」
理解が追いつかず、悠斗は首を傾げた。
「?」
セレフィナも、同じように首を傾げる。
ほんの一瞬、場に同じ角度の疑問符が並んだ。
「いや、その……」
悠斗は頭を掻きながら、言葉を探す。
「俺の世界……というか、俺の住んでいる国では、争いがないから。基本的に、武器は持たないんだよ」
視線を泳がせつつ、付け足す。
「まぁ、一部には持ってる人もいるし……小さい争いは、あるかもだけど」
その言葉を聞いた瞬間、セレフィナの目が、ぱっと輝いた。
「争いが……ない?」
身を乗り出しそうになり、慌てて体勢を保つ。
「そんな世界が……本当に、あるのですか?」
興味津々。
隠そうともしていない好奇心が、きらきらと瞳に宿っている。
悠斗は、その反応に少し戸惑いながらも、正直に頷いた。
「全くないわけではないけど、少なくとも……俺の周囲では、ね」
セレフィナはしばらく言葉を失い、静かに息を呑んだ。
その横で、ジィが意味深に目を細める。
――この少年が語る世界は、あまりにも、この国とは違いすぎていた。
しばらくして、セレフィナはゆっくりと足に力を入れた。
「……もう、大丈夫そうね」
そう言って立ち上がる。
その視線の高さに合わせるように、床に座っていた悠斗も慌てて立ち上がった。
「忘れていましたわ。紹介します」
セレフィナは軽く手を振る。
「こちら、見ての通りのジィ。そして、従者のエリオット」
ずいぶんと簡潔な紹介だった。
「大臣を務めております、エルジーと申します」
白い口髭をたくわえた、小柄な老人。毛皮付きの紺の外套に金縁の法衣、手には杖。柔らかな笑みを浮かべる、どこにでもいそうな城仕えの老紳士だった。
「姫さまの従者をしております、エリオットです!」
赤茶色の髪を高めのポニーテールに結い、白いヘッドドレスを乗せた少女。白いブラウスに黒の編み上げコルセット、腰には剣。銀の鎧と赤いマントを羽織り、屈託のない笑みを浮かべている。どこにでもいそうな、明るい騎士見習いだった。
「よ、よろしくお願いします」
悠斗は反射的に深くお辞儀をした。
その動きに、一瞬遅れて。
「……む?」
「え、あ、はいっ」
ジィとエリオットも、つられるようにお辞儀をしてしまう。
ほんの一拍の沈黙。
空気が、わずかに緩んだ。
「セレフィナ」
その時、軽やかな声が割り込む。
「いつまでも遊んでないで、早く結界石を持っていかないと」
淡い光がふわりと浮かび上がり、小さな存在が宙を舞っていた。
「そうでした」
セレフィナははっとして振り向く。
「あ、こちらはルクルです」
またしても、短い。
「光の精霊のルクルだよ。よろしくねー」
ルクルはくるりと一回転して、色んな形に変わって見せた。どうやら魔力の塊らしく、変幻自在らしい。簡単に自己紹介を済ませた。
その様子を眺めながら、悠斗は場の空気を読む。
「……なんだか、忙しそうだし。俺は、ここから出た方が良さそうですね」
そう言って、一歩引こうとした瞬間。
「ダメです」
即答だった。
セレフィナは真剣な表情で、首を横に振る。
「今、我が国は戦争中なのです。防御結界を張っているので、外に出ることは出来ないのです」
言葉を切り、視線を落とす。
「ただ……結界が破られそうで、新たな結界石が必要なのです」
静かに、しかしはっきりと告げる。
「それを召喚するための儀式……でした」
悠斗は、改めて足元を見る。
床には、複雑な文様を描いた魔法陣のような模様。その周囲には、小さな石が規則正しく並べられていた。
「……儀式って」
喉が鳴る。
「俺が、ここに来た時の?」
「はい」
セレフィナは頷いた。
「本来は、物を運ぶ術です。人を運ぶものでは、ありません」
少し申し訳なさそうに、続ける。
「ですが……ユートが、来てしまいました」
その言葉に、悠斗はゆっくりと息を吐いた。
――どうやら、自分は本当に、巻き込まれてしまったらしい。
「その……結界石、ってやつがないと、ヤバいってことか」
悠斗は魔法陣から視線を上げ、王女を見る。
「じゃあ、もう一度、儀式を――」
「ダメなの」
被せるように、きっぱりと言われた。
セレフィナは魔法陣の周囲に並べられた、小さな石へと目を落とす。
「準備にも時間が必要ですし、召喚の代償となる魔法石は……今回ので最後でした」
床に置かれた石は、すでにいくつかがひび割れ、力を失ったようにくすんでいる。
「それに」
セレフィナは自分の胸元に、そっと手を当てた。
「私の力では、次の儀式ができるのは……明日になってから、です」
「明日まで?」
悠斗は思わず声を上げる。
「今の結界って、いつまで持つんだ?」
問いに答えたのは、ジィだった。
「……明日までは、保たない、と」
淡々とした口調が、かえって重い。
悠斗は一瞬、言葉を失い――そして、すぐに切り替えた。
「その結界石ってやつは、どこにあるんだよ?」
セレフィナは、ためらいなく指を伸ばした。
「あそこです」
指差された先――城の大きな窓の向こう。
手入れの行き届いた庭園の奥に、厳重そうな建物が見える。
「……宝物殿です」
「近っ!!」




