第一部 第十六章 アイツと邂逅?(四)
部屋の隅が、まだ淡く光っていた。
悠斗は壁に向かって座り込み、膝を抱えたまま泣いている。
「……汚された……」
震える声が、かすかに漏れた。
「充電には、少し時間がかかりそうだな」
サイトは淡々と言い、端末の状態を確認する。
「エリ、お茶の準備をお願い」
「分かりました」
レナの言葉に、エリスティアが静かに応じる。
サイトは、悠斗の体内に仕込んだ仕組みを思い返していた。
ナノマシンのエネルギー不足に備え、身体の目立たない場所――誰にも気付かれず、生活の邪魔にもならない位置に、充電用の端子穴を設けていた。
それは、悠斗が七歳の時に行われていた処置だった。
「……レナ。ミラは、いないのか?」
「えぇ」
レナは短く答えた。
タイムトラベルが違反行為であることを、彼女は知っている。
たとえ、今は辞めているとはいえ――サイトにすべてを話すつもりはなかった。
「ローヴァンさんも、まだなんだろ?」
サイトの視線が、机の上に置かれたポータルへと向く。
それを、彼はローヴァンの物だと勘違いしていた。
「そうね……もう、十一年になるわ」
レナの表情が、わずかに曇る。
その横顔を見て、サイトの脳裏に、幼い頃のレナの姿が浮かんだ。
「レナは、甘えん坊だったからな」
「ちょっと、何を言っているの?」
すかさず、抗議の声が飛ぶ。
「レナは甘い。オレは、レナを甘やかせる」
ビーが、胸を張る。
「その分、私が厳しく躾けます」
エリスティアが、お茶を運びながら自然に会話へ加わった。
「……セリナさんのAIか?」
サイトは苦笑する。
「相変わらずだな、あの人は」
「アメとムチ、だ」
「アメとムチ、ですね」
「ちょっと! みんなして、私のことを何だと思ってるのよ~!」
賑やかなやり取りの最中――
「ポンッ」
悠斗の鼻の奥で、軽い音が鳴った。
「お、充電は完了したようだぞ」
サイトが言う。
悠斗の身体を包んでいた光が、すっと消えていく。
だが、心に刻まれた傷と、頬を伝った涙の跡は消えなかった。
壁に向かったまま、悠斗は動かない。
「……悠斗」
サイトは、少しだけ声を落とした。
「もう一つ、伝えなければならないことがある」
悠斗は、ゆっくりと振り返る。
「……この際だから、全部教えてくれ……」
「お前が、召喚される“時代”についてだ」
「……召喚される、時代?」
その言葉に、部屋の空気が静まり返った。
次に明かされるのは、悠斗が辿ってきた“時代の意味”だった。
サイトは、少し視線を落としながら続けた。
「俺はな……お前が召喚された世界も、ずっと調べていた」
「調べてた?」
悠斗が眉をひそめる。
「そこは、俺自身も辿った場所だったんだ」
「同じ場所を……辿った?」
「誤解するな。“同じ時代”って意味じゃない。“同じ時間軸”だ」
「時間軸……」
悠斗は言葉を反芻する。
「俺が追っていたのは、タイムパトロール中に偶然見つけたものだ。
――“タイムトラベルの痕跡”」
「痕跡?」
「タイムトラベラーはな、飛んだ先の座標と時間軸を消しながら移動することがある。
捕まらないためだ」
レナが静かに頷いた。
「時間軸を押さえられたら、即アウトだものね」
「普通、タイムトラベラーは一つの時代にしか行かない。
目的は、ほとんどが歴史改竄だ」
「……歴史、改竄」
悠斗の声が低くなる。
「だが、俺が追っていたそいつは違った。
複数の時代を飛び、その痕跡を消して回っていた。
まるで――何かを探しているかのようにな」
「……っ」
レナの胸が、強く脈打った。
点と点が、無理やりではなく、自然に繋がってしまったのだ。
――サイトが追っていたタイムトラベラー。
――時を越え、何かを探していた存在。
――父・ローヴァンを探しに行ったまま戻らない、姉・ミラ。
「……それって」
レナは、思わず口を開いた。
「まさか……それで悠斗の時代まで、その痕跡を追ったの?サイト……おじさん」
「……そうだな」
「!?」
その一言で、レナの中の疑念は確信へと変わった。
――だから、悠斗だった。
――だから、姉と悠斗は“繋がって”いた。
「つまりだ」
サイトは悠斗を見据える。
「お前のポータルは、偶然じゃない。
俺と同じ“タイムトラベラーの痕跡”に導かれた、と俺は考えている」
「あの世界のどこかに……そいつは、いるのか?」
「いや。痕跡は、悠斗の時代で途切れていた」
「じゃあ……」
「いるとすれば、悠斗の時代だ」
「あ……」
レナの喉から、小さな声が漏れた。
「ん? レナ、どうした?」
「……ううん。何でもないわ」
だが、レナの心は高鳴っていた。
姉が行方不明になって八年。
何一つ進まなかった手掛かりが、今、確かに動き始めている。
「そのタイムトラベラーって……悪いこと、したのか?」
悠斗の問いに、サイトは首を横に振った。
「分からん。
“歴史改竄”が、何をもって起きるのか……それ自体、まだ解明されていない」
「どういう意味だ?」
「例えば、俺が過去に行って何かを変えたとしても、俺自身の元の時間軸は変わらない」
「……?」
「変わるとしたら、“別の時間軸”が生まれるだけだ。その時間軸の人間にしてみたら、それが事実になるから改竄された、とはならないしな」
「……ややこしい話だな」
「ややこしいんだよ」
サイトは、ため息交じりに続ける。
「だからな。
お前の時間軸にいるタイムトラベラーが、悪人とは限らない」
「……そうか」
悠斗は、静かに頷いた。
「じゃあ、その人と俺は……少なくとも、七歳の時に出会ってるってことだな」
「そういうことになるな」
部屋の空気が、静かに張り詰めていく。
悠斗、レナ、そして――行方不明のミラ。
三人を結ぶ“時間の糸”が、今、はっきりと姿を現し始めていた。
サイトは一拍置き、視線を巡らせた。
「最後に――この“時代”について、だが……」
「?」
「ここには、タイムトラベラーの痕跡がない」
「……ここには来ていない、ってことか?」
「正確には違う。タイムトラベラーはこの時代の
“少し未来から来た誰か”か、“少し過去の誰か”だろう。つまり、出発地点」
「どうして分かる?」
「技術が酷似しすぎている。この時代の技術体系と、ほぼ同一だ。
だから断言できる。時間軸は違うがこの時代から来た人間」
「それでも、お前はこの時間軸に来た」
「!?」
「お前の中のポータルがな、“悠斗の生きる時間軸”と“俺の時間軸”を記憶していたからだ」
「じゃあ……お前が、俺を呼んだのか?」
「いや」
サイトは、はっきりと首を振る。
「俺にはもう、ポータルを持つ資格がない。
夢の中で声を掛けることは出来ても、呼び出すことは出来ない」
「じゃあ……」
「おそらく、こいつだ」
サイトは、机の上に置かれたポータルを指差した。
「ナノマシンが“俺の時間軸へ行く必要がある”と判断した。
だが、俺のポータルは存在しない。
だから――代用品を“近場”で探したんだろう」
「……そんな理由で」
レナが、じとっとした目で悠斗を見る。
「私の自堕落な時間を潰したの?」
上下スウェットの部屋着に、乱れた白衣。
全員が納得した。
「……まあ、そういうことだな」
「納得いかないんだけど!」
レナは腕を組み、頬を膨らませる。
「だがな」
サイトは、悠斗に視線を戻した。
「お前はもう、“この世界”だけは自分の意思で行けるようになった可能性が高い」
「どうやって?」
「望めば、あとはナノマシンが勝手にやる」
「ちょっと!」
レナが声を上げる。
「じゃあ毎回、私の部屋に来るつもり?」
拗ねたようなその表情は、実際の年齢よりも幼かった。
――根っからの“お姉ちゃんっ子”なのだと、誰の目にも分かる。
「ポータルを別の部屋に置けばいいだろう?」
「いや!!」
即答だった。
「いつ“お姉ちゃん”が帰ってくるか、分からないもん」
ついに“お姉ちゃん”と呼び方が変わる。
その一言に、レナの本心が滲んでいた。
――その時だった。
悠斗の身体が、淡く光り始める。
「……時間だな」
サイトが言う。
「次からは、充電はセルフでやれ」
「ガソスタかよ!!」
場違いな叫びが、空気を和らげた。
「……」
レナは、何か言いたげに口を開きかけ――そして、閉じた。
「じゃあ……またな」
悠斗の言葉と同時に、光が強まり――
次の瞬間。
光が消え、そこにあったはずの悠斗の姿も、消えていた。
静まり返った研究室で、レナは小さく呟く。
「……ちゃんと、帰りなさいよ」
ポータルは、何事もなかったかのように、静かに時を刻んでいた。




