第一部 第十四章 アイツと邂逅?(二)
ポータルの話を聞いた瞬間、悠斗の胸に、得体の知れない恐怖が込み上げてきた。
――元の世界に、戻れない。
ほんの少し前まで、家で家族と過ごしていた。
他愛のない会話をして、同じ食卓を囲んでいた。
それが――もう、戻れないかもしれない。
考えた瞬間、喉が締めつけられ、息が浅くなる。
絶望が、ゆっくりと、しかし確実に心を押し潰していった。
その時だった。
――ピン、という澄んだ音が、部屋中に響く。
エリスティアが即座に反応した。
「お客様です。サイト様がいらっしゃいました」
「サイト?」
レナが首を傾げる。
「サイトおじさん?」
「IDが一致します。サイトおじさんで間違いありません」
「外まで聞こえてるぞ」
どこか疲れた声が、インターホン越しに響いた。
「おじさんじゃなくて、お兄さんって何回も教えただろ」
次の瞬間、エリスティアが遠隔操作で玄関の扉を開く。
足音と共に、一人の男が部屋へ入ってきた。
無造作に伸びたダークブラウンの髪に、うっすらとした無精ひげ。切れ長の瞳は鋭いが、どこか諦観を滲ませた色をしている。
濃紺のジャケットにカーゴパンツという機能的な装いは、無駄を嫌う性格そのものだ。腕や胸元には小型デバイスが装着され、静かに青い光を灯している。鍛えられた体躯は厚みがあり、立っているだけで場の空気がわずかに引き締まる。
両手をポケットに入れた気だるげな姿勢とは裏腹に、その視線は常に状況を見極めている。多くを語らず、背中で語る――そんな影を纏った男だった。
その男は、悠斗の前で立ち止まる。
「……待っていたぞ、悠斗」
悠斗は、ゆっくりと顔を上げた。
「……誰だ? いや、その声……夢の中の、おっさんか?」
「だから、おっさんではないと言ったではないか」
「いや、声だけじゃなくて……顔もしっかりおっさんだろ」
「おっさんだね」
レナが即答する。
「おっさんでございます」
エリスティアも淡々と告げる。
「おっさん、おっさん」
ビーまで追撃した。
「……泣くぞ」
男――サイトは、心底疲れた表情で呟いた。
しかし、その視線はすぐに悠斗へと戻る。
絶望に沈む少年を、サイトは静かに見つめていた。
観測者として、ずっと追い続けてきた存在。
過去と現在。
サイトと悠斗を繋ぐ因縁が――今、語られようとしていた。
「悠斗。今お前が絶望しているポータルについてだが――お前は問題なく元の世界に戻れる」
「……え?」
思わず、間の抜けた声が出た。
「そうなの?」
レナも驚いたように目を見開く。
サイトは小さく息を吐き、悠斗の正面に立った。
「悠斗。俺は、お前に謝らなければならない」
そう言って、深く頭を下げる。
「……すまなかった」
その動作には、冗談や軽さは一切なかった。
ただならぬ覚悟と、長い時間を背負った重みがあった。
「な、何してるんだよ」
悠斗は慌てて声を上げる。
「あんた……サイト、だったか? 初対面だろ、俺たち」
言いかけて、ふと引っかかる。
――夢の中の声。
「……会ったことが、あるのか?」
「俺が一方的にお前を知っているだけだ」
サイトは静かに続ける。
「俺は、お前に取り返しのつかないことをした」
「……なんだよ、それ」
悠斗の声が低くなる。
「取り返しのつかないことって、何なんだよ」
サイトは視線を逸らさず、告げた。
「俺は昔、時空警官としてタイムパトロールをしていた」
「時空……警官?」
「そして、お前がいる世界で――対象者を発見した」
悠斗は息を呑む。
「それは……お前が、七歳の時だ」
「――っ!?」
その言葉だけで、胸の奥がざわついた。
七歳。
それは、悠斗にとって“始まり”の年だった。
見えないものが見えると言い、
聞こえないはずの声を聞いたと言い、
虚言癖、妄想癖――そう決めつけられ、人が離れていった。
「今じゃ……夢の中の体験になったか?」
サイトの声が、過去をなぞる。
「だが、あれは現実に起きたことだ」
「……現実?」
悠斗の視界が揺れた。
「そうだよ……」
震える声が漏れる。
「嘘じゃなかった。嘘じゃなかったんだよ……!」
感情が溢れ、言葉が荒れる。
「あれは……本当、だったんだよ……!」
押し込めてきた記憶が、一気に蘇る。
悠斗はその場で取り乱した。
「ビー、温かい飲み物を」
レナは状況を察し、即座に指示を出す。
サイトは、そんな悠斗を見つめながら、静かに拳を握りしめていた。
悠斗が深く息を吐くのを、誰もが静かに待っていた。
言葉はなく、機械音すら抑えられた部屋に、時間だけが流れる。
…… …… ……
「……ゴメン。もう、大丈夫だ」
悠斗は俯いたまま言った。
「無理もない」
サイトは短く頷く。
「だが、お前は知らなければならない。あの日の真実を」
悠斗は何も言わず、ただ続きを促すように視線を向けた。
「あの日、俺は対象者を追っていた」
サイトの声は淡々としていた。
「捕縛銃を手に、建物の外で待機していた。AIに対象の位置情報を解析させ、外に出てくる瞬間を狙っていたんだ」
悠斗は黙って聞いている。
「対象が動いた、という通信が入った。建物の扉が開き、人影が出てきた」
サイトは一瞬、目を閉じた。
「曲がり角で捕縛する計画だった。他人に見られず、確実に拘束できる場所が、そこしかなかった」
その声に、迷いはない。
任務として最適解を選んだ、ただそれだけの判断だった。
「人影を視認した瞬間――俺は、もう引き金を引いていた」
悠斗の喉が小さく鳴る。
「対象は一度、建物から出ていた。だが、すぐに中へ戻ったらしい」
サイトは、悠斗をまっすぐに見た。
「その後に出てきた人間が……お前だ、悠斗」
「……俺?」
記憶を必死に辿る。
「あの日、俺は……友達の家に遊びに行っただけだ」
「捕縛銃は、本来殺傷力を持たない」
サイトは続ける。
「だが、七歳の肉体。そして、俺達の時代と悠斗の時代の身体能力の差。その誤差が致命的だった」
悠斗は、嫌な予感を振り払うように唇を噛んだ。
「悠斗……お前は」
一拍の沈黙。
「一度、死んだ」
「――っ!?」
「俺が、殺した」
頭の中が、真っ白になった。
「……死んだ?」
悠斗は自分の両腕、胸、指先をまじまじと見下ろす。
「待てよ……おかしいだろ」
必死に言葉を絞り出す。
「俺の身体には、傷一つない。そんな衝撃なら……何か残ってるはずだろ……?」
震える声で問いかける悠斗に、
サイトは、ゆっくりと答えようと口を開いた。
「その場で、お前を救う唯一の方法……」
サイトは、低く静かな声で言った。
「それがポータルだ。正確に言えば、ポータルを生成するナノマシン技術」
「ポータル……!?」
悠斗が息を呑む。
「そんな話、聞いたことがないわ!」
レナが思わず声を上げた。
「でも、理論上は……可能なの?確かにポータル技術は最高峰よ。でも、人の“死”を……治せる、なんて」
「確証はなかったさ。だが、救える可能性があったのは、それだけだった」
サイトははっきりと言い切った。
「あの場で、悠斗の身体にポータルを埋め込んだ。ポータル内部のナノマシンが細胞と融合し、破壊された組織を即座に修復、生命活動を限界まで活性化させた」
「……ポータルを、埋め込んだ?」
悠斗の脳裏に、はっきりとした感覚が蘇る。
冷たい。
機械的。
それなのに、生き物の内側へ溶け込んでくるような――異物感。
「あの感覚……」
悠斗は小さく呟いた。
「夢の中で、何度も感じてた……」
「あれが、ポータル、なのか?」
サイトは頷いた。
「捕縛銃は全弾使い果たした俺は帰還するしかない。だが、肝心のポータルは……」
淡々とした語り口だが、その奥には悔恨が滲んでいる。
「本来、対象を追い続けるために使うはずだったポータルを失った。つまり……俺は一度帰還すると、対象が存在する時間軸へ戻る手段を失ったんだ」
「……」
悠斗は、拳を握り締める。
「恨んでいるだろう」
サイトは、悠斗から視線を逸らさなかった。
「一度はお前を殺し、蘇生させた。だが、その後の人生……楽なものじゃなかったはずだ」
少しの沈黙。
「……許せねぇよ」
悠斗は、正直に言った。
「許せねー。でもさ……………………今の生活は、悪くねーんだ」
サイトは何も言わない。
「俺、思うんだよ。もし、七歳の時のあれがなかったら、って」
悠斗は、遠くを見るような目をした。
「俺さ、子供の頃、バカ正直でさ。思ったこと、何でも口にしてた」
苦笑する。
「本当のことなら、嘘でなければ、何を言ってもいい、そういう考えだった。子供なら許されるけど、大人になったら許されねぇことも、平気で言ってたと思う。空気が読めないってやつだ。大人になるにつれて、徐々に周りから人が離れていく」
そして、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「でもさ……七歳で気付けたんだ。人とズレてるって」
悠斗は、はっきりと言った。
「大人になって気付くより、ずっとマシだ。大人になったら性格なんてなかなか変えられるもんじゃない。そう考えたら……俺、ラッキーだったのかもな」




