最終話 地獄の沙汰も金次第②
静寂が、耳鳴りのように痛い。
私は手の中に残された、安っぽい交通安全のお守りを凝視していた。色褪せた布地、不揃いな刺繍の文字。それはこの十億円の要塞の中で、唯一「本物」の熱を持っていた。そして私はその熱を、自らの手で冷たいゴミ溜めへと投げ捨てたのだ。
「……は」
喉の奥から、乾いた空気の塊が漏れた。
美咲は死んだ。私が「演技」だと決めつけ、足元に叩きつけたあの札束は、彼女の命を繋ぐはずだった最後の糸を、無慈悲に断ち切るための重りになった。
「あは……あはは……」
笑いが込み上げてきた。最初は小さく、喉を震わせる程度の震えだったが、それは瞬く間に肺を焼き、横隔膜を激しく揺さぶる巨大な波となって溢れ出した。
「あはははは! なんだ、これ! 最高じゃないか!」
私は床に転がり、札束の海を泳ぐように手足をばたつかせた。一万円札が舞い上がり、私の顔に、体に、嘲笑うかのように降り注ぐ。
おかしい。あまりにも滑稽だ。私は裏切られるのを恐れて、誰も信じない「完璧な王」になったつもりだった。だがその結果、たった一人、地獄の縁で手を伸ばしてくれていた人間を、金という名の鈍器で殴り殺したのだ。
「結局、金で殺したようなものか! あはははは!」
涙は出ない。ただ、狂おしいほどの哄笑が部屋中に反響する。
彼女を信じていれば助かったのか? それとも、あの時信じたとしても、やはり私たちは金によってゆっくりと壊れていったのか?
答えなどない。ただ一つ確かなのは、私が作り上げたこの十億円の城は、彼女の死体の上に建つ壮大な墓標になったということだ。
私は舞い散る札束を掴み、狂ったように破り捨てた。
「ありがとうございました」と頭を下げる店員も、投資話を抱えてくる上司も、三億円に目を血走らせた松崎も、そして、最後に愛を乞うた美咲も。全員、金の亡者だ。私も、彼女も、この十億円という狂気が生み出した幻影に踊らされていただけなのだ。
笑いすぎて腹が痛い。息が切れる。
私は仰向けになり、豪華なシャンデリアを見上げた。
十億の「凶器」を手にしたその日から、私の人生は最高の喜劇になった。金さえあれば、人の心は弄べる。金さえあれば、神にだってなれる。
その神が、今、空っぽの部屋でたった一人、散らばった紙切れに埋もれて笑っている。
「地獄の沙汰も金次第、か……」
その言葉が、自分自身の魂を切り刻む呪文のように響いた。
暗闇の中から、美咲の冷たい指先が私の喉を撫でているような気がした。私はその心地よさに身を委ね、狂気の底へとさらに深く、深く沈んでいった。




