最終話 地獄の沙汰も金次第①
どれくらいの時間が過ぎたのか、もう分からない。
カーテンを閉め切った部屋の中では、太陽の動きさえも意味を成さない。私はただ、冷たい床の上に散らばった札束の海に埋もれ、外界からのノイズに怯えるだけの肉の塊と化していた。
そんな私の静寂を、一通の通知が引き裂いた。
弁護士からのメール。無機質なビジネス文章の体裁をとったその内容は、私の脳内に直接、氷水を流し込むような冷たさを持っていた。
「美咲さんが、亡くなりました」
……死んだ?
私は、割れたグラスの破片が散らばる床を這い、スマートフォンの画面を凝視した。
一週間前、この部屋に来た彼女を、私は「演技」だと嘲笑い、札束を投げつけて追い出した。あの時の彼女の、骨が浮き出るほど痩せた体。光を失った瞳。あれはすべて、金を引き出すための死に物狂いのパフォーマンスではなかったのか。
メールには続きがあった。
彼女の遺品の中から、私宛の封筒が見つかったという。弁護士が「職務の一環」として配送させたその小包が、マンションのコンシェルジュ経由でドアの前に届けられた。
私は死に物狂いでドアを開け、その包みを引きずり込んだ。
震える手で封を解くと、中から出てきたのは、一通の手紙と、古びた小さなお守りだった。
それは、どこにでもある神社で売られているような、安っぽくて、少し色褪せた、千円もしないような交通安全のお守りだった。
手紙には、弱々しい、だが丁寧に綴られた文字が並んでいた。
『健一くんへ。
宝くじが当たったって聞いた時、私は本当に怖かった。お金があなたを変えてしまうんじゃないかって。だから、このお守りを買ったの。お金よりも、地位よりも、ただ健一くんの心が、これからも幸せでありますようにって。
……渡せなくて、ごめんね。あなたが冷たくなっていくのを見て、私も怖くなって、お金にしがみつこうとしちゃった。私も弱かった。でも、最後にこれだけは信じて。私は、あの頃のあなたが大好きだったよ』
日付を見て、私は息が止まった。
それは、私が十億の当選を知り、彼女に初めて打ち明けたその翌日のものだった。
あの時、彼女は高級レストランを予約し、私をATMのように扱い始めた。私はそう確信していた。だが、彼女はあの狂乱の裏で、こんな安っぽいお守りを、私のために買っていたのか。
指先でお守りに触れる。
布地の感触が、あまりに優しくて、あまりに痛い。
この巨大な壁を築くよりもずっと前に、彼女は、私のために一番小さな「救い」を用意していた。
「……あ」
喉の奥から、乾いた音が漏れた。
私は、彼女を殺したのだ。
彼女の「本物」の叫びを、金というフィルターで「偽物」に変換し、冷笑とともに突き放した。彼女は本当に病魔に侵され、本当に私に助けを求めていた。なのに、私は。
部屋を埋め尽くす札束が、急にただの紙切れに見えた。いや、それは紙ですらない。私を窒息させるための、おぞましい亡者たちの死体だ。
私は、世界で唯一、私を「佐藤健一」として愛していたかもしれない存在を、この金の手で握りつぶしてしまった。
お守りを胸に抱きしめ、私は暗闇の中で呻いた。
涙は出なかった。ただ、胃の底からせり上がるような、どす黒い後悔だけが、私の体を内側から焼き尽くしていった。




