第九話 崩壊へのカウントダウン②
インターホンの電子音が、死んだように静まり返った部屋に鋭く突き刺さった。
モニター越しに映し出されたその姿を見た瞬間、"僕"は自分の心臓が凍りつくのを感じた。
「……美咲?」
画面の中に立っていたのは、かつて"僕"が愛した、瑞々しい輝きを放っていた恋人の面影を失った「何か」だった。
肩の線は鋭く尖り、頬は病的にこけ、その瞳は光を吸い込む深い穴のように暗い。かつてあんなに執着したはずの通帳を奪おうとした、あの強欲なエネルギーさえもが枯れ果てているように見えた。
"僕"は迷った。だが、今の"私"を支配しているのは、彼女への未練ではなく、底知れない悪趣味な好奇心だった。
「執行人」として、彼女がどんな「演技」を見せてくれるのか。"私"はオートロックを解除し、玄関のドアを開けた。
「……健一くん」
部屋に入ってきた彼女は、高級な家具や散らばったブランド品の山に目を向けることさえしなかった。ただ、幽霊のような足取りで"私"の前に立ち、消え入りそうな声で言った。
「本当に、病気なの。助けて……手術をしないと、もう……」
彼女は震える手で診断書らしき封筒を差し出してきた。
その瞬間、"俺"の脳裏を松崎の顔がよぎった。孫の手術代のために聖者を演じ、金を手にした瞬間に怪物へ豹変したあの老人の笑顔が。
「ははっ……あはははは!」
"俺"は堪えきれずに吹き出した。喉の奥からせり上がるのは、純粋な嘲笑だ。
「すごいな、美咲。今度はそう来たか。松崎と同じ『病気』というカードを使うなんて、脚本としては三流以下だよ。君の両親の借金の次は、自分の命を切り売りするのか?」
「違うの、本当に……信じて……」
彼女の目から涙がこぼれ落ちる。それはあまりに本物らしく、あまりに痛々しい。
だが、今の"私"にとって、涙はただの塩水に過ぎない。悲鳴はただの音波だ。
"私"はリビングのソファーに投げ捨ててあったボストンバッグから、帯のついた札束を数束掴み取った。
「いいよ。いくら欲しいんだ? 三百万? 五百万? 君が今日ここに来るまでにかかった演技指導料としては、これで十分だろう」
"私"は彼女の足元に、バサバサと札束を投げつけた。
一万円札が彼女の痩せこけた体にあたって床に散らばる。彼女は金を見ようともせず、ただ絶望に染まった目で私を見つめていた。
「健一くん……あなたは、本当に変わってしまったのね。お金が、あなたを殺したんだわ」
「殺したのは君たちだ。僕を、ただのATMとして扱い、裏切り続けた君たちの強欲が、今の僕を作ったんだよ」
"俺"は冷たく言い放ち、彼女の腕を掴んで玄関へと引きずり出した。
彼女は抵抗する力さえ残っていないようだった。ドアの外に放り出された彼女は、散らばった金の一枚も拾おうとせず、ただよろよろとエレベーターの闇に消えていった。
「演技なら、もっとマシな死に際を見せてくれよ」
バタン、とドアを閉め、幾重ものセキュリティロックをかける。
静寂が戻った部屋で、"私"は投げ捨てた札束を眺めながら、自分の中の何かが完全に壊れ、二度と修復できない場所まで堕ちていったことを確信していた。




