第九話 崩壊へのカウントダウン①
どれほどの金を注ぎ込めば、この乾きは癒えるのだろうか。
リビングに足を踏み入れるたび、"私"は吐き気に似た不快感に襲われる。大理石の床の上には、一度も袖を通していないエルメスのコートや、箱から出されもしないルブタンの靴が、無造作に積み上げられている。数千万という金を払って手に入れた「世界の一流」たちが、今はただの廃棄物の山にしか見えない。
この部屋にあるのは、高価なゴミと、それに取り囲まれて窒息しかけている"俺"だけだ。
窓の外を見れば、宝石を散りばめたような夜景が広がっているが、私にはそれが自分を食い破ろうとする亡者たちの眼光に見えた。
カーテンを閉め切る。光を拒絶し、暗闇の中で高い酒を煽る。しかし、どんなにアルコールを流し込んでも、脳は冴え渡ったまま眠りを拒絶し続けた。
まぶたを閉じると、決まって幻覚が這い寄ってくる。
泥水を啜りながら金を求めて叫んでいた男。髪を刈り上げながら無機質に笑っていた女。そして、あの公園で醜悪な本性を剥き出しにした松崎。
彼らの顔が、壁紙の模様や天井の影に浮かび上がり、"僕"に囁きかける。
「お前もこっち側だ」「金に魂を売った化け物め」「孤独に死ね」
「うるさい……黙れ!」
"俺"は手に持っていたバカラのグラスを壁に投げつけた。鋭い破砕音とともに、ヴィンテージのブランデーが壁に飛び散り、血のようなシミを作る。
だが、音を立てれば立てるほど、部屋の静寂はより深くなり、"私"の鼓動だけが耳障りなほど大きく鳴り響く。
不眠は"私"の感覚を狂わせていった。
鏡を見れば、そこに映るのは三十代の男ではなく、生気を失い、肌が土気色に変色した老いた幽霊だった。指先は常に微かに震え、高級なシルクのシーツに触れることさえ、何かの這いずる感触のように思えて忌々しい。
かつては、残高が増えるたびに全能感に酔いしれていた。
だが今は、数字が増えれば増えるほど、"僕"の輪郭が希薄になっていく。
"俺"という人間は、もうどこにも存在しないのかもしれない。"私"はただ、十億円という「凶器」を維持するための、血の通わない中継端末に成り下がったのだ。
贅沢な食事をしても味がしない。
最高の女を抱いても温もりを感じない。
何を手に入れても、"俺"はただ、飢えていた。金では決して買えない「何か」が、"僕"の内側を内側から食い荒らしている。
"私"は震える手で、また新しい注文をタブレットで打ち込んだ。明日にはまた、届いた瞬間にゴミとなる宝石や服が、この部屋の死蔵品を増やすだろう。
そうしていなければ、自分がこの「金の海」に溺れて死んでいることを認めてしまいそうで、"僕"はただ、壊れた機械のように消費を繰り返すしかなかった。




