05.
ラーゴ王国。
ファータ王国の数倍もの領土を誇り、国土の約半分を山や河川、湖に覆われ、四季により色彩が移り変わる自然豊かな国。
隣国ということもあるせいか、私はラーゴ王国のことを“身代わりの聖女”の教養として学び始めた時から心惹かれ、夢見ていた。
いつか城を、ファータ王国を出て、広い世界を見てみたいと。
だからまさかこんな形で叶うとは、夢にも思っていなかった。
「わっ……!」
思わず感嘆の声を漏らし、窓に張り付くようにしてじっと外の景色に目を凝らす。
私が目にしたのは、ファータ王国を出た瞬間に様変わりした風景だった。
ファータ王国では木々の葉は年中緑色で覆われていたのに、ラーゴ王国に入った瞬間、それらの殆どが白銀色へと装いを変えたのだ。
「雪を見るのは初めて、ですよね」
「えぇ。これが、雪というのね……」
書物では言葉で、幼い頃に読んだ童話では絵として記憶していた。
地面を一面の銀世界にしてしまう雪、湖面が凍ることもあるほどの寒い時期にしか見られないという光景。
そして……。
「……この景色を、他でもない貴女様に見せたかった」
「!」
その一言に弾かれたように顔を上げる。
彼はその金色の瞳に私を映し、黙って微笑みを浮かべたことによって疑問がひとつ、確証に変わる。
(……彼は“前世の私”が封印したはずの“私についての記憶”を、完璧に覚えている)
その記憶の中には前世、妖精女王であるために人間界に下りることが出来なかった私に、妖精達が教えてくれた“雪”に思いを馳せていたことも。
だけど。
(なぜ? なぜ私の記憶を消す強力な術をかけて彼の元を去ったというのに、私についての記憶を彼は完璧に思い出すことが出来たの?
それに……)
――……髪は、どうしたの?
瞳と同色の色……、天界にいた頃は陽の光を浴びて眩いばかりに輝いていた彼の金色の髪は、今は白銀色に染まっている。
まるで、窓の外に映る景色と同じように。
「…………」
聞きたいことは、沢山ある。
けれど、彼がそれらを全て話してくれるのには、もう少し時間がかかるだろう。
それは、この状況に置かれた私も同じことが言えるから。
(……ごめんなさい)
私も今はまだ、言えない。
全てを捨てて逃げてしまった臆病な私は、真実を話すことも、真実を知ることも、怖いと思ってしまうから。
こうして、一面白銀色に包まれた景色の中を馬車は走り、辿り着いた先にあったのは。
「……っ」
これまた童話の中で見るような大きな城だった。
(ファータ王国の王城、いえ、天界にいた時に住んでいた神殿よりも大きい……)
「寒いでしょう。どうぞ中へ」
馬車に降り立ち、さも当然だと言わんばかりに自然とエスコートされていることに気が付いた私が声を上げようとした、その時。
「へっ、陛下〜〜〜!!!!」
「……騒がしいのが来た」
シエルの口からボソリと呟かれた言葉に目を瞬かせている間に、私達の目の前に息を切らして走ってきたのは、彼や私と歳が近そうな見目をした男性だった。
そしてその人は荒く呼吸を繰り返しながら、私を見て目を丸くすると、彼に詰め寄った。
「ほっ、本当に連れて来られてしまったのですか!?」
「あぁ」
「あぁ、じゃありませんよ!? 何やってくれているんですか……!」
混乱し焦っている姿を見て、彼に助けてもらった身分とはいえいきなり連れて来られた私も思わず同情してしまっていると、その人はコホンと咳払いしてから胸に手を当て口にした。
「俺は従者のダニエルと申します。
申し訳ございません、妖精の愛し子様。
我が主君が大変失礼な真似をいたしまして」
従者のダニエルだと名乗った方に深々と頭を下げられた私は、逆に恐縮してしまいながら私も言葉を返した。
「い、いえ、私は」
自分の名前を名乗ってから、シエルに助けられた身の上だと弁明しようとしたけれど、その後に続く言葉を口に出来なかった。
それは、口元を大きな手に覆われてしまったから。
見上げれば、その手の主であるシエルが代わりに言葉を発した。
「彼女は疲れている。話は後だ。今すぐ部屋に案内する」
「ひゃっ!?」
言うや否や、また当然のように横抱きにされてしまって。
慌てる私をよそに、シエルはそのままズンズンと城の奥へと歩き出した。
「ちょ、ちょっと待って! 自分で歩けるわ!」
「駄目です。こうでもしないと、逃げられそうなので」
「に、逃げられそうって……、私に行き場なんてないわよ」
「念のためです。それに……今は、あなたが俺の近くにいることを感じていたいので」
「……っ」
そう言って微笑んでみせた彼を見て、息が詰まり胸が苦しくなる。
(どうして。あなたがそんな顔をするの……?)
それではまるで、私のことを……なんて考える間もなく、シエルはある部屋の前で立ち止まると、ファータ王国のお城にいた時と同じ呪文を口にした。
「“扉よ開け”」
その呪文に呼応するように、光を纏った扉がゆっくりと開く。
そうよね、この呪文は普通に使うとこうなるのよね、と思わずファータ王国で爆発した扉を思い浮かべてしまったのも束の間、飛び込んできた部屋の内装に息を呑んだ。
「え……」
これは、もしかしなくても、と絶句してしまう私をよそに彼は言った。
「似ているでしょうか? 天界にいた時のあなたのお部屋と」
そう、私が目にしたのは、天界にいた時の城の自室と似た内装だった。
白を基調とし決して派手すぎない上品な部屋の造りは、まさに私が妖精女王だった時に使用していた部屋と瓜二つで。
「っ、どうして?」
シエルを振り返り尋ねた私はハッとする。
私を見下ろす彼の表情は、今にも泣きそうだったから。
でもそれはほんの一瞬のことで、彼は悪戯っぽく笑って言った。
「未練がましくも、少しでも思い出してくれればと思ったんです。
今世でのあなたは、妖精女王として生きていた時の記憶をお忘れのようでしたから。
……まさか、私の顔を見て思い出していただけるとは、夢にも思いませんでしたけど」
「…………」
シエルの言葉に何も返せなくなってしまう私に、彼は言葉を続けた。
「あなたにとってはいらない記憶だったかもしれませんが、私は思い出していただけて良かったです。
……なんて、言葉を尽くせば尽くすほどあなたを困らせてしまうだけですね。
色々なことがありすぎてお疲れでしょうから、本日はゆっくりお休みください。
何か御用がございましたら、机の上にある呼び鈴を鳴らしていただければ侍女が参ります。
食事も、この部屋に運ばせますので」
「あ、ありがとう……」
小さくお礼を言うと、シエルは少し目を丸くしてから微笑み、今度こそ扉を閉じて行ってしまった。
部屋に一人きりになった私は、改めて部屋を見回してから呟く。
「……本当に、天界にいた時の自分の部屋にそっくり」
そう呟いてから、ふらふらと覚束ない足取りで、はしたなくもベッドに倒れ込む。
(……確かに私、かなり疲れているわ)
色々なことが、一挙にありすぎて……。
でも、一つ言えるとしたら。
(こんな、夢のようなことがあって良いのかしら……)
目が覚めたら全て夢でした、と言われても頷けるような。
それくらい信じられないことが今、私の身に起こっている……―――
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