月を背にして寅は笑う
「す、すげえ…」
影に落ちる、そんなのは生まれて初めての経験だったが。入ったと認識した途端、次に目を開ければ、目の前に広がっていたのは先程とは全く違った景色だった。
「狛、時間はないぞ」
「あっ、す、すみません…!」
そう前に立つシグラの方を見た途端、ゾクリと肌が震えた。〝どれぐらいのが何体出るか、分かるか〟と問われた言葉に、狛はこくりと頷く。
「5mぐらいのが一体、遅れてもう一体がその後方に」
ぶわりと吹き込む風に、木々の合間を睨む。
〝来ます〟と狛が口にした途端、地鳴りが強く唸り上げる。来たかと思ったと同時に、地面から黒く巨大な手が這い出た。
『オ゛ォ゛、ォ゛…!』
何度見ても見慣れないその歪な姿は、ビリビリと狛の肌を震えさす咆哮を上げる。
〝行けるか?〟〝はい〟
シグラの言葉に頷くと、狛は体勢を低くさせ、腰元に下げていた武器を両手に取った。
このままだと届かない─ならば。狛は足元に魔力を集中させると、ナイトメアの上部に上がるほど一気に跳躍した。獣人族のシグラに比べたら身のこなしは劣るが、身体が軽い分このぐらいまで上がれば、十分に狙える。ナイトメアの弱点は、この巨大な目だ。
「この…!」
重力に任せ、両手の剣をその目に突き刺した。急所を突かれたナイトメアは、苦しみながら嘆叫を上げる。─まずは一体。このまま引き抜き、後ろに出現する二体目に刺そうとしたが、─まずい。
双剣が何かにハマったかのように抜けない。音子が投げたナイフで倒したあの時は気が付かなかったが、まさか、武器が抜けるまでにタイムラグがあるのか?
このままでは、背後のナイトメアに間に合わない。
「ま、まず…っ」
「〝炎壊〟」
グッと腰元を引かれたと思った途端、豪と唸るシグラの拳がナイトメアを薙ぎ払った。シグラの拳が触れた箇所は一瞬にして風穴があき、狛はその目を見開いた。噂には聞いていたが、武器なしの拳でナイトメアを滅するだなんて。パラパラと落ちていくナイトメアの残骸を唖然と見ながら、〝なるほど〟と呟いたシグラをそっと見上げた。
「す、すみません…お手数おかけして…」
「ん?ああ、かまわんかまわん」
そうカラカラと笑いながら、シグラは抱えていた狛の身体を地に下ろした。子供の様に軽々と小脇に抱えられていたが、細身と言えども55キロはあるんだけどな。〝狛〟と呼ばれたその声に、〝はい!〟と顔を上げる。
「筋は見えた。狛、お前は感覚自体は俺に近いが、戦い方は俺よりも牛久や瓜……ゴホン、イノ寄りだな」
うり?と聞こえた言葉に首を傾げる狛に、シグラは気にするなと言わんばかりに言葉を続ける。
「お前に必要なのは武器の改良だ。戦闘スタイルは悪くないが、お前の良さを殺してる」
「武器!?てっきりあの、トレーニング的なのが必要なのかと思いましたけど」
「まあ、それもあるな」
あるんかい、そう脳内で反射的に突っ込んだ狛を置いて。シグラは高らかにこう告げる。
「お前はもっと強くなれる。感覚が鋭い分、俺よりも伸びるやもしれんぞ?」
月を背に、そう目を細めるシグラの瞳は金色に光り、目元の紅は朱色に輝いていた。
力を大袈裟に敬われたり、反対に無能だと指を指される事は今までに何度もあったが。お前はもっと強くなれるなんて言葉をかけられるのは、生まれて初めてだった。
〝ありがとう、ございます〟
無意識に口から零れ落ちたその狛の声に、シグラは嬉しそうに笑った。
「─にしても、武器の改良なんてどこで?聞いたことないけど、何かそういう研究所とかあるんですか?」
「嗚呼、それは安心しろ。うちの武器担当はさっきからそこに居る」
「え」
それって、と狛が口を開こうとした途端。
〝一部始終は見させてもらった!〟というとんでもない声量の声が狛の耳を貫いた。
「俺はリザルガ。十二使使用人のひとり、武器メインの開発を担当している」
草むらから突然出てきたと思ったらとんでもない声量で話し始めたその金髪の男に、狛はキンキンと鳴る耳を抑えて目を見張った。
〝その武器が更に輝く未来が見えた、俺に任せろ〟
ドンと自身の胸に親指を当て、男は自信満々に口角を上げる。またもキャラの強そうな人が出てきたと、狛は肩を落とした。