邂逅:丑の席と寅の席
「ということで、まずは団長挨拶から行こうかなと思います。見た目は怖いですが優しい人なので、安心してくださいね」
「最初から団長挨拶、…いやそりゃそうか…」
「怖がらない怖がらない、取って食いやしませんよー」
こつこつ。二人分の足音を響かせながら、長い廊下をただ歩く。視界の端に流れていく重厚感のある扉を見ては、一体全て合わせていくつの部屋があるんだなんて考えを浮かばせた。なははと笑いながら背を叩く音子の明るい声に、怖がってませんよと狛はむっと口を尖らせ返した。
「ふふ、はいはい。─連れてきましたよー、牛久さん」
コンコンと扉を叩きながら、音子はそう扉の向こうに声をかけた。─うしく。いくら世間に疎い自分でも、その名は知っている。かつて15歳という史上最年少の若さで十二使に入団し、団長の座に就いた男。一体、どんな男が─。〝入れ〟と返ってきた低い声と共に、きぃとその扉が開く。部屋の奥に座る洞角の生えた青年が、ゆっくりとその顔を上げた。傷跡の走る右目は、まるで人ならざる者と語るように異端に光る。此方に向けられた鋭いその視線に、狛は思わずごくりと唾を飲みこんだ。
「俺は団長の牛久だ。先程はすまんな、騙すような真似をして」
「あ、いや… ぜんぜん、いやそりゃ吃驚しましたけど」
「戌の席は長いこと埋まってなかったのもあってだな。お前が来る前まで、上が…政府が目をつける連中にロクなのが居なかったんだ」
「え、あ、そういう理由?」
「んー、皆さん獣人ではあるので身体能力は申し分ないんですけど、こう…態度があんまりよろしくなかったり、ナイトメア相手だと逃げ出しちゃったり。そんな人が多くて」
えへ、と苦く笑う音子の声を聞いて、なるほど、と心の中で合点がいった。だから書類では分からないような、団員としての心構えを試す試験を導入するようになったのか。洞角の男─牛久は、狛から受け取った書類に目を落とすと。音子の方へと口を開いた。
「にしても、まさかこんなに直ぐに連れてくるとはな」
「ふふん、音子に任せれば御茶の子さいさいです」
洞角の生えた男の言葉に、音子は得意げに胸を張る。〝調子に乗るな〟と返す牛久の声は先程よりもどこか柔らかく。兄に褒められた妹のようなこの空気感に、なんかこの二人、距離が近くないか?と眉根を寄せた。
「あ、そうそう。もう少しで寅の席が帰還する筈です」
「寅の席?」
「そう。シグラさんという、牛久さんよりもずっと背の高い人です。その人も優しい人なので大丈夫ですよ」
〝まあでも、十二使に怖い人なんて居ませんけど〟
にっこりと笑いながら、音子はそう言う。その笑顔を見ていたら、─なんだか。本当にこの先も何とかやっていけそうな気がした。どきどきと鳴る心臓を隠ながら、こほんと咳払いをする。
「牛久さん、シグラさんと音子さん…了解です。名前覚えるの苦手ですが、極力頑張ります」
「なはは、正直者で良いですね〜。─あ、シグラさん!お疲れ様です!」
「お、もう迎えたのか。さすがだな。」
声の聞こえた方を振り向けば、やけに背丈の高い、毛量のある白髪を後ろに束ねた男が立っていた。「シグラ」と呼ばれるその男は、狛に近付くなりぬっと顔を覗き込んだ。ほーおと興味深そうに、尚且つ顎に手を添えながらニタニタと口角を上げる姿に、思わず狛はその身をたじろぐ。
「な、なんすか」
「いーや、久しぶりに俺と似たようなのが入ってきたと思ってな」
「お、やっぱりそう思いますか!?」
そう身を乗り出した音子は、子供のように目をキラキラと輝かせた。何が似ているのだろうか、見た目に関しては筋肉質ともやし、陽キャと陰キャで清々しい程に正反対な気もするが。そう心の中でツッコミながら、ちらりとシグラへ視線を戻した。両耳に下がる翡翠に光る石─それは、牛久の右目の色とよく似ていた。左頬に伸びる三本の爪痕は、生々しく焼けた皮膚の様に色付いている。それ程、ナイトメアとの戦闘は傷の絶えないものなのだろう。
そんな事を考えていると、突然三人の顔色が変わった。〝人一倍耳がいい〟狛の耳にも届いた内容から察するに、その無線は─
「ナイトメア、ですか?」
「はい、たった今無線機で通達が入りました。今から約2分後、このアジトの周辺に出現するようです」
「2分後!?」
「でも大丈夫、全然間に合いますよ。もう動くようですが」
そう言った音子の視線の先を追えば、シグラが既に誰かと連絡を取っているようだった。
〝─ゲ、─ランゲ、嗚呼、そうだ。アジト西方面に展開を頼む〟
微かにだが聞こえた内容から察するに、アジトの外部に何か装置でも展開されているのだろうか。
「平気そうか、シグラ」
「嗚呼、このまま俺が行こう。狛、少し着いてきてくれるか?」
「あ、は、─はいッ」
「少し走るぞ、多分だが狛なら着いてこれる」
そう言われた言葉に、思わずえっと声が出た。その琥珀色の瞳に嘘は見えなかったが、─”昔のこと”を思い出させるその「期待」に不安が過ぎる。ぽんっと背中を叩かれた横を見れば、そこには音子の姿があった。柔らかい声と共に、桃色の瞳が優しく細まる。
「初めての時って不安もあるでしょうけど、同じくらい未知の世界にわくわくした気持ちもあると思うんです」
「音子が断言します。これから先、きっとそんな眩しいほどにわくわくした毎日が狛くんを待ってます。 」
”いってらっしゃい”
その声が、芽吹く花のように狛の心の中で鳴り響いた。〝はい〟と返すのが合図かの様に、地を蹴り先を行くシグラの後を追った。
大きく開かれた窓枠に足を掛けた状態のシグラに追いつけば、〝来たな〟と声がかけられる。ひゅうと強く吹く風に、目を細める。何を隠そう、ここはアジトの五階。ここから飛び降りるのかなんて言っている暇はない。外から流れてくる冷たい風は、熱くなった頬を冷ますにはちょうど良かった。
「なんだ、もう音子に惚れたのか?」
「ちょっと!!デリカシーゼロですかあんた!!!」
「はは、すまんすまん。この下に影が見えるだろ、あれに向かって飛び降りるぞ」
何だこの人、人を揶揄うようなことを言って。思っていたよりも子供みたいな性格なのか。そんなことを言いながらも、〝分かりました〟と答え、先に降りた彼に続いてその足を踏み込んだ。これ着地はどうするんだとか、入ったあとの心構えとか何も聞いてないが良いのだろうか。まあ、もう良い。時間もない。いっそどうにでもなれと、渦巻くその影に飛び込んだ。