そして俺は、君を見つける
「…はあ?」
甘栗色の髪の青年─犬童狛は、聞こえてきた無人音声に酷く顔を歪めた。
『犬童狛さまは十二使本部認証データに登録されておりません』
「登録されてないって、いや俺呼ばれて来たんすけど!?ほら見てこれ!政府公認の推薦状!」
『データに登録されていない方はお通しする事が出来ません。申し訳ありませんが、お引き取り願います』
「…はっ」
〝ハア〜〜〜〜!?!?〟
無慈悲に返ってきたその無人音声に、青年の咆哮が響き渡った。
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「いや意味わかんねぇ、せっかく片田舎から来たのによ」
通り過ぎる人の流れを避けながら、狛はすっかり握り締めた書類に目を落とした。─十二使。この世界にあの怪物〝ナイトメア〟が蔓延る様になってから結成された、政府公認の特別精鋭組織。それぞれ子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥という十二支の名の位に充てられた団員により結成された組織だ。田舎育ちでロクに外に出ることさえ許されなかった自分からすれば何処か非現実的というか、入隊推薦状なんて都市伝説だと思っていたから、初めに見た時には一瞬詐欺かとさえ思った。
〝さすがは狛犬さま〟
〝狛犬様は私たちの光ですから〟
ズキッと走る頭痛に、思わず顔を顰める。何が狛犬様だと、苦虫を噛み潰したような顔で狛はまた前を向いた。戦争孤児で身寄りもなかった頃は、名前さえ無いまま誰もが自分の前を素通りしていたと言うのに。人間ってのは、こうして何かを崇拝してでもいないと生きられないのだろう。背負わされる方の身にもなって欲しいもんだ。
「考えねーようにするってのも、難しいよな」
毒素のような記憶を深いため息と共に吐き出し、すう、と空気を吸う。その奥で仄かに感じた別の匂いに、翡翠の両目をくわっと見開いた。_この匂いは。
『緊急事態、緊急事態。イーストエリア内にナイトメア出現。至急ゾーンに避難せよ。』
ビイン、ビインと強く鳴り響く警報が耳を突き刺す。〝ナイトメアだ〟〝嫌だ死にたくない〟とパニックになった人の群れが一斉に流れ出して、洪水のようなその匂いにウッと顔を顰めた。
「…ッハ、ケホ、……嘘だろ、」
脳を直接揺らされたような気持ち悪さでしゃがみこみ、群衆から逃げ遅れた矢先。視線の先に見えたその光景に、狛は息を飲んだ。数メートルほどの影の化け物_ナイトメアの前に、一人の少女が倒れ込んでいたのだ。まずい、このままでは殺される。逃げろと言おうとした途端、少女の怯えた瞳が此方を見上げていた。その紫苑の瞳に、吸い込まれるように導かれて─気付いた時には、地面を蹴っていた。幸いにも魔力加速が上手くいき、倒れた少女を抱きかかえてナイトメアから引き離す。怪我も無さそうなその姿に良かったと安堵したのも束の間、地面を抉る様な低い呻き声にバッと顔を上げた。振り上がる巨大な爪。護身用の武器も、もはや間に合わない。せめてこの子だけでも、と近づくその爪を睨みながら願った、その時。
「は…?」
まるで稲光のように一瞬に、狛の目の前を何かが通り過ぎた。地響きのような音を立てて倒れたナイトメアの眉間には、一本のナイフが突き刺さっている。狛はナイトメアが粒子となり消えていく光景を、ただ呆然と眺めていた。
─今の、まさかこの子が?
「やはり、見込んだ通りです」
頭が追い付かないままの狛を置いて、立ち上がった少女はぱさぱさと服をはらいながらそう告げる。地面に残されたナイフを手に取れば、それを何処から取り出したのかも分からない鞘にカチンと戻しながら、そっと柔らかく微笑んだ。
「申し遅れました。私は十二使の子の席、音子です。」
「じゅ、十二使…!?」
「はい。…実はここまでが入隊試験だったんです。試すような真似をしてしまい、すみません」
まさか、目の前の少女が十二使だなんて思いもしなかった。初めから、騙されていたという訳か。一本取られたなと肩を落とす狛を見て、音子はえへへと眉を下げて笑いながら、〝どんな状況においても一般市民を救出を優先する力が、私たち十二使に求められているので〟と言葉を続けた。高い位置に結ばれたダブルシニョンから零れた白髪が、風に靡いて揺れる。その髪先から漂う香りは透き通る程に透明で、パズルのピーズが嵌るような感覚が狛の胸を埋めた。
「狛くん、私たちはずっと君を探していました」
〝一緒に、この世界のために戦ってください〟
そう言って紫苑の瞳を細めた少女_音子を見て、どきっと胸が高鳴る。その手を拒む術を、若き狛はまだ知らなかった。