01
頭脳明晰、容姿端麗。
才色兼備を絵に描いた様な彼女は、幼なじみだ。
はじめまして、は覚えていない。いつの間にか彼女が自分のそばにいたし、いつも二人で一緒にいるのが当たり前だった。
それはもう、まわりの人達から、からかわれる程に。
いつからか、自然と距離を置く様になった。思春期特有の、何とやら、だ。
けれど、そんなよそよそしい態度の自分に、変わらない笑顔で彼女はこう言った。
「私、あなたの事が、好きよ」
まだ、その言葉に、答えは返せていない。
「ディラン・ベルメリオ!!」
突然の大声に、意識が覚醒する。
眠っていた訳ではないが、気は飛んでいた。ふわふわした視界に、馴染みの顔がうつる。
「おい、起きろ! ディラン!!」
覗き込む顔の主は、イーサン。王都外れの酒場の主人。
「お前だから泊めてやったが……俺も、もう店を出るぞ!
今日は、あの“悪役令嬢”の処刑の日だからなぁ。とっとと家に帰って、今日一日は外に出ない方が良い!」
否、どうやら寝ていたらしい。昨夜からの記憶がなかった。
ずきずきと痛む頭に手をやり、左手のガントレットがないことに気付く。
「悪酔いしていたからな……身ぐるみ剥がれて素っ裸になる前に、これだけはとっておいたぞ」
ほらよ、とイーサンがガントレットを投げて寄越す。ガチャリと重い音をたて、腕に相棒が返ってきた。
「……りがと、イーサン……ぐっ、頭がいたい……!」
「飲み過ぎだぁ、飲み過ぎ。これ飲んで、さっさと服着て帰れや。……ディランの、いつものやつにはかなわねぇけどよ」
「悪い……」
イーサンの一張羅だという服は、確かに麻のごわごわした物だ。しかし、今の下着一枚で家まで帰るよりは遥かにマシだ。
用意されていた水はスッキリとした果実水で、それをありがたく飲み干して服を着る。イーサンには、ガントレットを守ってくれたことと一晩の諸々のお礼に、いくつかの金貨を渡した。
後で屋敷からも何かを送っておこう。この酒場へではなく、彼の住み処に。
カランカランとドアの大きなベルが鳴り、ディランは外へ出た。日は昇りきっているのに、いつもの朝の喧騒はない。
皆、王都の中央に集まっているのだろう。
悪役令嬢の“最期”を、見物しに。
悪役令嬢……マルベリー・ハジェット。
水魔法で有名なハジェット家の令嬢マルベリーは、しかし水魔法の才はなく、聖魔法の使い手であった。
聖魔法の魔法使いは総じて、聖なる乙女または聖なる神子と呼ばれる。マルベリーもまた、聖なる乙女として教会に身を捧げる少女だった。
そんな聖なる乙女が悪役令嬢と呼ばれるきっかけとなったのが……貴族が通う学園で起きた、悲劇である。
この国の貴族の子女が通う魔法学園は、成人するまでの最後の3年間は義務とされる。
例に漏れず、マルベリーも学園へ入学したという。教会での奉仕活動と、学園での生活。二重の生活はとても忙しかったであろう。
ディランも鍛練に現を抜かした生活を送ったが、それでも貴族の端くれ。何とか卒業はした。
その学園生活で、マルベリーは“聖女”を殺害したらしい。
聖女とは、数年に一度現れる、魔法とは違う“聖なる力”を使う女性のことをいう。彼女達は妖精の力を借り、魔法に似た術を操る。
妖精達の最上位、妖精王達に愛される“聖女”もいるらしい。ディランは勉強したことを殆ど覚えていないため、詳しいことはよく分からなかった。
妖精達に愛される、聖女を殺害した。
それは、妖精に対し恩を仇で返す最大最悪の行為だ。守り慈しむ愛し子を、彼らから永遠に奪ったのである。
妖精達は、怒った。
一人では小さな力の妖精達も集まれば、人間より遥かに大きな力になる。特に聖女を愛し常にそばにいたという、水の妖精の力は他の妖精より強かった。
怒り狂った妖精達は学園の子ども達を無差別に襲い、死者や負傷者が多数出たという。教員達や校舎にも被害が出て、学園は休園したまま一月がたった。
子ども達の平和な日常は血と涙に濡れ、阿鼻叫喚の地獄絵図の中……マルベリー・ハジェットは、高らかに哄笑をしていたと伝え聞く。
帰路を急ぐディランは、歩を進めながらも躊躇する。家へ帰るには、王都の中央近くを通らなければならなかった。
近付く罵声に、自然と体が強ばる。ムカムカと胃から何かがこみ上げるが、飲み込むようにごくりと喉を鳴らした。
「……ここにいる人達全てが、彼女の死を願っているのか……」
中央広場には、大勢の人が集まっていた。
思わず口から出てしまった言葉に、気付く者はいない。空を割らんばかりの罵詈雑言が、ディランの呟きをかき消してしまう。
無意識に足を止めて、ディランは広場の端から中央の異物を見上げた。
人々の頭より上に、巨大な水の塊が浮いている。キラキラと歪に光を反射するそれは、その中心に少女を閉じ込めていた。
真っ赤な長い髪は水の中に広がり、眠っているのか少女はピクリとも動かない。
「罪人、マルベリー・ハジェット」
魔石装具を使ったのか、男の声がどこからか響く。観衆は皆、ピタリと口を閉じた。
「聖女殺害、及び未来ある若者の貴重な命、希望を奪った罪、その他多くの人や物を傷付けた罪により……死罪とする」
静まった広場に満ちる朗々とした声に、全員が固唾を飲んだまま耳を傾ける。
「……聖女と共に在った妖精は、罪人をこの水牢に閉じ込めた後、消息を断ったという。妖精の力には、我々人間は干渉できない。よって、その妖精本人にしか開けられないこの水牢を、最果て、クリュスタの氷穴に封じるとする」
ざわり、と広場に動揺が走った。
大罪により死罪とするのに、人間には手が出せない。よって、クリュスタに封じる?
殺すんじゃないのかよ、と誰かが叫んだ。
「俺の……俺の妹は、学園に掃除婦として働きに行ってたんだ……あの日、仕事じゃなければ、休みであれば、こんな早くに、死んじゃうことなんて、なか、……ううっ!」
男の慟哭が響いた。
それを機に、あちこちから野次が飛ぶ。耳を塞ぎたくなるような数の怒声に、誰もが平静さを失った。
「……静まれ」
魔石装具から、別の声がした。
氷のように冷たい、若い男の声。
「最果てのクリュスタには、私が責任をもってこれを封じる」
「アーヴィン」
また別の男が、若い声を諌めるように呼ぶ。
「妖精の力は破れないが、私の力を破れる者もいない。……これで文句はないだろう」
パキパキと、冷たく硬質な音がした。浮かんでいた水の塊が、少女ごと氷に包まれる。
氷魔法、アーヴィン。その魔法と名に、ディランは覚えがあった。
「アーヴィン・キュアノス。私の氷魔法を破る自信があるのなら、クリュスタの城まで来い」