第7話 彼女のために
翌日、早朝に目覚めた私はいつもの習慣でスーツに着替えて出社の準備をしようとしていた。
相変わらず、元の姿に戻っている筈もなく少女の姿をしている私は置かれた状況に溜息を漏らすしかなかった。
(わかっていた筈なんだがなぁ)
キャスティルが退職届を出してしまったおかげで、今の私は無職だ。
無意識に染み付いた社畜根性は我ながら呆れてしまう。
今後の生活については香苗ちゃんと話し合う機会を設けておきたい。
キャスティルの用意した一億円に手を付ける気にはなれず、仮に手を出したとしてもローン返済と老後までの生活に割り当てたら簡単に底を突くだろう。
元々貯金してあったお金を切り崩して香苗ちゃんと旅行へ出かけようと考えているが、その後は就職活動に励むしかない。
「圭吾君、おはよう」
台所から香苗ちゃんが姿を現すと、どうやら朝食を作ってくれていたようだ。
「おはよう、もう少し寝ててもよかったのに」
「睡眠は十分にとれたから、大丈夫だよ。圭吾君の方こそ、昨日は色々と大変だっただろうし、まだ寝ててもよかったんだよ」
「はは……どうってことないよ」
いつもの習慣で目が覚めたとは言えず、曖昧な返事をしてしまう。
私も朝食の手伝いを申し出ると、それなら包丁でネギをみじん切りに刻んで欲しいと頼まれて私も台所へ立つ。
「包丁の扱い方はわかるかな?」
「それぐらい大丈夫さ。ここは私に任せていいから」
心配そうに声をかける香苗ちゃんに対して、私は胸を張って返事をする。
本当はロクに料理はできないが、みじん切りぐらいなら香苗ちゃんの手を煩わせずともできる自信があった。
それならばと香苗ちゃんは作りかけていた料理を仕上げるために再開する。
私は香苗ちゃんにバレないように、スマホを彼女から見えない視角に置いてネギのみじん切りについての動画を視聴し始める。
手順通りに進めていけば、料理の初心者である私でもできる。
そんな安易な考え方がまずかった。
動画はさくさくと包丁でネギに切り込みを入れていくが、私が実践すると包丁は切り込みを入れるどころかネギを真っ二つにしてしまった。
気を取り直して、何度も挑戦を続けてみるが結果は惨敗。
それどころか、包丁で指を切ってしまいそうになって危なっかしい場面もあり、自身の不器用さを露呈してしまう。
こんな筈ではと焦りながらも、ついには包丁で指先を切ってしまった。
幸いにも傷自体は大したことなさそうなので、私は指先を口に入れて止血を試みる。
「大変! 早く手当てをしないと」
「このぐらい、ツバをつけとけば治るから心配ないよ」
「ばい菌が入ったりしたら大変だよ。救急箱を取って来るから、ソファーでじっとしていて」
一連の作業を見守っていた香苗ちゃんは私をソファーへ座らせると、救急箱を取りに行って傷の手当てをしてくれた。
手伝いに貢献するどころか、余計な心配と苦労をかけさせてしまい申し訳なく思う。
「ごめんね……香苗ちゃんには迷惑かけっぱなしだ」
感謝より謝罪の言葉が出てしまった私は自身の非を認めて香苗ちゃんに頭を下げる。
彼女のためにと行動に移したが、空回りする自身の不甲斐なさに情けなくなってしまう。
「何か足りない食材とかあったら、買いに行って来るよ」
「もう間に合ってます」
「そっか……」
「後は私がやるから、圭吾君は席に着いて大人しくしていてね」
私は肩を落として溜息を漏らすと、香苗ちゃんの言う通りにしてテーブルへ着く。
台所からサクサクと包丁でネギをみじん切りにする音が聞こえる。
本来なら、あんな風に私もいいところを見せたかった。
「朝から騒々しいな」
私は予期せぬ声にハッとなって後ろを振り返ると、そこにはカーキ色のトレンチコートを羽織ったキャスティルが壁を背にして立っていた。
鋭い目付きは健在で彼女は私を一瞥すると、その先にいる香苗ちゃんへ視線を移す。
(いつの間に……)
インターホンも鳴らさず、勝手に入って来るとは何様なんだ。
文句の一つでも言おうかと思った時、キャスティルは私の隣に座ってテーブルに着く。
「土足で我が家に侵入して何様なんだと言いたい顔をしているな」
「なっ!?」
私の心を読み解いたのだろうか。
口にしようとしていたことは奥に引っ込んでしまい、私は驚いた顔を隠せないでいる。
「本当に分かり易い奴だな。まあ、それがお前さんの長所でもあり短所かもしれないがな」
涼しい顔で私の心情を分析しているが、こんな朝から何をしに来たのだろうか。
暇潰しなら帰ってほしいところだが、台所から香苗ちゃんが朝食の料理を運んで来ると笑顔でキャスティルを迎え入れてくれた。