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中編

アイツはあの日以降、隠し財宝の事を何も言わなかった。


相変わらず狭くて汚ねぇ俺の仮住処の片隅に身を寄せて生活している。

こんなドブの中みたいな生活に、意外にも小園の元坊っちゃんは馴染んでむしろ楽しんでいるようにさえ見える。

チラリとその事を聞いたが、俺と出会うまでの生活に比べれば天国だと無垢に笑った。

変わったことと言えば、部屋の隅で世の中の全てを恐れてビクついていたヤツが、あの日以降、元気に外に出ていくようになった事だ。

どうも死にかけてドロドロの蛆虫みたいだったそいつをダメ元で押し付けたヤブ医者のところで手伝いなんかをしているらしい。

まぁ、こんな場所でもヤブ医者のところなら昼間のうちは比較的安全と言えるので放っといた。

そんなアイツを遠目で確認し、どうすべきか考えた。

安物の紫煙をくゆらせる。

そこにこの街に来てからできた知人が近づく。


「綺麗になったな?連れてきた時はそんな薄汚い死に損ないどうすんのかと思ったけどよ……。アレならいい買い手がつく。」


ニヤッと笑って見えた歯は黄色い。

俺はそれに興味なさげに煙を吐いた。


「まだ売らねぇ。用が済んでねぇからな。」


「とか言いつつ手放すのが惜しくなったんじゃないか?随分と懐いて甲斐甲斐しいそうじゃねぇか?」


「俺にその手の趣味はねぇ。」


「そうかいそうかい。でもまぁ、あんま長く手元に置くべきじゃねぇ。ああいうのはこの掃き溜めには綺麗すぎんだ。厄介なのに目をつけられねぇうちに手放した方がいい。」


「……………わかってる。」


「まぁいいさ。どこの旧家のなれ果てかは知らねぇが、もしそっちの手解きが必要なら俺を呼んでくれよ?女じゃなくともあんな上玉だ、タダでとは言わねぇからよ?」


「考えとくわ。」


そう返すと満足したのか、ニヤリと笑ってそいつは去って行った。

姿が見えなくなってから、ペッとツバを吐く。

反吐が出る。

これなら糞爺の糞尿の方がマシだ。

とはいえそいつの言う事は最もだ。

回復したアレはこの街じゃ目立ちすぎる。


「破れても小袖か……全く扱いにくいったらありゃしねぇ。」


金持ちは相手を選びたい放題。

旧家など長年容姿も素養もある女を選んで繁殖してきた連中だ。

その交配の上に産まれたアイツは、見た目も中身もここいらにいる雑種とは訳が違う。


「見つかりゃ礼を受け取っておさらばだったのによ……。面倒な事になった。」


アンタは何も言わない。

身分を買い戻せるであろう隠し財宝の目の前まで行ったと言うのに、何事もなかった様に掃き溜めで微笑む。

おそらく中には裏切った連中を地獄に落とせるモノだってあるだろうに何も言わない。

かえって不気味だ。


「……何考えてんのかわからねぇ。」


俺が思い出すのを待っているのか?

それとも本当に諦めたのか?

このままここで生きていく気なのか?


「……信頼。信頼って何だよ?糞爺……。」


あれから必死に考えた。

だが爺さんから言われた事の中にそれらしいものなどない。

あるとしたらトンネルの話だけだ。


出口が目の前にある、抜けられないトンネルの話。

その意味を知りたければ信頼を示せ。

それを示せばその意味と真価を見るだろう。


一応、話を確認し合ったが、話はほぼ同じで最後が少しばかり違うだけだった。


アイツが知ってんのはこうだ。


それを抜けるのは容易く、留まるのは難しい。

隣人の言葉を聞き、信頼を受け取れ。

真意には真意で答えよ。

必要なものは全てそこにある。


家長の独断による独占を防ぐ為に、ストッパーとしてもう一つの鍵が必要になっているとアイツは言った。

その鍵を爺さんから俺が預かっている筈だと。

どちらかが裏切って富を独占しようとした場合には手に入らないようになっているのだと。

俺達二人揃わなければそれは見つけられないのだと……。


「そう言うのははっきり言いやがれ!糞爺!!俺はあんたらと違って頭がいい訳じゃねぇんだ!!隠された暗号なんかわかるか!!信頼なんてわかりにくい例えから答えを見つけられる様な聡明さは持ち合わせてねぇっての!!」


この数日、とにかく必死で考えた。

だが思い出せるのは、何故自分がと苦しみ、なのに罵倒され蔑まれ踏みにじられる日々だ。

同じ家に生まれた子供なのに、何故自分は疎まれなじられ、誰もやりたくない事を押し付けられ、文句を言おうものならごく僅かな食事さえ取り上げられ、ひもじさとやるせなさと絶望の中に生きなければならないのかと思ったあの頃。

それでも親に家に縋らなければ生きていけなかった幼い日々。

爺さんが死んで、まだ一人で生きるには不安が残る年頃で追い出したのは、この先歯向かうに必要な体と筋力を身につける事を恐れたからだ。

ビタ一文渡さなかったのは、復讐を恐れ、のたれ死ぬかどこかに逃げられない家畜として捕らえられる事を望んだからだ。


「……チッ!!」


あの頃の気持ちが沸々と思い出され苛立った。

奴らの思惑は外れ、俺は何とか生きている。

その為には何でもした。

アイツらの思惑通りになど成るものかと、必ず這い上がるのだと、文字通り必死に生きる事に齧りついた。


それを支えたのは何だったのか……。


「……ただいま、園田。今日は出かけないのかい?」


ボロいドアを開け、アイツが帰ってきた。

肥溜めを這い回る蛆虫の様だったそれは、今は羽化した蝶の様にそこにいた。

生まれを隠しきれない凛とした気品を漂わせ、世の中の汚さなど何も知らないかの様に微笑んでいる。

俺はそれを何の感情もなく見返す。


「往診を手伝ったら肉団子を貰ったよ。君も食べるだろう?」


「……あぁ。」


何の肉かはあえて聞かない。

コイツに持たせたのならそう悪い肉ではないだろう。

だがお前が親切だと言うヤブ医者にも肉屋の婆さんにも夜には別の顔がある。

日差しの中でしか飛び回らない蝶には知る由もない話だろうが。

簡単な食事を終え、休む支度をするそいつとは逆に俺は出かける支度を整える。


「仕事かい?気をつけて。」


「お前もな。この街じゃ家の中にいたって別に安全な訳じゃねぇんだからな。」


「知ってる。」


「帰ってきてお前がいなくても俺は気にしねぇからな。」


「知ってる。」


そいつはただ微笑む。

妙に苛立ち胸の奥がざわついた。

嘘をついたからだ。

帰ってきていなくなっていたら、俺はおそらくこいつをまた探すのだろう。


何の為に?


単なる習慣だ。

一文無しで反吐に汚れた地べたを這いずり回りながら、俺はお前を探す事をずっと考えていた。

お前を見つければ富を手に入れられると爺さんが言ったからだ。

信じていた訳じゃない。

話半分の絵空事だ。

それでも、その絵空事を頼りに生きてきたのだ。


「……だと言うのに、結局、富は手に入らなかった訳だ。」


暗い夜道に出て、安い紙煙草に火を付ける。

夜の街は昼間とは別の顔をしている。

何の物音もしないようで、眠っている訳じゃない。

ただ息を殺し闇に目を光らせているだけだ。


「………………。」


昼間、言われた事を思い出す。

アイツをいつまでも手元に置いておくのは危険だ。

富は手に入らなかったのだから手数料を頂いても罰は当たらないだろう。

なんだかんだ手を焼いて育てた、多少情の移った綺麗な蝶だ。

せめて最後まで大事に飼ってくれる所を探してやろう。


「……俺は言われた事はやってやったんだ。怨むなよ、糞爺。」














「……園田?!」


俺が帰ると、アイツはそう小声で叫んだ。

チッと舌を鳴らす。

空はまだ白み始めたばかり。

見つからないよう、物音を立てずに入ったつもりだったが、どういう訳か起きていやがった。

血相を変えて飛びついてくるそいつを振り払う。


「構うんじゃねぇ……。」


喋った拍子に切れた唇がビリビリと痛んだ。

苛立たしく奴を押し退ける。


「何言っているんだ?!何があった?!ボロボロじゃないか?!」


それでもしつこく付きまとう。

鬱陶しいったらありゃしない。

面倒になった俺はそいつを無視した。


「……由伸。」


だが、こいつもこいつで譲らない。

狭くてゴタゴタ荷物のある玄関口で揉み合う。


「由伸。」


「……黙れ、光輝。」


「由伸、僕を見るんだ。」


そう言って有無を言わさず顔を突き合せさせられる。

目の前には凛とした双眸。

小奇麗でなよっちい顔の中に、それはあった。


「…………何があった?」


「テメェには関係ねぇ……。」


俺はその両眼を見ていられなくて、プイッと顔を背けた。

けれどそいつは肩を貸すように無理矢理引っ張って、俺を狭くて汚いベッドに座らせた。

そして夜から朝に変わっていく僅かな光で俺の状態を確認した。


「……傷の手当が終わったら、すぐにここを離れよう。」


「……………………。」


手慣れた様子でそいつは簡単に荷物をまとめる。

誰に教えられた訳でもなく、自然にだ。

まるでそうなる事を予想していたかの様だった。

何も言わない俺の手当を簡単に済ますと、手袋を差し出してくる。


「??」


「もしも相手が警察を使うなら、指紋と靴には気をつけた方がいい。」


そう言って、履いていた靴に古タイヤから取ってきたようなゴムを粘着テープでくっつけた。

テキパキと動くそいつに俺は笑った。


「……随分と手慣れたご様子で。」


「先生が良かったからね。」


「俺は何も教えてないぞ。」


「見て学べと言われて育ったからね。」


「……さいで。」


それ以上、何も言う気が起きず好きにさせた。

俺は少し項垂れてこの先の事を考えていた。

そしてアイツが離れた隙に、ベッドの下から物を取り出して隠し持った。


「……………………。」


「行こう。歩けるか?由伸?」


立ち上がってみたが、足首をやっちまったようで激痛が走った。

思わず顔を顰めて座り込むと、アイツは駆け寄ってきて足の様子を見、そのまま粘着テープで固定した。


「……こっちも手慣れてんな。」


「伊達に先生についてた訳じゃないよ。」


「見て学ぶってか。」


「そういう事。でも今は時間ない。後で改めて手当するよ。」


そう言ってそいつは俺に手を差し出した。

ムッとして振り払ったが結局うまく歩けず、肩を借りる。


「……ある意味、一番いい時間だね。」


「まあな。夜の奴らは仕事終わり、昼の奴らはまだ寝てるか起き抜けだ。」


茶化すように微笑んだ光輝に、俺も仕方なく付き合った。

朝日が差し込む前でも空は案外明るい。

俺達は太陽から逃げるように街から姿を眩ませた。











どうして……。


どうしてお前はまたここに来たんだ……。

俺は顰めそうになる表情をどうにか抑えてそこに立っていた。


そのままでは駄目だったのか?


心のどこかでそう問うていた。

何故、そんな疑問を投げかけたいのか理解できぬまま。


俺達はまた、あの小園家の隠し財宝のある扉の前にいた。

その前にあいつは立っている。

じっと扉を見つめ、立っている。


開けた所であのよくわからないトンネルだ。

そしてその謎を俺達は解いていない。


「……今更ここに来てどうする?」


「確かめたい事があるんだ。」


覚悟を決めた声。

それが何かはわからないが、こいつは腹を括っている。

そしてゆっくり俺に振り返った。


少し自信なさ気な、困ったような顔で微笑む。


「……もしも開ける事が出来たら、これで乾杯しよう。園田。」


「……開ける事ができたらな。」


アイツが取り出したのは、安物の携帯ポットだ。

その中にはコーヒーが入っている。


俺達の様なその日暮らしのクズには贅沢品だ。


ヤブ医者からもらったというそれを後生大事に持っていたのに、今日ここに来ると決めた時、お前はそれを入れてポットに詰めた。

嗅ぎなれない匂いを不思議がる俺に対し、お前は懐かしいと少し涙ぐんだ。

その涙にお前が幼いころ見ていたであろう日常を垣間見た。


提灯に釣り鐘だ。


俺とお前は似ているようで何もかもが違う。

その証拠にお前は泥臭い掃き溜めにいても、美しい蝶として凛と存在していた。

同じ様に肥溜めを蛆虫の様に這った過去があるのに、お前はその姿を何一つ穢す事なく蝶となった。


その事実に俺は今更ながら打ちのめされた。


それが憎しみなのか僻みなのか自分でもわからない。

ただ胸の中が醜くざわついた。


だから俺はお前を冷めた目で見ている事しかできなかった。

ずっと変わらず俺に微笑むお前を、冷たく見ている事しかできなかった。


「園田。」


「なんだ。」


「……お祖父様は君に僕の名を教えたか?」


そう問われ、少し考える。

孫の名が「光輝」だと俺は知っていた。

だが、それは爺さんから聞いた事だっただろうか?


「……いや?どうだっただろう……?爺さんはいつも孫が孫がと言っていたしな……。」


なら何故、俺はこいつの名が「光輝」だと知っていた?

探していて聞いた事だっただろうか?


「………………。いや?それでも、爺さんが死んで家を追い出される時には、孫の名が「光輝」だって知ってたな……?」


人がこんな目にあっているってのに、ムカつくほど光り輝いた名だなと苛ついたのを覚えている。


「だが……爺さんは……?」


孫としか言っていなかった。

だったら何故、俺はその名を尋ねなかった?

助けろだの何だの言われていたのに、なんて名なのか俺は聞かなかったのか?


「……どういう事だ?何で俺はお前の名を知っていた?」


「やっぱり……。これで謎が解けたよ……。」


ヤツはそう言うと、壊れかけたテーブルに紙を広げ、何かをずらずらと書いていった。

数字ばかりのそれを、何を解いているのかすらわからないで俺は見ていた。


「何をしているんだ?」


「僕の名の画数を使って数え歌を変換して、それらから素数を探してる。」


「……は?」


「いいんだ、そんな事は……。」


そう言われ、ムッとする。

頭の作りの違いを見せつけられているようだった。


「……トンネルはダミーだ、由伸。いや、必要な仕掛けでもある……。だが財宝は多分トンネルの中にある訳じゃないんだ……。」


ブツブツと呟きながら、数字に丸をしていく光輝。

俺はそれを苛立ったような冷めたような目で見ていた。


「お祖父様は君に……暗示をかけたんだ……自分が死んだ時に……僕の名を思い出す様に……。」


「何だよそれは。まどろっこしい。」


「君を守る為だよ。お祖父様が僕の名を出さなかったのも、僕を探すだろう君にアイツらが目をつけて危害を加えない様にする為だよ。」


「ひいてはお前を助ける為だろ。」


「それもあるけれど、お祖父様は君を愛してた。僕はそう思うよ。」


そう言ってそいつは顔を上げた。

真っ直ぐな眼で俺を見る。


凛とした双眸。


その眼差しに覚えがあった。


「…………あ……。」


「え?」


「………………爺さんの……眼だ……。」


「え?」


「正気に戻ってからの……爺さんの眼だ……今のお前の眼……そっくりだ……。」


自分でも自分が何を言っているんだろうと思った。

だがそれで思い出した。

爺さんは時々、俺の目をじっと見ながら何かを言った。


今は忘れなければならない言葉。

だが、決して忘れては行けない言葉。


「……光輝…………。」


「うん。ここにいるよ。」


そういう意味じゃねぇと言いたかったが、そいつは嬉しそうにはにかんで微笑んだ。

そうされると何も言えなかった。


「やっぱり、お祖父様は君を愛していたんだよ……。」


「……知らねぇ、そんな事。」


プイッと顔を背ける。

爺さんは下の世話も自分でできなくて汚くて臭くて……。

でも……、あの頃のあの家で、唯一自分を褒めてくれ、認めてくれ、頭を撫でてくれた。


そんな俺を見つめ、アイツはいつもの様に微笑んだ。

そしてテーブルに視線を戻し、じっと見つめる。


「……答えが出たよ。おそらくこれで扉は開くはずだ。」


光輝はそう言った。

そして一瞬だけ怯えたように目を瞑り、俯いたまま手をグッと握った。


俺はそれを何の感情もなく見つめる。

光輝が何を考えてここに来て、なぜ今、そんな顔をしたのか、わからなかった。

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