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第八話 遠い昔からの巡り合い

 冷たい風がひゅうひゅうと寂しげな音をたてて、薄暗い洞窟を吹き抜けてゆく。

 日差しがあまり差し込んでこない自然洞窟の中には何もない。見えるものは苔むした岩壁ばかりという、寂寥(せきりょう)感しかないところ。何十年も何百年も変化していない、生きながらにして死した小さな世界。

 だからこそ、どこよりも静かで過ごしやすい至高の寝床でもある。


 今日も心地よい暗がりの中で、独り安らかな眠りにふけ続ける。

 そうするつもりだったはずなのだが。


 あの緑竜が今頃何をしているのかが気になってしまって熟睡できやしない。

 前の相談からうまくやれているのかを知りたいという思いが、頭の中でぐるぐると巡り続けているので、どうも落ち着いていられない。


 最近あの緑竜は、うまく人間の娘と付き合うことができているからなのか、なかなか報告と相談をしにやってこない。

 それが欲求不満に拍車をかけてくるのだ。


「……いや、我慢する必要などないか」


 ふと、この好奇心を抑える必要はあるのだろうかと考えてみて、即座に『無い』との結論に至った。


 今までずっと寝転がっていた理由はなにか。それは疲れていたからだ。疲れてなにもやりたくなかったからだ。

 だが今はやりたいことがある。ならば寝転がり続ける理由はあるだろうか。いや、無い。


 今までねぐらに引きこもり続けてきた理由はなにか。それは疲れていたからだ。疲れてなにもやりたくなかったからだ。

 だが今はやりたいことがある。ならば引きこもり続ける理由はあるだろうか。いや、無い。


 ここに留まり続ける理由はどこにもない、間違いない。

 やや自己暗示ぎみにそう決意すると後ろ足に力を入れて、ほんとうに久しぶりに立ち上がった。


 白金の鱗の隙間に入っていた砂ぼこりがぱらぱらと落ちる。下半身に張り付いていた苔が崩れてぼろぼろと剥がれてゆく。足元に潜んでいた種々の虫たちが、新たな隠れ場所を求めてぱっと散開する。

 少し動くだけでこの騒ぎようだ。


 四肢で体を支えて、全身の動きを確かめてみる。前足を動かす。後ろ足を動かす。首を回す。翼を軽く羽ばたかせて、尾をひと振りする。


 違和感も倦怠感もない。関節が痛んだり軋んだりすることもない。それどころか、あふれんばかりの力で満ちており、今すぐにでも狩りをしに駆け出せそうだ。


 この体は何十年も動かずにいようとも、わずかに衰えることすらなかった。我ながら頑丈なものである。

 いろいろと複雑な想いだが、とりあえず動くことに支障はないだろう。


 さあ、目指すは人間の娘の住処とやらだ。巡り合わせが良ければ緑竜も居合わせているはず。

 果たしてふたりはどのように山での暮らしを送っているのだろうか、未知への期待と興味で胸がいっぱいだ。

 全身を振るって埃を払ったあと、飛び立とうとする直前で一時思い留まる。


 このまま外に出るのはまずい。


 永い時を生きることで得た巨体と、神秘的に輝く白金の鱗を持つこの姿は、真昼の山では目立ちすぎる。

 下手に動き回ると周りの獣を怯えさせ、近くに住み着くようになったらしい人間たちに存在を悟られてしまう。

 なにより、あの緑竜と娘を大いに驚かせてしまう。それは絶対に避けなければならない。


 よって、目立たないよう小ぶりな生き物に化けてから出かけることにした。


 目を閉じ集中をして、これまた久しぶりに竜族の能力を働かせる。

 石ころ程度しかない小さな外衣を作り出して、そこへ竜の巨体を強引に詰め込む。衣を粘土のようにこねくり回して、翼のある生き物の形に整える。


 そっと目を開けると、世界の全てが巨大化しているように見えるが、それは自分が小さくなったためにそう錯覚しただけだ。


 短くなったがよく回る首を動かして自身の姿を確認してみると、青い羽根を持つ小鳥へと完全に変化していた。

 これならば、誰にも見られず誰も騒がせずに動くことができるだろう。


 小さな翼を忙しく羽ばたかせて舞い上がる。冷たく薄暗い洞窟を素早く通り抜けて、ねぐらから飛び出した。


 まずは雲に届くほどの上空まで登って、自分の縄張りを見渡してみる。


「……変わらんな」


 ねぐらのある雲より高い山を中心として、普通の背丈の山々がいくつも連なっている山岳地帯では、今日も実り豊かな森が青々と茂っている。

 種々の鳥たちが忙しく飛び回りながらさえずりを交わし、肉食の鳥がそれを狙って急降下する。

 森の隙間をぬうようにして狐が駆け抜けていき、それに食らいつくべく一匹の狼が猛追する。

 二つ向こうの山では二頭の翼竜が競うように飛び交っていて、火を吐き合っている。


 この地形も、この色も、住み着いている者の営みも、数百年前からほとんど変わっていない。

 辛うじて変わっているのは、やはり人里ができているところか。

 高山から山を一つ挟んだ先にある盆地が丸々切り開かれて、人間の建物がぎっしりと建ち並んでいる。面積からして人口が万に届きそうなほどの大きな街だ。

 竜の心を奪ったという人間の娘は、あそこから逃げてきたのだろうか。


 人里から視線を離して、縄張りの視察を切り上げる。


 娘は山の泉の近くに家を作って住んでいる、と緑竜は言っていた。

 ねぐらのある山を流れる泉川を目線でさかのぼってみると、そこに成竜でも悠々と泳げそうな程度の大きさがある泉がある。立木の密度が低くてちょっとした広場になっている、見晴らしが比較的良いところだ。

 確かにそこから人間のものと思われる気配を感じる。ちょうどあの竜も居合わせているようなので、都合が良かった。


 さて、ふたりはどうやって一日を過ごしているのだろうか。好奇に胸を躍らせながら向かってみることにした。


 ところで、人間の気配からなにか懐かしいものを感じるのは気のせいだろうか。そんな違和感を覚えながら翼を羽ばたかせて、くだんの地へと舞い降りる。

 ただの鳥のフリをして適当な枝にとまり、ざっと辺りの様子を見てみる。


 透き通った水をたたえる泉のほとりに、木材を組み合わせて作られた小屋がある。

 外観は粗末ではあるが、専門家でもないであろう娘らが手掛けたにしては立派な造りだ。物置小屋くらいの大きさがあるので、一人で住むには充分だろう。


 そんな小さな屋敷のそばで、緑の竜と人間の娘が仲むつまじげに語らっていた。


 娘の正面側に回って、その姿をよく観察してみる。

 みすぼらしいボロを身にまとっている、成人前くらいと思われる年頃の少女である。

 不揃いに伸びた茶の短髪も、浅く日に焼けている肌も、全体的に傷んでいる。満足に食ってこれなかったのか小柄で痩身なのも相まって、浮浪児といったナリだ。

 顔立ちは人間としては癖のないもの。人間の醜美は未だによくわからないが、容姿は悪くないほうかもしれない。


 一目見た印象としては平凡な娘だと思う。

 ただ一点、その目だけは除いて。


 黄金のようなきらめきをもつ茶の虹彩には、竜のそれと同じ縦に細く伸びた瞳孔があった。

 さらにその気配に、匂いに覚えがあった。

 いや、覚えがあるどころではない。これは自分自身の匂いだ。私だけがわかる近親者の匂い、同じ血族の匂いだった。


 ありえない、まさかこんなことがあろうとはと、無意識のうちに身が震える。

 そして、大昔に過ぎ去って久しいことを、思い出さざるを得なくなってしまった。


 かつては私も、あの緑竜と同じだった。

 ある日、森の中で出会った一人の人間に心を奪われて、底の無い情愛の沼にどっぷりと浸かってしまったのだ。


 紆余曲折の末にすべての障害を乗り越えて、ついには子を授かった。

 さらに子が他の人間と結ばれて、孫に、ひ孫に、玄孫に、多くの血族に恵まれることになった。


 子孫たちは人間として生まれはしたが、竜の血を引くがゆえに、ただの人間よりも優れた能力を持っていた。

 その力でもって一つの村を、村を発展させて町を、やがては国を作りあげて、大いに繁栄した。


 私も子孫たちの繁栄による恩恵を享受した。

 子孫とその民たちの人生を傍らで見守り、幸せにしてやるために惜しみなく助力した。


 しばらくすると私は、民を導く大いなる母と呼ばれて、多くの人間たちから崇められるようになった。

 やがて、人間の国の守護神として信仰を受けることで下級の神格を得て、神として信仰の力を民に与えるようになるにまで至った。

 そうして得た力を駆使することで、国の繁栄を支え続けた。


 あの頃は確かに、今生の絶頂を見た。頂点に至ったからこそ、その後の凋落は必然だったのだろう。


 豊かさに慣れた子孫たちは増長して、自らを神であると思い込むようになった。そのせいか、神となった私を疎ましく思ったようで、様々な策謀を企てることで排除に走ってきた。

 己の血族たちと不毛な闘争を強いられることになったのだ。


 挙句の果てには一方的に邪神認定をしてきて討伐計画まで立ててくれたが、私が本格的な反撃に出る前に、数人の子どもを残して自滅し果てた。

 そのとたんに国は勢いを失って、瞬く間に荒廃していった。


 私はそこで心が折れてしまった。今までやってきたことは何だったのだろうかと深く絶望した。

 わずかに生き残った子孫たち、荒れていく国、凋落にあえぎ苦しむ民たち、それらすべてに見切りをつけて、逃げるように国から去った。


 あれから子孫たちがどうなったのかはわからない。風の噂で、程なくして強国の侵略を受けて皆殺しの憂き目にあったと聞いたくらいだ。

 今までずっと、そうなったのだろうと信じて、思い出さないようにしていた。


 だが、生き残りがいたというのか。

 あれから何千年も経っている。それが今の時代に至るまで、細々と血脈を継いできたというのか。

 かつて私が愛したあの人の残り香が、まだこの世に残っていたというのか。


 ああ、なんという巡り合わせなのか。運命のいたずらとは、まさにこういうことを言うのだろう。


 あの娘に直接話しかけたくなる。今までどう生きてきたのかを根掘り葉掘り聞きだしたくなってくる。

 だがそうせずに、あえて引き下がる。思うだけで直接手を出すことだけは決してしない。


 私は一族に失望して見捨てた身なのだ、今さら合わせる顔などあるものか。

 それに時間が経ちすぎた。娘のほうは、こんな縁など知る由もないはず。会ったところで無用の混乱をもたらすだけに決まっている。

 陰からそっと見守るだけで充分だ。


 そう思って、幸せそうに語らっているふたりの姿をもう一度視てみる。が、直視していられない。

 かつて失ってしまった諸々を幻視してしまうので、嫌な思い出が胸中に去来して苦しくなってくるのだ。とても心穏やかな気持ちではいられそうにはなかった。


 ふたりの会話を盗み聞きでもしてやろうかと思っていたが、この調子だとそれどころではない。

 頭を冷やしたほうが良さそうだ。無理をせずに日を改めることにした。


 小さな翼を広げて空へと飛び立つ。振り返ることなく、まっすぐにねぐらへと向かう。

 その道中で独り思う。次に緑竜が相談をしにやってきたら、いつもより真剣に相手をしてやるか、と。

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