第六話 異種の隔たり
今日もねぐらの洞窟で暇を持て余していると、あの緑竜が空を飛んでやってきた。
これまた見ているだけで気が滅入りそうな暗い顔をしている。また悩み事ができたらしい。
景気の良い話を持ってきて欲しいとは思うが、そもそも問題があるからこそ私を頼ってくるわけなので難しいか。
私とこの竜とでは、生きてきた年数も力の強さも、なにもかもがかけ離れ過ぎている。普段は必要がなければ、恐れて近寄ってくることはないのだ。
この頃は相談事で顔を合わせることが増えたので、多少は打ち解けてきた気はするが。
「……さっきからそこでなにをやっているのだ?」
翼を収めた緑竜は、私のもとへやってくる途中で立ち止まると、その場で立ち尽くしていた。頭を垂れて鼻先を地につけながら、ひどく落ち込んだ様子で黙っている。
意味がわからない。訪問してきておいて、何も用件を伝えることもせずに突っ立っているとは、なんのつもりなのだろうか。
一声かけてみても、緑竜はなにも答えはしない。
ただしょんぼりとたたずんでいるばかりで、まるで私の声が聞こえていないかのようだ。
「おい、聞こえているのか。いい加減に答えんと、ここから叩き出すぞ」
しばらく待ってみても、ひとつ脅しの言葉をかけてみても、やはり辛気臭い顔のままだんまりを続けてくる。
本当に何事だというのか。急に覚えのない類のふるまいをしてくるので、どうすれば良いものやらと戸惑ってしまう。
いつになく沈んでいるところを見るに、これはあれか、なにか今までにない大事件でも起きたのか。話をする気力すら失せてしまうことでもあったのか。
ありそうなこととして考えられるのは、娘とケンカした、娘が行方不明になった、娘が帰ってしまった、このあたりか。
このままでは埒があきそうにないので、思い当たることを順に尋ねてみることにした。
「なんだ、娘と口論でもしたか?」
「なっ! な、なぜわかったのですか!? まだ何も言ってないのに!」
緑竜は急に正気に返ったように頭を上げると、口をあんぐりと開けるマヌケ顔をして、驚愕の叫び声をあげた。
「……まったくおまえは」
だいたい予想通りだったらしい。道化のごときおおげさな反応がおかしくて、つい破顔してしまった。
このように笑ったのは、何気に久しぶりである。この竜は本当に楽しい気分にさせてくれる。これからいったいどんな話をするのだろうか。
緑竜はきょとんとした顔をすると、急に回れ右をしつつ翼を広げて、そそくさと洞窟から飛び出していってしまう。が、即座に戻ってきた。
地面に降り立ち翼を収め、すたすたと早足でこちらへ歩み寄ると、姿勢よく座ってから面を上げた。
「古き竜よ、相談させていただきたいことがあります」
「……娘のことだな。話すがいい」
しれっと仕切り直してきているが、それでごまかせているとでも思っているのだろうか。
いじり倒してやりたい気分になるが、今はやめておく。私としては、さっさと本題に入りたいのだ。
「今から五日前のことです。娘と話をしに泉に行ってみると、山の獣が娘に襲いかかっていました。僕は娘を守ってやるために、すかさず獣を喰い殺してやったのですが、娘はなぜか僕の行いを非難を、ひ、非難をしたのです」
そこで緑竜の眼が、死んだ魚のように濁り始めた。
「それからなんです、娘がすね始めたのは。『謝るまで』……『口を利かない』と言って、冷たくしてくるばかりで。僕は、ぼ、僕は、なにが間違っていたのでしょうか」
一語ごとに声の震えが増していって、言葉が聞き取りづらくなっていく。なにかの病気かと思えるくらいに足を震わせていて、すぐにでも血を吐きながら倒れてしまいそうだ。
だいぶ参っていると見える。一度ケンカしただけでここまで落ち込んでしまうとは、竜族のくせに繊細過ぎである。
手を出さずに見守っているのも一興そうだが、せっかく私を頼ってここまでやってきているのだ。今回も頭を働かせることにした。
「獣が娘を襲っていたという話だが、具体的には何をされていたのだ?」
「奴は、娘を舐めて味見していたのです!」
緑竜は顔を上げると一転して元気を取り戻し、実に忌々しそうな低い声で言ってくれる。その威圧感と発言内容の落差が大きいのが気になって仕方ない。
「おい、それは本当に娘を襲っていたのか?」
「当然です。獣が人間に近づく理由など、何かを奪うために襲う以外にありえないでしょう?」
「ああ、そうかもな」
それはもう確信に満ちた顔で同意を求めてくるのだ。己の行いへの疑問など欠片も持っていないと見える。
「おまえが喰らった獣は、なんだった?」
「喰った獲物がなにかなどいちいち覚えては……いえ、小ぶりな獣だったので、鹿の仔……だったと思います」
草食獣のうえに子どもだった。思わずため息をもらしてしまう。
「子どもを襲うんじゃない、私の縄張りから獣たちが逃げてしまうだろうが」
「も、申し訳ない」
緑竜の縄張り荒らしを軽く叱りながら、話から状況の推測をしてみる。
獣も幼い頃は、何が危険なのかを知らないがゆえに警戒心が薄いためか、他種の生き物と遊ぶことがたまにあるという。
もしかしたら、娘は幼獣と戯れていただけだったのかもしれない。
人間にはそういった無防備な存在を愛くるしいと感じる者もいるようなので、その可能性はある。
もしそれをぶち壊しにされたのだとしたら、それはもう怒るというものだろう。
しかもいきなり喰い殺したらしいので、娘に竜への恐怖を植え付けてしまった恐れもある。
「今の話を聞いただけでは、娘は襲われていたようには思えんぞ。ただ獣と遊んでいただけではないのか?」
「獣と……遊ぶ? ……獣で、遊ぶ……? まさか娘も狩りをしようと……僕は狩りが好きだ!」
「おまえはなにを言っているのだ」
なにやら変な方向へと迷走を始めたので、すぐに引き留めてやる。
「もしやすると、おまえが喰い殺した獣は、娘の友だったのかもしれんぞ。人間にとっての獣とはな、何かを奪うために襲いくる敵ばかりというわけではないのだ」
竜族にとって異種の獣とは“敵”か“獲物”でしかないため、情を抱くことはまず無い。が、人間はそういうわけでもないという話だ。
竜族がそういう情緒を理解するのは難しいことだが、これから人間の娘と共にあるのならば、なんとしてでも理解を得なければならない。
人間への理解を得つつあるこの竜ならば、それほど難しいことではないはず。今は根気よく教えを説くのみ。
「友……友? 狩った人間が死に際に言う事がたまにあったな。友とはどういう意味でしょうか?」
想定とはまったく異なる角度から質問をされて、少し気勢を削がれる。
そういえば、“友”という概念も人間特有のものだったか。余計に説明しなければならない、まったく面倒である。
「……ツガイの次に大切なものとでも覚えておけばよい。協力しあう仲と言うべきだろうか? とにかく、傷つけあうような関係ではないな」
「はあ、そういうものなのですか」
とりあえず思いつくままに説明をしてみると、呆けた面の緑竜は生返事をしてくる。
あまり得心はいってなさそうだ。仲間という存在に縁のない我々竜族にとってはなじみのない概念なので当然か。
なんとか娘との触れ合いの中で、理解を手中に収めてみて欲しいものである。
「そうだな、まずは理由がわからずとも、とがめられたことは謝っておけ。気分を害してしまって済まない、とな」
「は、はい」
「だが、おまえから謝るだけでは済ませるなよ。なぜおまえは獣を喰らったのか? その理由を余さずに説明して、おまえの想いを伝えるのだ。話次第では娘からの理解を得ることができるかもしれんぞ」
この緑竜のとった行動に実は悪意がなかったということを、娘はわかっていないかもしれない。
というか、『謝るまで口を利かない』と言っていたそうなので、その可能性は限りなく高い。
娘のほうも、緑竜の行いの理由を知っておく必要がある。そうしなければ、いつかまた今回のようなすれ違いを起こすことになる。
一方だけが譲り続けるだけの関係は長続きしない。ふたりは互いに解りあうように努めなければならないのだ。
緑竜は難しそうなしかめっ面で黙り込む。だが、何か思うところがあるような雰囲気は感じられた。
「おまえが行動を起こすことで、娘がどう思うのかを考えてみろ。想像力を働かせて、娘の視点に立ってみるのだ。まあ、今のおまえには難しいだろうから、引き続き娘の行いをよく観察するのだな」
「……」
少しして、緑竜は顔を上げて目を合わせてくると、じっと見つめてきた。
素朴な疑問を浮かべていそうなその顔は、今まで見せてきた面とは種類が違う気がする。ずっと自分の考えごとにばかり集中してきたのが、急に私へ興味を向けてきたという風だ。
なにか気になることでもあったというのか。あまりじろじろと見られるのも快いことではないので、すぐに一声かけてやる。
「どうした。他になにか言いたいことでもあるのか?」
「そ、その……前々から思っていたことなのですが……」
緑竜は少しだけ身を伏せると、上目遣いで私の顔色をうかがってくる。荒ぶる動悸を抑え込むかのように何度も深呼吸をしてから、こわごわと口を開いた。
「あなたも竜であるというのに、人間のことにお詳しいのですね。まさか、これほどの知識を持っているとは……」
「ふん、若造とは年季が違うわ。これでも昔は、数えきれんほど人間の面倒を見てやったことがあったのだからな」
素直に質問に答えてやると、緑竜は即座に恐縮してその場にひれ伏した。
今さらそんなことを気にしだすのか。それよりも自身の問題を解決するために全力を尽くせというのだ。
「いえ……いや、失礼しました」
緑竜はまだなにか訊きたそうにしていたが、すぐになにかを察したような顔をすると、器用に後ろ歩きをする。
下がる勢いが強すぎて、仰向けに転びそうになっていた。慌てすぎである。
「と、とにかく、あなたの助言通りに娘と話し合ってみます!」
緑竜は翼を広げると、一言だけを残して飛び去っていった。
向かう方角はやはり、娘が住居を構えているという泉だ。すぐにでも話をしたくてたまらないらしい。
一度巣穴に戻って頭を冷やしてからのほうが良いのではないかと思うのだが。つくづく慌て者である。
あっという間に小さくなっていく緑竜の後ろ姿を見ながら思う。
種族が違えば常識も異なる。だが、竜も人間も知恵を持っている。
より良い道を探るべく知恵を活かすことを止めなければ、種族の垣根を乗り越えることだってできるのだ。
乗り越えてみせてほしいものである。