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第五話 竜と人間の食糧事情

 久しぶりに夢を見た。


 周りを囲む笑顔の人間たちが歓声をあげている。

 目前では良く見知った顔の男女が、うやうやしい態度で片ひざをついている。

 二人は互いを愛し合うことを言葉で誓うと、私は彼らへ祝福を授けてやる。

 光差す道を肩を寄せ合いながら歩んでいく男女の後姿を見て、私は心満たされた気持ちになる。


 ただそれだけの夢。


 夢を見たのは本当に久しぶりだった。最後に夢を見たのがいつだったのかは、もはや記憶の彼方だ。

 久方ぶりに見た夢の内容がなぜこれなのか、理由は考えるまでもない。

 今の私の心は、あの緑竜のことで大半を占めてしまっているらしい。存外に私は詮索好きだったようだと、力ない笑みがこぼれてしまう。


 でも、恥じることはない。浮いた話というものは、いつの世も心躍らせるものなのだから。

 だいぶ長いこと暇続きだったのだし、この機会にせいぜい楽しませてもらうとしよう。


 そのお楽しみが、力強い羽音を立ててやってくる。

 羽ばたきの音を聞いただけで、あの緑竜が相談をしにやってきたとわかってしまう。もう慣れたものである。

 寝起きでぼんやりしていた頭に活を入れると、さっそく来客を迎え入れる態勢に入った。


「古き竜よ、相談をしに参りました!」


 緑竜が目前に降り立つと、ぺこりと頭を下げて一礼をする。

 今、普通に頭を下げてみせたが、本来これは人間だけがやる仕草である。人間の娘と深く付き合うことで、順調に人間色へと染まってきているようだ。


 あと、捧げものの獲物も持ってきていない。ここにやってくるときには必ず持ってきていたのだが、今回は手ぶらである。

 もう相談事で頭がいっぱいなのか、完全に忘れてしまっているようだ。

 まあ、私は食事をほとんど摂る必要がない身なので、どうでもよいのだが。


 諸々の思いは面に出さずに、いつもの態度で応じてやる。


「娘のことだな。さて、あれからどうなった? すべてを話してもらおうか」


 今日の緑竜はいつになく活力で満ちていて、今までで最も上機嫌そうである。見た目は深刻な悩みを抱えているような顔をしていない。

 その代わりに、簡単な悩みを相談しに来たという感じではあった。


「しばらく前に、あの娘がこの山にやってきまして。僕と初めて出会った泉のほとりに住み着きました」

「泉だと? あの辺りにほら穴などはなかったと記憶しているがな。どうやって雨風をしのいでいるのだ?」


 人間の体は、個体差はありはするが、大抵か弱いものである。厳しい環境にさらされるとたやすく病にかかり、あっという間に弱って死んでしまう。

 だから家という住処を作ることで身を守ることが常となっている。


 果たして娘は、どのようにして山の脅威から身を守っているのだろうか。

 住み着いてからそれなりに経っているようなので、うまくやってはいるのだろうが。


「あの娘は、ノコにハサミという名の道具を持ってきました。それを使って細い木や枝を切り倒して、一日で簡単な屋根を組みあげてみせたのです。多少の雨なら通すこともない、なかなか立派なものでした」


 娘の活躍を語る緑竜の顔は、まるで自分自身のことを語っているかのように誇らしげである。

 実際に大した活躍ぶりであるので、同意するほかない。


「……それはまた、たくましいものだな」

「どうも仕事の関係で、山暮らしのための知識をある程度身に着けていたそうですよ。人間ながら見事なものです」


 そんな話を聞いてみて、娘が翼竜を飼育する仕事にたずさわっていたという話を思い出した。

 確かその仕事は、翼竜の捕獲や訓練をやる都合で、ちょくちょく山林で過ごすことになると聞いたことがあった。仕事を通じて、山暮らしをするための心得はある程度は身に着けていたのかもしれない。


 なるほど、と思う。それなりにやっていける自信があったからこそ、娘は人里から出ることを決断したのだろう。

 本格的に定住するとなれば、これまでにない苦難に直面することにはなるだろうが、まあそこは本人の問題だ。


「もちろんそれだけで雨風をしのぐには心もとないので、しっかりとした家を作るべく手を加え続けています。僕は最初のうちは材料集めだけをしていましたが、この頃は家づくりも手伝うようになりました」

「ほう、なにをしているのだ?」

「もちろん力仕事です。この僕が圧し折った木を使って、頑丈な柱を立ててやったのです。今は僕の爪で木から切り出した板を使って、壁を作っているところですよ。

 これで立派な家を作れる、強めの雨風があっても安心して過ごせそうだと言って喜んでいました。ああ、早く完成させて、娘が喜ぶところを見てみたい」


 緑竜は恍惚とした顔でのろけてくれる。生を満喫しているようで何よりである。


 だがそこで、幸福に満ちた顔に小さな陰りが現れてくる。

 それほど重みは無く、ちょっとした困りごとがあるといった風だ。


「ただ、食い物を手に入れるのに苦労しているようで、いつも腹を空かせているのが気になっています」


 困ったような顔をしながらも、どこか嬉しそうな言い方をする。どういうつもりで語っているのかは、いまいち読み難い。


「だから、僕が狩った獲物を分けてやろうとしたのですが、なぜか断られてしまいました。やけに引きつった顔で『私には食べられない』と言って、遠慮ばかりしてくるのです。

 あれはどういうことだったのだろうか? なにか悪かったんだろうか? その理由を三日三晩考えてみたのですが、どうしても理由がわからなかったのです」


 緑竜は悩ましげな仕草で首をひねると、その場でうなりながら考え込み始めた。今も答えにたどり着けずにいるらしい。

 まず、今の話で第一に気になったことについて尋ねてみることにした。


「その獲物についてだが、生のまま食わせようとしたのではあるまいな」

「え?」


 緑竜は頭を上げると、きょとんとした顔を向けてくる。

 今なにを言われたのか、どうしてそんなことを言ってくるのかが理解できない。そんな根本的に通じ合っていない者が見せる反応である。


 この竜は、人間を理解できるようになり始めているが、人間の生態についてはまだまだ無知らしい。


「人間は我々竜族とは違ってな、血肉を食えんのだ。生の肉を渡しても、困らせてしまうだけだぞ」

「……人間も豚や牛を食うでしょう。それは選り好みをしているということでは? 山で暮らすのであれば、それくらいは……」

「違うわ。おまえの基準で他種族をはかるでない」


 ここまで言っても、緑竜はいまいち納得いってなさそうな顔をするばかりである。

 このまま放っておくと、無自覚のまま娘にいらんものを食わせようとしてしまいそうだ。ここで勘違いを正してやるべきだろう。


「良い機会だ、一つ教えを授けてやろう。人間たちは我らとは違い牙を持っていないが、その理由がなぜかはわかるか?」

「それは、その……なんででしょう?」


 緑竜は難しい顔をするばかりで答えられずにいる。予想通りの反応なので問題はない。


「人間たちと我らとではな、生きるために食べる必要があるものが根本的に違っているからだ。

 歯の形というものは、なにを主食とするかによって決まるものでな。歯に合わせて体が求める食い物の種類も変わってくるんだよ」


 緑竜は勢いよく顔を上げる。目をひんむくように見開いて、牙が並ぶ口をぽかんと半開きにしている、前衛芸術のごとき変顔だ。

 これまで見てきたなかでは一番の驚愕ぶりであった。


「確かに人間は肉を食うこともあるがな、それはひと工夫を加えてからのことで、生のままで食うことはせんよ。なぜならば、生肉は体に合わずに腹を壊してしまうからだ。

 今の話は理解できたか? 無理におまえと同じものを娘に食わせたりすると、体を壊して早死にさせてしまうことになりかねんぞ」

「そ、それはいけない。そうか、だからあの娘は僕の獲物を受け取らなかったのか……?」


 己の行動を振り返りでもしているのか、独り言をつぶやきながら何度もうなずいている。

 しばし様子を見ていると、緑竜は再び面を上げて目を合わせてくる。


 そのいまいち頼りない表情からして、まだまだ不安は解消されていなさそうである。


「で、では、肉がだめならなにを分けてやれば? あの娘はただでさえ痩せているのです。早く体力をつけさせなければ、この山で生きていくことなどできません」

「案ずるな、肉を与えること自体に問題はない。さっきも言ったがな、生肉もひと工夫を……火で焼いてやれば、人間でも食えるようになるぞ」


 血抜き、解体、下処理といった細々としたことは、今は置いておく。


「そうなのですか!? そういえば火があればと言っていたような……。あれはそういうことだったのか?」

「火を貸してやるがいい。おまえも炎を吐くことはできるだろう?」


 緑竜はまさに『その発想は無かった』といった顔をすると、今度は感心したようにうなずきを繰り返していた。

 積年の悩みから解放されたかのような、晴れやかさのある顔だ。


「よし、ならばこれから焼いた肉を腹いっぱい食わせ……」

「待て。人間は肉だけを食えばそれでいいわけでもないからな?」

「え?」


 緑竜がこうしてはいられないと言った感じで飛び去ろうとするところを、すかさず呼び止める。

 緑竜はまたぼけっとした顔をすると、こちらに振り向いた直後の体勢のまま固まった。


「娘はどのようなものを食べていたか、見ていたか?」

「……そうですね、持ち込んできたパンや豆のほかに、木の実や野草などを集めて食っていました」


 目線を左右にさ迷わせて、必死になって思い出そうとしている様子は、なんとも頼りなさげで変に笑いを誘ってくる。

 迷える竜を導いてやるために、知恵をもうひと絞りしておく。


「人間はいろいろなものを食べているということがわかるだろう? そうして様々なものを組み合わせて食べることで、健やかな体を作るのが人間の生き方なのだ。

 忘れるな、おまえはまだ人間への理解が足りておらん。あの娘がなにを求めているのかをよく観察してみろ。必要ならば本人に尋ねてみるのだ。決しておまえの考えで決めつけたりはしないように心掛けるのだぞ」

「わ、わかりました。さっそく相談してみます!」


 緑竜はぎこちない動きで頭を下げて平伏したあと、翼を広げて大急ぎで飛び去っていった。

 その方角は例の泉である。今から会いに行くつもりのようだ。


 あのそそっかしい竜は、また先走って妙なことを言い出したりしないか、少し気がかりである。

 だが、娘のことを想う気持ちだけは本物だとは思う。どれだけ失敗をしたとしても、試行錯誤をしながら正しい方向へと向かっていくことができる。そんな気がした。


 これからいったい何度やらかすことになるのかは、知る由もない。

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