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第二話 人間を知る

 今日もねぐらの洞窟で独りまどろんでいると、竜が羽ばたく音を聞き取って目が覚めた。

 気配が一つ近づいてくる。この気配は、またあの緑竜だ。


 ふだんだと、あの竜が顔を見せに来るのは年に数回程度。気候が暖かなものに移り変わって、よく肥えた獲物が増えてくる時期くらいだ。

 今回はそんな時期からやや外れているうえ、前回の訪れから十日も経っていなかった。


 目の前に降り立って翼を収めた緑竜は、背負っていた鹿の死骸をこちらへ向けて振るい落とす。

 それからぺたりとその場に座って背筋を伸ばすと、おもむろに面を上げた。


 これまた竜らしからぬ神妙な顔をしてくれる。いかにも悩んでいる風で、一目見るだけでここに来た理由が知れてしまう。


「実は……また相談させていただきたく……」

「また、か。ということは、この前に話した人間の娘のことだな」

「は、はい」


 緑竜は聞き取り辛い小声で答えると、ひどく決まり悪そうに目線を横にそらす。


 一般的に言って自らの力に強い誇りを持つ竜族が、自らの悩み事を自力で片付けられず、他者を頼ることを二度もやるという醜態をさらしているのだ。内心は顔から火が出る思いでいることだろう。


 それでもなお、ここへ知恵を借りに来ている。

 そこまでして頼られるのであれば、腰を上げて手助けしてやるのもやぶさかではない。


「娘との縁は、まだ続いているということか。うまくいっているようで何よりだ」

「はい……」

「それにしても浮かない顔だな」

「それは……」


 緑竜は口を開こうとして閉じる。口を開こうとして閉じる。餌をねだるひな鳥かなにかのように、ぱかぱかと口の開け閉めだけを続けてくる。

 放っておくといつまでも続けそうなので、私から話を引っ張っていくほうが良さそうだ。


「まずは、今まで何があったのかを話してみよ」


 うぐうぐと口ごもって言いあぐねていた竜は、しばらくすると何らかの覚悟でも決めたのか、やけに息苦しそうに語り始めた。


「あれから何度か娘と会って、話をしていました。そうして、娘をどうしてやりたいかを、自分なりに考え続けていました」


 一言ごとに顔と声量が下がり、吐き出す息もか弱いものになっていく。

 しかし、自分自身に活を入れるように拳を握りしめると、顔を引き締めて目を向けてくる。


「そして答えは出ました。あの娘と共にあるときが、今まで生きてきたなかで最高に心地良かった。だから、あの娘と共にありたい、あの娘の声を聞いていたい、誰にも渡したくない。そのように思っている僕自身に気づいたのです」


 その表情は強い理知を感じさせる情に満ちたものだった。獣がする顔では決してない。


 まさか、少し前まで狩って食って寝ていただけの野獣が、このような顔をするようになるとは思わなかった。

 この緑竜の急激すぎる変化には舌を巻かざるを得ないが、驚きは内心にだけ留めておいて話を続ける。


「……誰にも渡したくない、か。ならば、力づくでさらってしまえば良かろう。竜らしくな」

「なにを言うか! この僕がそんな軽率な真似をする愚か者とでも思ったかっ!」


 とりあえず竜としての一般論を述べてみると、緑竜は突然いきり立ち始めて、睨みを利かせながら激しく突っかかってきた。


 が、視線を交わすとすぐ、目に恐怖の色を浮かべて一気に消沈する。彼我の力の差を思い出したらしい。

 それから、言い繕うように改めて思いの内を打ち明けてきた。


「い、いや、そのようなことは、やりたくないのです。あの娘は、そう、言ってみれば大切な宝物なのです。無下に扱って傷つけることなど、僕にはできないのです」

「ふっ、宝ときたか」


 我々竜族は、なにか大切なものに宝と称して執着するサガを持つ。今の言葉は『何としてでも自分のものにしてみせる』と宣言するに等しい。

 これまでもかなりの真剣さを見せてはいたが、こうして言葉に出して言われると本気ぶりがわかるというものだ。


 だがしかし、ひとつだけ気がかりがある。

 この緑竜は、執心している相手とは種族が違うという現実をわかっているのだろうか。


 竜と人間とでは、力が違う、生態が違う、寿命が違う。あまりにも差があるがゆえに同じ目線で立つことは望めないため、共に在ろうとすれば不和は避けられない。

 もしも勢いだけで突き進んでいるようだったら、あとで必ず後悔することになるだろう。


 破滅して終わるようなことになってしまったら興覚めなので、ひとつ煽りを入れて試してみる。


「だいぶ入れ込んでいるようだが、人間などにうつつを抜かすのはどうかと思うがな。我ら竜と人間とでは、生き様が違いすぎるのだ。まともな絆を築くことなど望めんぞ。わかっているのか?」

「そんなことはわかっているっ! だがそれでもこの縁は、そう、手放しはしない! 宝を捨て去る竜がどこにおりますか!」


 緑竜はこっけいなくらいにへっぴり腰ながらも、必死の形相で反論をしてきた。

 いつになく精悍な顔つきだ。その真っすぐな眼差しは陽光のごときまぶしいもので、迷いや後悔などを抱いている様子はまったく見受けられない。

 これから先に立ちふさがる苦難へと挑もうとする覚悟があることを、この目で実感することができた。


「そうか、その意気があれば良い」


 まったく、こいつは本当に好き者だったようである。その在り様はたいへんに微笑ましい。

 こうなると、私もやる気が出てくるというものだ。


「おまえが置かれている状況はわかった。それで、相談したいこととはなんだ?」

「え? えっ? ……あ、そうだ、僕は相談しに来たんだった」


 話が少し脱線してきたので、本題に戻ってみたらコレだ。

 こいつは少々そこつ者のきらいがあるのかもしれない。しっかりして欲しいものである。


 緑竜は気恥ずかしそうな顔をしたあと、すぐに難しそうな表情に切り替える。

 不安げに震える息をそっとひとつ吐き出すと、つらつらと本当の悩み事を語り始めた。


「人間の娘とよく会って、よく話をするようになりました。それはいいのですが、人間とはどのように接すればよいものかと、どうにも迷うようになってしまいまして」


 今になってなにを迷うというのか。少々理解に苦しむが、なにか理由があるだろうから、とりあえず黙って話の続きを待っておく。


「あの娘が、いや、人間がなにを考えているのかが、まるでわからない。竜である僕のことをどう思っているのかが、まったく想像できない。

 下手な言葉をかけてしまったら、あの娘との縁を壊してしまうことになってしまいそうで、あの娘と話すことが怖くなってきたのです。僕は、これからどうすれば……」


 『相手の気持ちがわからない』という、ありふれた話のようだ。

 他者の考えなどわからなくて当然ではあるが、竜と人間との間となると、隔たりはかなり大きなものとなる。

 あまりにも未知な相手であるので、尻込みしてしまったのかもしれない。


「ひとつ確認するが、おまえは戦い以外で人間と向き合うのは、これが初めてだな?」


 緑竜は問いに答えない。答えを聞くまでもない。間違いなくそうだということは、態度からしてわかってしまう。


 一般的な竜にとって人間という生き物は、“目障りな敵”か、“狩りやすい獲物”か、“楽しいオモチャ”でしかないので、真面目に気にかけることはまず無い。

 この普通の竜が、人間が持つ繊細な心とまともに向き合うことなど、一度たりともなかったはずなのだ。


「人間が何を考えているのかが想像もできない、どう声をかければいいのかもわからない。そのような人間に対する“無知”が、おまえに迷いをもたらしているのだろうよ」


 怒らせかねないことを言い切ってみたが、緑竜が否定することはない。それどころか、悔しそうに歯噛みするだけに留まっている。

 渋々ながらも、今のが正しい指摘であると認めているようだった。


 こいつは賢い竜だ。なにがより良いことであるのかは、うすうす感づいているはずだ。

 それでも行動できないというのなら、私から尻を蹴ってやるべきだろう。


「相手がどう思っているのかがわからなくて怖いというのなら、いっそのこと尋ねてみればいいではないか。脆弱な人間が、竜であるおまえに何度も会うという危険をわざわざ冒しているほどだぞ。おまえはそう悪いようには思われていないだろうから、思い切って胸の内を明かしてみても良いかと思うがな」


 緑竜はハッとした顔をすると、深くうつむいて考え込み始める。

 何かひらめいたかのように面を上げるが、再びへたりこんで考え込みなおす。

 そんな笑いを誘う動きを何度も何度も繰り返す。


 このままでは、この緑竜の中で堂々巡りを続けることになりそうだ。

 まったく、仕方のない奴である。


「おまえは娘以前に、人間というものを知る必要があるな。引き続き娘と交流を重ねよ。ただし、その人となりを知ることで、人間とはどういうものであるかを学ぶことを意識するのだ」


 ここに来て緑竜は、ものすごく自信がなさそうなヘタレ顔を見せてくれるので、なんとも言えない気分になってしまう。

 幼竜じゃあるまいし、そんな情けない顔をするんじゃないと言いたくなるが、その言葉はぐっと飲み込んでおく。

 ここまできたら、うまくいかせてやりたい。余計なことを言って心をへし折ってしまうようなことはしたくないのだ。


「……あまり難しく考えるな、今はな。おまえが娘のことを丁重に扱う限りは、そうそう悪いことにはならんだろうよ」


 少し気づかいを乗せた言葉をかけてやると、緑竜は恐る恐るといった感じで面を上げる。

 今にも心労で押しつぶされそうではあるけど、目を合わせてこれてはいるので、多少の自信はついたか。


「あっ、あの娘と……もっと話をしてみようと思います。もっともっと話をしてみようと思います。その、あの、ありがとうございましたっ」


 今の話をどう受け取ったのかはわからないが、しどろもどろに謝辞を述べると、いそいそと小刻みな駆け足で去っていった。

 その足取りは不安でおぼつかないようであって、期待と興奮で浮き足立っているようでもあってと、いろいろな意味で危なっかしくて冷や冷やする。


「ああそうだ、私と相談したことは娘に話すではないぞ。私は人間と関わりたくはないのでな」

「言われずとも!」


 とても初心な竜の姿を見ていると、昔のことを思い出す。

 それは何千年前の事だったろうかと考えて、すぐに振り払った。

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