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第一話 初めての悩み事

 知恵ある竜として生まれてから、数えきれないほどの年月を生きてきた。

 かつては多くの地を巡り、様々な者と出会っては絆を育んできたものだ。

 しかし、色々あって疲れきってしまい、今は僻地で隠遁生活を送っている。


 人里から遠く離れたところにある高山の洞窟にねぐらを構えてからというもの、やることは日がな一日寝転がることだけになっている。

 自然の力を取り込むことで食事の必要は無いに等しいし、周りに棲む獣たちが定期的に捧げものをしてくるので、なにをせずとも困ることはない。


 そのため、ここ百年ほどは立ち上がることすら一度もしていない。

 万難から身を守る白金の鱗も、獲物をたやすく引き裂く鋭利な爪牙も、万里を飛ぶための優美な翼も、動くことが無くなった今では、もはや飾りでしかなくなっている。


 若い頃の私であれば、この暮らしぶりを『堕落している』と非難したことだろう。

 それでも、これで良いしこれが良い。ただ、雑多なことに心悩まされることなく穏やかに過ごし、安寧のうちに滅びていく。これが自ら望んだ余生の過ごし方なのだ。


 今日もねぐらで独りまどろんでいると、羽ばたきの音がしたと思ったら、一頭の巨獣が訪ねてきた。

 巨獣といっても体格は馬を一回り大きくした程度で、私から見れば子どもみたいなものだが。


 こいつは五十年ほど前から近くに棲みつくようになった、緑の鱗を持つ雄の成竜である。

 彼は定期的に、年長者である私へと捧げものをしにやって来る。背中に死んだ鹿を乗せているので、今日もそのつもりなのだろうが、よく見れば様子がいつもとは違っている。

 その顔は強張っており、いつになく改まっているように見えた。


「古き竜よ。僕は今、大きな悩みを抱えています。この悩みを晴らすために、どうかあなたの知恵をお貸しいただけませんか」


 態度を改めているどころか、いきなり教えを乞うことまでしてきたので、さすがに面食らった。


 竜は孤高の獣である。あらゆる種族を圧倒する力に誇りを持つがゆえに、他者に助力を乞うことなどは滅多にしないものだ。

 その滅多にしないことをやってみせたということは、この緑竜にとって手に余るようなことが起きたのだと察せられる。


 誇り高き竜に他者を頼らせるような相談事とは、一体なんなのだろうか。

 少なからず興味が湧く。この緑竜の助けになってやっても良いと思える程度に。


 ねぐらの外の出来事に心を動かされることなど、いつ以来だったろうか。百年から先は数えていない。

 久方ぶりに湧き上がってきた暖かな思いに心弾ませつつ、悩ましげな緑竜に声をかけてみた。


「ほう? 竜たる者が他者に助言を求めるとは、これはまた珍しいことがあったものだな。おもしろそうだ、話くらいは聞いてやろう。何があったのだ? この私に話してみるがいい」

「聞いてくださるのですか。ありがとうございます」


 緑竜はへりくだった態度で謝辞を述べたあと、前足をきれいに揃えて背筋を伸ばす。背中の鹿は地面へと崩れるように落ちる。

 それから、調子を整えるように息を吸って吐くことを三度繰り返すと、いかにも深刻な悩みであると言いたげな苦い顔で事情を語り始めた。


「この山にある泉に、変わった目をしている人間の娘がいました。僕は食事を終えたばかりで腹が満ちていたので襲わずに、たわむれに話しかけてみました。

 すると、思いのほか話が弾んでしまいまして……それからどういうことか、娘としばしば会うようになったのです」


 人間の娘と言われて、さっそく引っかかる。

 こんな人里離れた山奥に人間が、しかも娘がやってくるのだろうかと考えてみて、少し前から人間の気配をちょくちょく感じるようになったことを思い出した。

 狩人や木こりらしい動きをする人間が、たまに山中をうろつくようになったようなのだ。以前は旅人が通りがかることすらなかったのだが。


 もしかしたら、近くに人間が進出してきて町を作ったのかもしれない。いや、こんなところに人間の娘がやってきている時点で、恐らくそうなのだろう。

 長いこと表に出ずねぐらにこもり続けていたので、外の変化にまったく気づけていなかった。いちおう、この山辺りは私の縄張りだというのにだ。


 たまには散歩でもして外の様子を見るべきなのだろうか。自分の間抜けさを恥じるそばで、緑竜は話を続ける。


「最初は、飽きれば娘を喰ってしまうつもりでした。でも今は、そのようなことはしたくない。いや、そんなことはできない」


 緑竜は深くうなだれると、声を震わせながら精一杯絞り出すように言葉を吐き出す。

 奇妙な唸り声をあげたと思ったら、不意に途切れさせる。しばしの間をおいてから、ぱっと面を上げる。

 焦燥に満ちた顔を向けてくると、訴えかけるような必死さのある声で、自らの想いをぽつぽつと語ってくる。


「あれからずっと、胸が高鳴り続けて苦しくてたまらない。狩りをしているときも、あの娘の顔がちらついてしまう。それがなぜなのか、見当もつかない。このようなことは生まれて初めてだ。これはいったいなんなのでしょうか?」


 そこまで言って緑竜は再びうつむくと、じっとして押し黙った。

 次の言葉はやってこない。これで言いたいことは言い切ったようだった。


「ふうむ……」


 顔には出さないように、内心でそっと微笑む。

 この緑竜は、人間の娘に見初めでもしたか。同族の竜ではなく、異種族である人間に惹かれてしまうとは、こいつも物好きなようである。


 興が乗るには充分な話と言えよう。

 気に入った。この緑竜が望む通りに、久しぶりに頭を働かせて知恵を出してやることにした。


「では、おまえに二つだけ尋ねようか」


 問いかけに応じてやったとたんに緑竜はパッと面を上げて、実に情けないヘタレ顔を見せつけてくる。

 込み上がる笑気を抑えて、視線を真正面から受け止めつつ問いかけてやる。


「おまえはツガイにしたいと思う雌に出会ったことはあったか?」


 緑竜はびくりと体を震わせて、目をまん丸に見開いて凝視してくる。

 それから気まずそうに目線をそらすと、やけに挙動不審な様子でそわそわし始めた。


「ツガイ!? なにをそんな、そんなこと……いえ、いや、そういうことは、一度も……」

「ああ、よくわかった」


 実にわかりやすくうろたえだしてくれる。その手の経験は皆無のようである。

 緑竜が落ち着くのを待たずに、もう一つ質問を投げかける。こちらの質問が本命である。


「おまえにとって、その娘とはなんだ? ただの話相手か? ただの獲物か? それとも、他の何かか? おまえは娘をどうしてやりたいと思っているのだ?」


 まず知るべきことは、この緑竜が抱いている思いであろう。

 だいぶ人間の娘を意識しているようではあるのだが、果たして娘に何を求めているのだろうか。今の話を聞いただけではハッキリとしたことが言えない。

 この緑竜自身も、なにがなんだかわかっていないようだから。


 まずは自分自身の考えを固めさせるべきであろう。そうしてもらわなければ、こちらとしても助言はしづらい。


 緑竜は身悶えをぴたりとやめると、口元を引き締めて真剣に考える素振りを見せる。首をひねってうんうんと唸り続けているが、なかなか答えを出せないようだった。


 存外な初々しさを見て、また笑いが出そうになってしまう。

 この緑竜は百年以上を生き抜いてきている成竜で、それなりの経験を積んでいるはずなのだが、目前に現れた初めて(・・・)には手も足も出ずにいるらしい。


 まあ、こいつにとっては良い機会だろう。

 たっぷり時間をかけて思い悩んで、存分に足掻いてもらうとしよう。


「そうだな、まずおまえは己の考えを整理するべきだろう。おまえにとって、その人間の娘とやらが、どういう存在なのか? その答えを導き出すことから始めるがいい。さすれば、なにをするべきかが見えてくることだろう」

「……自分の考えを、考えを、そうか、それもそうか……」


 なにか感じ入るものでもあったのか、今の言葉を反(すう)するかのように何度もつぶやく。

 話し始めて最初のうちは、なんとも頼りない顔ばかりしていたのが、徐々に力強さを取り戻していく。


 やがて目に決意じみた光を宿し始めると、なにか決意するかのように大きくうなずく。

 竜らしからぬ弱々しさは、もう見られない。


「ありがとうございましたっ。ではっ」


 緑竜は飛び起きるように頭を上げて礼を述べると、急ぎ足で立ち去ろうとして、はっとして背から落ちていた鹿に気付く。

 そそくさと獲物を抱え直してから、改めてこちらへ捧げものの鹿を降ろす。


 緑竜は恥じらうように身をよじると背を向ける。

 皮膜の翼をぱっと広げて、彼の棲み処の方角へ向けて飛び去っていった。


 緑竜の姿が消えるのを見届けたら、捧げものへと首を伸ばす。よく肥えた鹿を丸呑みにしながら、今しがた語り合ったことを振り返る。

 あの緑竜の相談に乗ってやりはしたが、あれでよかったのだろうか。

 こういう類の話に決まりきった正解などは無い。先ほどの助言によって、あの緑竜は最善の道へと進むことができるのだろうかという一抹の不安が残る。


 最終的にどう決断するかは当事者次第ではあるものの、関わってしまった以上は、うまく事が運ぶことを願うばかりである。

 そうあってくれたほうが、おもしろいことになりそうなのだから。


 あの緑竜が娘を喰い殺すような、つまらない結末に至らないことを祈っておこう。

 そう思って、食休みのための眠りにつくことにした。

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