聖女候補の行く末~魔導士にさらわれることにしましたが多分幸せになれることでしょう~
『つかれました さようなら』
震える指で血文字の手紙を書く。深くえぐった指からは出血が止まらないが気にならない。
なぜならすでに腹部に包丁を突き刺した後だから。傷口をえぐったから、奇跡でも起きない限りどうにもならない。そう、聖女の力などではどうすることもできない傷。
この行いに意味があるとも思えない。ただ、聖女を生み出すことを目指してきたわが家系がとだえる、ただそれだけ。それだけのはず、なのに。
どうしてか、幼いころから私を護衛してくれていた魔術師──ロイド──の悲しげな顔が、最後に浮かんだ。
どこで私の人生は狂ったのだろうと、ふと思った。
「サージェ様に一つだけ、魔導をお教えしましょう」
ロイドの声がする。聞きなれた、父や母の私を通して聖女しか見ていない目ではなく、私自身を見ている慣れ親しんだ視線を感じる。
ああ随分とリアルな走馬灯だな、と思いながら私は気だるげに神学の本から目を上げた。
確か当時私は8歳。すでに神学校では抜群の成績を発揮し、伸術の行使能力では下手な大人など話にならぬほど優れていた。だがこの頃から神学の無意味さを覚え始めていた。
これは、聖女認定には関係ない、ただの教会に都合のいい作られた歴史書の勉強に過ぎないと、うっすら当時から思っていたものだ。
それがいけなかったのか──などと考えながら、ロイドに答えた。
「魔導?神術使いに何を教えるっていうのよ」
この世界、魔導でできることは大概神術で代用できる。一部の生活系魔導は例外だが、回復は神術にしか行えないし攻撃魔法も神術のほうが効率は上。魔導が優れている点など、神術の適性がないものでも勉学次第でどうにかなる、その点に尽きる。それとて才能ある神術使いならばやすやすと越えていくものだ。
だから、聖女候補は国から保護され手厚く教育される。というのに、この男はいきなり何を言い出すのか。
「いえ。神学のお勉強があまりに退屈そうでしたので、余興をと。私が教えるのは収納魔導と呼ばれるものです」
「……私を冒険者か何かにでもする気?荷物運びに覚えさせればいいことでしょう」
言うに事欠いて、ロイドは下等魔導を教えると言い出してきた。走馬灯にしてはふざけている。私はそんな侮辱をロイドから受けた覚えはない。
「いえ。お嬢様の秘密にしたいものを持ち歩くには、便利かと思いまして」
そういいながら勝手にロイドは収納魔導とやらの解説を始めた。初歩の初歩の魔導──なにせ神術を行使しないならば誰もがこの術を使えるようになる。とにかく便利だから、神術使いでもこの術を使うものは多い。
だが気になった。私の秘密にしたいこととは、なんだ。
「本当に初歩の初歩の魔導ね。聞いただけで大体使える……けどロイド。私は別に秘密にするものなど、ありません」
そううそぶきながら、ふと思う。走馬灯の流れとはいえ、そういえばロイドに嘘をついたことはなかったなと。
さぞや不機嫌な顔をしていたであろう私に対し、ロイドは微笑んでこう答えた。
「そうでしょうか?5歳のころに、魔導の本に興味を抱いていらしたことを私は覚えていますよ」
「それは神術も魔導も区別がついていない子供のころの話でしょうッ……!」
私の神術教育が始まったのが6歳のころから。そのころまでは、私は魔導好きの変な女の子だった、らしい。このような会話も記憶にないためもう走馬灯なのか夢なのかわからなくなってきたが、そういえば確かに幼いころは実践するしか技術を伸ばすすべのない神術よりも理論だって能力を行使できる魔導のほうが好みだったな、などと思い出した。
「では初めての収納魔導を覚えたお嬢様にプレゼントです。──旦那様にも、屋敷の誰にも、秘密ですよ」
いたずらめいて笑うロイドに手渡された本は、初級から超級まで網羅した分厚い魔導書。ロイドのおさがりだったはずの本だった。
子供が落書きした跡が残っているそれは、私が5歳のころになくしたと思っていた魔導の本だった。
「……これを、どこから?」
「旦那様には燃やすように言われていたのですがね。魔導者として忍びなく、隠し持っていた次第です」
そう、覚えている。6歳の誕生日の日、この本に夢中になっていたのをお父様に見つかり、烈火のごとく怒られ燃やされた日のことを。
確かに燃えていたはず。目の前でお父様自らが燃やしたのだから、誤魔化す術などあったはずもない。
はずなのに、どうして。
「……ありがとう」
不思議と、涙が流れた。これは夢のはずだったのにな、妙に現実感があるのね。
夢はまだ不思議と続いている。
もう走馬灯などとは思えない。だって、私は人の目につかない場所で、こっそりと、魔導署を読み進め続けている。神術のほうが優れている、というのはお父様たちの思い込みではないか、とすら思えてきた。
神術は確かに強い。強いが、やれることに制約がある。神から与えられた術しか使えないのだから。大雑把なことはそれでうまくいく。例えば、戦争とか。
魔導にはそんな制約がない。最初はあったのかもしれないが、人の知恵は新たな魔導をどんどんと生み出していった。才があるのに神術を捨てて魔導に生きる存在がいると聞いて、昔の私なら笑ったものだが今は笑えない。
だって、魔導は可能性に満ち溢れていて、面白い。最近は必要だからと、自分で収納した魔導書を収納したまま読む魔導を作ってみた。これはほかの書物にも使えるため、勉学が非常にはかどる。結果として、前世よりも神術の練度は上がってはいたが(他にやるべきことの時間が空いたので神術に充てられる時間も増えたのだ)、私はもう聖女候補という言葉に心が躍らなくなっていた。お父様やお母様は何も気づかずに私を相変わらず優秀な聖女候補とみなし続けている。ばからしい。
まさか聖女候補が魔導にうつつを抜かしている、などとは思いもよらないのだろう。
そして、あと1か月もすれば市井から天才的な聖女候補が発見され私の地位など吹き飛ぶことも頭にないのだろう。
そもそも、貴族が聖女を輩出することに躍起になって何の意味があるのか。神術を使えることは意味がある。戦場で戦えることは貴族の義務であるからして。
だが聖女になる意味は、なんだったのだろう。
何度か聞いてみたが、栄誉だの誉だの要領を得ない答えしか返ってこないので私は両親の妄執に付き合うのはやめた。
代わりに、1か月後に出てくるであろう本来の聖女になる存在に備えている。隣国への亡命。魔導大国である隣国であればそう簡単に追手はかからない。そして、そんな隣国でも聖女候補はやはりほしい。
前世──もうそう思い込むことにした──では聖女になりそこなった後はただの神官戦士として前線に放り込まれるか売れ残りの政略結婚を選ぶか、二択だった。
今回は、どちらも選ばない。
ロイドのことだけが気になった。私にこの選択肢を思いつかせた、もしかしたらきっかけをくれたかもしれない大魔導士。
今思えば、彼の専攻魔導は時の操作だとか聞いた覚えがある。この不可思議な私の人生も彼の采配ゆえだろうか。
だとすれば、それに乗るのも悪くはない。
「ロイド。私、隣に逃げようと思うのだけど──貴方もう手配済みだったりしない?」
乗るなら全力で乗ってやる。だから私を攫っていって、大魔導士さま。