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傾界の聖女  作者: たま露
【教会領 編】
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6 神官見習いと水の大神官

 あの日ジルが夢でみたのは、一人の女性の人生だった。しかし文明や生活水準が自分の知るものと大きく乖離しており、正しく理解することはできなかった。


 あれから三年が過ぎた今、ジルが覚えているのはゲームの内容だけだ。


 弟の死にうろたえ絶望したゲームのジルは、聖女と教会に猜疑心をいだき出奔する。そしてシリーズ二作目では、魔王クノスに与する敵として登場するのだ。


 得物は刀剣類で攻撃力も高い。しかしそれよりも厄介なのは、自己回復能力だった。ジルは聖から闇に堕ちており、回復魔法で消費するのは魔力ではなく、周囲の生命力に変質していた。


 与えるダメージが少なければ全回復されるだけでなく、ヒロイン側の体力も減ってしまうのだ。おまけに毒や麻痺などの状態異常も効かない。持久戦は避けたい相手だった。


 刀剣の扱いに優れていたのは二作目のジルだったけれど、素体は同じだ。才能は持っているはずだと推測した。姉弟が生き残るためにも、ジルは今、剣を覚える必要があった。


 ――エディを護るだけじゃなくて、私のためでもあるんだ。


 ◇


 どんなことを教えて貰ったのか早く聴きたくて、ジルは寄宿舎への近道である中庭を駆けていた。


 頭上では星が瞬き、木々や植え込みは夜に融け始めている。庭にすえられた噴水のそばを通り過ぎようとしたとき、縁に座る人影が目に飛び込んできた。


 陽が落ち灯りもまばらな中庭に人がいることは珍しく、注意を怠っていた。驚かせてしまっただろうか。ジルはお詫びの言葉を告げ足早に立ち去ろうとしたところで、呼び止められてしまった。


「君は、ここの子かな?」

「はい。神官見習いをしています」


 法衣は着用していないこと、そして暗くて細部までは分からないけれど仕立ての良い身なりから、ジルは参詣者であると判断した。


 リシネロ大聖堂はすでに閉じられている。それならこの男性は宿泊棟の賓客だろうか。宿泊棟は参詣者であれば誰でも利用できるけれど、それなりの勧進が必要だ。庶民には縁のない施設だった。


 ――ちゃんと対応できたら、すぐに帰れるはず。


 耳朶をすべる低く玲瓏な声に、ジルの姿勢はかしこまる。ここは習った礼儀作法を実践する場面だ。ジルは軽く腰を折る草礼のかたちをとり、視線を下げて続く言葉を待った。


「あぁ、灰色。黒衣に見えたものだから。イオネロスではないのか」

「私の主は女神ソルトゥリス様です」


 イオネロスは魔王クノスの眷属とされる妖魔だ。銀の髪に黒衣をまとい、人の額に触れて不帰の夢へ誘うといわれている。


 ジルとエディは銀髪だ。村では珍しい髪色だったこともあり、不吉だと揶揄されたりもした。


 夜の帳が下りた今、神官見習いの服色を黒と見間違えたのだろう。けれどゲームの顛末を思えば、冗談だとしても笑えなかった。ジルは顔を上げ、真っ直ぐに見返した。


「敬虔だね。そうだ、主を私に変えてみないかい?」

「……はい?」


 背中まで伸びた髪は、夜であっても沈まぬ艶やかな濡羽色。深い水底から湧き出たような青色の瞳は、面白そうにジルを眺めていた。


 魔石をはめ込んだ噴水は常夜灯も兼ねており、男性の背後では水面が淡く揺蕩っている。蠱惑的だと髪をひと房すくわれたと思ったら、唇を落とされていた。


 流れ落ちた黒髪の間から、涼やかな顔が覗き込んでくる。男性が何を言っているのか理解できないジルは、微動だにしなかった。


 ――礼儀的に、どう伝えるのが正しいのかな。


 聖の魔力を宿したジルは教会預かりの身だ。主を変えることなどできない。講義ではなんと言っていただろうか、とジルは頭を悩ませる。


「その“はい”は承諾の意味でいいのかな」


 反応の無いジルに追い打ちがかかった。ふふっと漏れた声音は揶揄いのそれだけれど、適切な言葉を探しているジルは気に留めない。そんなとき、新たな声が加わった。


「一人で出歩かないで下さいと言ったでしょう」

「早かったな、ユウリ」

「何年側付きをやっているとお思いですか。明日の確認がありますのでお戻り下さい」

「そうだな。私の迎えはいつもお前だ」


 眉を吊り上げて詰め寄るユウリに対し、黒髪の男性は笑みを崩すことなく応じている。ジルは二人のやり取りに主従というよりも、兄弟のような気安い空気を感じた。気苦労の多い兄の顔をした側付きに、ジルは親近感を覚える。


 ――あぁ、この人も弟が可愛いんだ。心配だよね。すごく分かる。


 ジルは心の中で何度も頷き、ユウリを同志認定した。賓客を前に硬化していた体が自然とゆるむ。微笑ましい気持ちで窺っていると、藍墨色の髪を揺らしてユウリが振り向いた。


「主が失礼を致しました。教会の領地内とはいえ夜道、お送り致します」

「おや、私を探しに来たのではなかったのか?」


 言外にまた出歩くぞと含め嘯いてみせた男性は、出会った時よりも少し幼い顔をしていた。自分よりも十歳くらい上だと思っていたけれど、そんなに離れていないのかもしれない。


「水の大神官様、後進に軌範をお示し下さい」

「大神官、様?!」


 ユウリの声音は平坦なもので取り付く島もない。それへ大神官と呼ばれた黒髪の男性は片眉を上げ応えている。けれど、ジルはそれどころではなかった。


 大神官といえば生界でも四人しかいない高位職だ。普段は任地の聖堂で祈祷を捧げているため、教会領で見ることは稀だった。


 ――ま、まだ失礼な事はしてないはず。たぶん。


 ジルは冷や汗をかきながら、慌てて草礼よりも深く腰を折る行礼のかたちをとった。それと同時に、何かが引っかかるのを感じる。


 ――大神官様って、たしか。


 俯けた視界に、手が入り込んできた。やや骨ばった大きな手はジルの視線を上向かせようと顎をすくい、そのまま頬に添えられた。


「ここに厭きたらタルブデレク領へおいで。歓迎するよ」


 青い水底の瞳を揺らめかせ、なめらかに微笑んでいるその人は、攻略対象だ。

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