4 猶父と約束
「こちらに、ウォーガン様がいらっしゃると」
「おーい、ここだ。ここ」
馬の手当てをし、夕飯の飼葉をあたえ終わった頃には陽が暮れはじめていた。仕事が終わるとジルは着替える間を惜しんで、すぐに北方騎士棟の救護室へ向かった。
扉付近で救護員に尋ねていると、思わぬ近場から快活な声が上がる。どうやら尋ね人はこの布でできた衝立の先にいるらしい。一応、団長への配慮なのだろう、出入口からは見えないように申し訳程度の目隠しが施されていた。
騎士団の長ともなればもっと奥の方で丁重に、と思ったけれど尋ね人は元気そうだ。ケガは、と困惑気味の瞳で救護員を見上げれば、困った子供を見るような、諦観した笑みを返された。救護員にどうぞと促されるまま歩を進めて、ジルは衝立から恐る恐る顔を覗かせる。
「その顔はジル、んー……エディか?」
「エディです。ウォーガン様が、救護室に運ばれたとお聞きして……具合はいかがですか?」
寝台で半身を起こしたウォーガンは、ジルの目にはいたって正常に映った。堅牢の二つ名に恥じぬ岩のごとき恰幅は、少し無茶をしたくらいで寝込むようにはみえない。今も声には張りがあった。
ウォーガンは短く刈り込んだ茶髪の頭をかき、悪戯が見つかったとばかりに笑った。
「アイツら大袈裟なんだよ。ちっとばかし毒キノコに当たっちまったからって」
「……どくきのこ」
「帰還途中に美味いキノコをみつけたんだが、どうやらそっくりな毒キノコの方だったらしくてなぁ。いやー参った」
「他の方は……?」
「遠慮します、つって食わなかった。毒ってもただの腹痛だから心配はいらんぞ」
悪かったな、と大きな手でジルはくしゃくしゃと頭を撫でられた。ウォーガンは猶父で、姉弟と血は繋がっていない。エディが教会領で働けるよう身元保証人になってくれた恩人だ。騎士業務の邪魔をしたくないから、ひと月に一度顔を合わせるくらいだったけれど、ジルにとっては弟と同じように護りたい家族だ。
「今日は顔色が良さそうだな。二人とも変わりはないか?」
「はい。最近は、熱が出る回数も……」
ここでジルは閃いた。体を鍛えるため、ウォーガンに稽古をつけて貰おうと。
ジルは聖魔法が使えるため、順当に進めば神官に就ける。でもエディは魔法が使えない。体が弱いままでは厩番も辛いだろう。エディの希望は聞いていないけれど、体力をつけるのは悪いことじゃないはずだ。それに夢でみた聖女の護衛騎士。あの騎士の大剣を凌げなければ、従者となったジルに未来は無い。
切れた言葉の続きを急かせるでもなく、ウォーガンは静かに待ってくれていた。ジルはその闊達な気性にすがり、改めて言葉を紡ぐ。
「熱が出ることも、少なくなりました。ですから……空き時間で構いません。僕に、剣を教えていただけないでしょうか」
ウォーガンの眉が軽く上がった。視線をジルに据えたまま、焦茶色の目が眇められる。真意を測っているのだろうか。
――迷惑だったかな。まさか私だって気付かれた?
二人の間に沈黙が流れる。緊張で手に汗が浮かんできた。けれど、ここで目を逸らしてはダメだとジルは自分に言い聞かせる。すると、顎に手をあて思案していたウォーガンの口が開いた。
「三年だ。走り込み、腕立て、腹筋を三年間毎日続けてみせろ。それができたら剣の振り方を教えてやる」
「……三年間。分かりました。ウォーガン様、約束ですよ」
受けて貰えたことが嬉しくて、ジルは思わず寝台に手をつき前のめりになってしまった。念を押すジルの頭に手を置き、ウォーガンは肯定する。
「初めは少しずつでいい。慣れてきたら距離、回数を増やしていけ。それとエディ、一人ではするな。倒れちゃ元も子もねぇからな。ジルがいる時にやれ」
「はい。姉さんに、お願いしてみます」
姿勢を正し、こくりと頷く。それからジルは、騎士の皆さんや救護員さんに迷惑をかけないように、それと拾い食いはおやめくださいと猶父に伝えて、救護室を辞去した。
◇
エディは寝台に座り、ジルは椅子に腰掛け背筋を正している。
寄宿舎の食堂で夕食をすませた二人は、後日の行動に齟齬がでないよう、自室でお互いの活動を報告していた。
エディの淡々とした、抑揚の少ない声が床に落ちる。
「どうして、そんなお願いをしたの。……僕が、頼りないから?」
「そんな、そんなことない。私、神官になったら領地に下るでしょう? だから護身に覚えたいと思って」
「領地の教会には、衛兵がいるよ。領主様の兵だっている」
姉さんが覚える必要はない、とジト目の弟に責められたジルは、言葉に詰まってしまった。生き延びるには剣の習得が不可欠だ。
――どうやってエディを説得しよう。
ここまで追求されるとは思っていなかった。弟にゲームのことは話せない。ジルが悩んでいると、諦めを含んだため息が耳に入った。
「……今さら、ウォーガン様に断れないよ」
「ありがとうエディ! それじゃあ今日から」
「だけど、稽古は僕が受けるからね。教えて貰った内容を、僕から姉さんに伝える」
交渉の余地はないとばかりに言い切られてしまった。食い下がってこれ以上不審に思われてはいけない。ジルはここが落しどころだと考えて、頬を膨らませながら了承した。