3 厩舎と従卒
教会の寄宿舎は本来、男女で棟が異なる。看病する者が必要だからとわがままを言って同室にしてもらったけれど、それが許されるのはエディが成人を迎えるまで、長くとも十六歳になる前までだろうとジルは考えている。
でもそれで十分だった。夢でみたのは十四歳の姿だ。時間はまだある。それまでに体を鍛えて、自分が弟に換わり従者になるのだと即決した。
生界に生ける者であれば、多かれ少なかれ魔力は保持している。しかし魔法が使えるのは少数で、弟は使えなかった。不用意に聖魔法が発動しては大変だ。
――魔力制御の訓練、もっと真面目に受けよう。
ぐっと拳を握り決意を新たにしていると、持ち場である第二神殿騎士団の厩舎に到着していた。ジルは表情筋を動かさないように努めて一人の男性に駆けよる。
「遅く、なりました」
今日のジルはエディだ。抑揚をおさえて発声し、荷車に積まれた藁の山に手を伸ばす。鳶色の髪に白い毛が交じりはじめた壮年の男性はこの厩舎の馬丁だ。返事がないのはいつものことだから気にかけることもない。二人は黙々とからの馬房に寝藁を敷いていく。それから留守番となった馬の世話をしていると、空はすっかり明るくなっていた。
「……昼飯前にゃ戻ってくるぞ」
「ありがとうございます。先に、食べておきます」
仕事がひと息ついたところで馬丁からぶっきら棒に声をかけられた。騎士団が遠征から還ってくれば食事をとる暇なんて無くなると心配してくれたのだ。いつも仏頂面だから最初は分からなかったけれど、過度に重たい物は運ばせない、休息をはさんでくれるなど、病気がちなエディを気遣ってくれる優しさに気が付けてから、ジルはこの馬丁に親しみを感じていた。
厩舎の外で適当な柵に腰かけてパンをかじる。朝から水しか口にしていなかったから、野菜を挟んだだけのパンでもとても美味しかった。今日は起床が早かったから朝昼兼用になってしまったけれど、食事は一日三食ちゃんと教会から提供されている。村にいた頃は一日一食が当たり前だったから、教会領にきた当初ジルは、こんな贅沢をしていいのか戸惑ってしまった。
最後のひと口を食べおわり水筒を傾けていると、北門の方がにわかに騒がしくなった。騎士団が帰還したのだ。急いで厩舎の正面にまわると、次々に従卒が馬を引いてやって来た。ケガをした馬は手前に、それ以外は奥へと馬房を案内していく。足運びや息づかいを観察していたけれど、幸いどの馬にも大きな異常は感じられなかった。
――念のため冷やしておこうかな。
一頭の馬に軽い炎症があった。患部の冷却をしようと思い、ジルは水を汲みに厩舎から出た。そこで、従卒達の会話が耳に入る。
「今回の討伐対象って上級ランクだったんだろ?」
「あぁ、領地兵団じゃ中級が精々だからな」
「かなり強いヤツだったんだな。ハワード団長が救護室に運ばれたって聞いたぞ」
「魔物は」
「あの……ウォーガン様、ハワード団長は、ケガをされたのですか……?」
聞き覚えのある名前にジルは息をのんだ。村で自分たち姉弟を保護し、教会まで連れてきてくれた恩人がケガをしたとなれば居ても立っても居られず尋ねてしまった。直後、会話を遮ってしまったことに気が付き慌てて謝罪の言葉を添える。
ジルは従卒二人から怪訝な目を向けられた。第二神殿騎士団の団長を名前で呼んでしまい、不審に拍車をかけてしまったようだ。それでも心配で、何か情報を得たいとジルは従卒達を見上げ続けた。
「君がそれを知ってどうする……いや、その容姿、ハワード団長の猶子か」
「えっ、こんななよっちい奴が堅牢の騎士の子供?!」
ジルに言葉を遮られた眼鏡の従卒は、腑に落ちたとばかりに口を開いた。その横で赤茶髪の従卒は驚きに声を上げ、ジルを覗き込んできた。
「銀髪に紫の瞳だと。当時は庶子じゃないかって噂もあったらしいが」
「ハワード団長からこの顔は生まれねぇだろう」
話題が逸れてしまった。ウォーガンに対していくらか敬意を欠いた物言いに思うところはあったけれど、先ほど無礼を働いてしまったジルは黙って聞くことしかできない。容態はどうなのだろうか、そう内心焦っていると厩舎から馬丁の叱責が飛んできた。
「エディ、いつまで水汲みに行ってんだ! 夜になっちまうぞ」
「! すみません、すぐに戻ります」
「団長は救護室にいらっしゃる。重傷ではないが、今日一日は安静だと聞いた」
「教えてくださり、ありがとうございます……!」
ジルは入れ代わっていることも忘れて顔を輝かせた。命に関わるほどの大ケガではないようだ。胸を撫で下ろしたのも束の間、従卒達へ跳ねるようにお辞儀して、ジルは慌てて水汲み場へと駆け出した。
仕事へ戻るジルには、その後に交わされた従卒達の会話は聞こえなかった。
「なぁ、救護室に運ばれた理由は?」
「食当たりだそうだ」