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傾界の聖女  作者: たま露
【教会領 編】
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16 寝台と憧れ

 昼食をすませたジルはそのまま食堂で皿洗いを行い、今は裏手の洗濯場で洗い物を取り込んでいた。


 秋も深まる臥ノ月に入ったというのに、ここの気候は年中変わらない。澄んだ青空に白いシーツがはためく。さわさわと波うつ衣擦れの音に、ジルは午前中に出会った人物のことを思い出していた。


 風の大神官、ルーファス・リンデンは攻略対象の一人だ。八歳で大神官となり、四年後には史上最年少で神官試験に合格した。


 ――エディと五歳違いだったはずだから、今は……十五歳?


 神官見習いは、語学・数学・生界史・教理・教養・魔力・奉仕の七科目を学ぶ。魔力と奉仕を除いたものが試験科目であり、合格すると神官になれる。履修期間は通常八年だけれど、成績優秀者は早期昇格も可能だ。


 ルーファスはリング―シー領で宿屋、ひつじの寝床を営む夫婦の一人息子だ。将来は宿屋を継ぎたいと思っていた。しかし気が弱く、争いを好まないルーファスは本心を伝えることができず、両親や教会からの強い勧めで神官の道に進んだ。


 それでも合間をみつけては宿屋を手伝おうとした。けれど、大神官がそんなことをしてはいけないと両親に諫められてしまう。それだけでなく、友人達も余所余所しくなってしまった。


 ルーファスは淋しさを誤魔化すように、敬虔に仕えた。品行方正で穏やかな性格だったこともあり、十六歳で司教補に任ぜられた。しかし、これを面白く思わない者がいた。少し魔力が高いくらいで、とルーファスは神官になった時から同僚に嫌がらせを受けていた。初めは陰口といった軽いものだったけれど、偶然を装って突き飛ばされるなど、段々と露骨になっていった。


 そして司教補となったある日、事件が起きた。


 数々の嫌がらせにもめげずルーファスは粛々と勤めていた。それに苛立った同僚は、神官を辞めなければ実家の宿屋に火をつけると脅してきたのだ。まさかそんな凶行に及ぶわけがないとルーファスは何もしなかった。自分が嫌がらせを受け、脅されていると知れば両親は悲しむだろうと思い、注意喚起も行っていなかった。


 斯くして火は放たれた。不幸中の幸いか宿泊客は無事だった。けれど、避難誘導にあたっていた両親は煙に巻かれ、宿屋は焼け落ちてしまった。


 自分のせいだと後悔に苛まれたルーファスは心を閉ざし、ただただ罪を償うべく職務に従事した。


 その三年後、十九歳となったルーファスはヒロインと出逢う。聖女となり過酷な環境に晒されているにも関わらず、真っ直ぐに立ち向かう姿に魅了され、自分もこうありたい、彼女を護りたいと決起するのだ。


 ――妬んだ同僚が悪いのは間違いないけど……。風の大神官様の行動ひとつで防げたよね。


 両親に放火予告を伝えていれば、同僚の嫌がらせを告発していれば、宿屋を継ぎたいのだと主張していれば。しかし事を荒立てたくないルーファスは、いづれも行わなかった。


 ――ふかふかの寝台に埋もれてみたい。


 村では硬く、くたびれた布団を使っていた。寄宿舎の寝台に不満はないけれど、やわらかな寝台はジルの憧れだった。四年後、聖女の従者となった時にその機会を得られるかもしれない。それには宿屋の存続が不可欠だ。ご両親も救えるのなら良いこと尽くめではないか。ではルーファスにどう働きかけようか、と思考を移したジルに近付く者があった。


「ああ、お嬢さんを探していたんだ。今朝はすまなかったね」


 客室で左腕を掴んできた商人だった。丸いお腹を揺らし、商人特有の愛想笑いを貼りつけている。ジルは眉間に皺が寄るのを堪え、無言で草礼を返す。


「どうだろう、お詫びを兼ねて晩餐に」

「過分なお心遣いにございます」

「私はガットア領で宝石商をしているんだ。お嬢さんにぴったりの」

「見習いの身には過ぎたものです」


 商人が言い終える前にジルは一刀両断する。宿泊棟で奉仕する神官見習いは他にもいた。何故この商人は自分に固執するのだろうか。午前中のやり取りからジルは推察する。


 ――口止め料、かな。


 頑として取り合わないジルの態度に、商人が苛立ちを募らせる。ジルが上層部に今朝の出来事を訴えたなら、この商人は入領禁止どころか販路を断たれるだろう。ソルトゥリス教会はそれほどの影響力があった。焦った商人は大股でジルに近づき再び愚行を犯す。


「まぁまぁ、一度部屋で――ひぃっ!!」


 伸びてきた商人の腕を半身退いてかわし、近くにあった洗濯棒を手に取る。寸止めしようと棒を振り抜けば、思いのほか軽い得物にジルは一回転してしまった。


 ――剣より軽いから加減が。


 顎の近くをかすめた棒に驚いた商人は、尻を地面につけて呆然としていた。洗濯棒が短くて助かった。ケガのない様子にジルは内心で息を吐き、商人へ微笑む。


「私の腕にはまだ貴方様に掴まれた痕があります。しかし、これを訴えるつもりはございません。ですから、このことも他言無用に願います」


 一方的に告げたところで商人は信用しないだろう。だからジルは交換取引を持ちかけた。今朝のことは言わないから、貴方も今のことは黙っててねと。


「僕もお約束しましょう」

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