15 神官見習いと風の大神官
ピンと張っていたシーツに深い皺が寄る。二人分の重みに寝台が音を立てた。
先ほどまで白を映していたジルの視界には今、緑が広がっていた。見開かれた目はパチパチと瞬きを繰り返し、飴色のまつ毛が揺れている。
――エディも驚いたときは瞬きが多くなるんだよね。
思わぬところで弟との共通点をみつけ、ジルはくすりと笑みを零した。直後、若葉色の瞳は露を溜めたように潤みだし、肌は赤く染まった。衝突を防いでいた左右の腕が消える。ジルの視界に、客室の天井が現れた。
「す、すす、すみません。シーツに、足を引っかけてしまって……」
声を震わせながら深く腰を折った神官の足元には、古いシーツが絡まっていた。それはジルが床に置いたものだった。運よく寝台に着地したから良かったものの、倒れた先がテーブルのそばであったなら、神官は大ケガをしていたかもしれない。事の重大さに背筋が冷たくなった。ジルは神官よりも深く頭を下げて過失を詫びる。
「私がそんなところに置いたのが悪かったんです。ごめんなさい!」
「いえ、不注意だった僕が」
「違います。私の不手際で」
その後も僕が私がと謝罪合戦が続いた。お詫びの言葉を出し尽くした二人は、どちらともなく笑いだす。
「腕の痛みが悪化してはいけません。僕が寝台を整えます。ゆっくりシーツを張りますから、見ていてください」
「はい。ありがとうございます」
これ以上、神官に心労をかけてはいけない。ジルは素直に従った。じっくりと観察した寝台は魔法がかけられているようだった。シーツや枕の皺は丁寧に伸ばされ、上掛けはふわりと柔らかい。眠るために崩してしまうのが勿体ないと感じてしまうほどだ。ジルは感動のままに拍手を贈る。
「この寝台で眠れる宿屋のお客さんは幸せですね。いい夢がみられそう」
「ええ、僕の自慢なんです。リング―シー領にお越しの際は、宿屋・ひつじの寝床をご贔屓に。両親も喜びます」
神官の声音には、誇らしさと同じだけの憧憬が滲んでいた。手伝っていたと語った時に覗いた翳りは、これだったのだろうか。ジルは浮かんだ疑問を口にする。
「神官様は宿屋を継がないのですか?」
若い神官は顔を強張らせた。その反応に、ジルのなかで朧気だった影が像を結んだ。ジルは慌てて言葉を重ねる。
「不躾なことを申しました! あの、今日は色々とお助けくださりありがとうございました。これ以上神官様のお時間を頂くわけには参りません。下がらせていただきます」
清掃道具を手に深々とお辞儀をして、ジルは神官の返事を待たずに客室を出た。
◇
――リング―シー領に、ひつじの寝床ってやっぱり。
「食堂にジルがいるなんて珍しい」
先ほどの若い神官について考えていたジルは声に振り向いた。昼食を終えたのだろう、空のプレートを手にした神官見習いが近付いて来る。今朝、階段のそばで貴族風の男性と話していた同僚だ。
「ちょっとお昼に入るのが、遅くなって」
入れ替わったエディが同僚と接触しなくても不自然にならないよう、ジルは普段から軽食を手に屋外で食べていた。雑談など会話が多いほど綻びが出易くなる。今日は移動時間が無かったため、食堂のテーブルで昼食をとっていた。目の前には手付かずの野菜スープと黒パンがある。隣の椅子を引く同僚を横目に、食べることを思い出したジルはパンを千切った。
「今朝はありがとう。もしかしてあれのせい?」
「ううん。違うから大丈夫」
「じゃあ二〇〇号室ね? 笑い声が聞こえていい雰囲気だったもの」
「――っふ、けほっ!?」
パンが喉に詰まった。むせるジルに構わず同僚は話を続ける。
「風の大神官様がお泊りの部屋でしょう。史上最年少で神官になって、司教任命も確実っていう。嫁げれば安泰ね~」
え、な、いつ。とジルが言葉にならない声で問えば、察した同僚が答えた。
「部屋の前を通っただけよ。覗いたりしてないから安心して」
隅に置けないわねとにんまり顔でひとしきり喋った同僚は席を立ち、食器を返却しに行ってしまった。午後の清掃場所へ移動するのだろう。ジルはその後ろ姿を見送りつつ息をついた。
――掃除を手伝わせたことがバレてなくて良かった。