12 姉弟と素振り
タルブデレク大公、つまり水の大神官であるナリトから菓子折りを頂いて、早三ヶ月が経った。あれから何も連絡は来ておらず、平穏な日々が続いている。
星空の下、ジルは寄宿舎の裏庭で剣を振っていた。ひたすら振っていた。
「……百十っ、……百十一っ、……百十二っ………っ、はあぁぁ」
握りしめた柄を手放せば、剣はパタリと芝生の上に倒れた。ジルも同じように倒れ込みたい衝動に駆られるも、ぐっと我慢する。服に着いた土汚れは落ちにくいのだ。両膝に手をついて肩で息をするジルに、エディがタオルを持って来た。
「すごい。もう百を超えるなんて。……僕、七十回がやっとなのに」
「エディは、まだ……十歳だから。もう少し、大きくなったら……私なんて、すぐに」
呼吸が整わず、ジルの言葉は途切れ途切れになった。腕や手が疲労で震えている。走り込みのお陰か足は動かせるけれど、今はその気力が無かった。
エディが初めてウォーガンにつけて貰った剣の稽古は、素振りだった。訓練用の長剣をひたすらに振る。連続三百回振れるようになったら次を教えてくれるそうだ。ウォーガンに渡された長剣はエディでも扱えるようにか、騎士達が持っているものよりも小振りだった。しかし剣は剣。鍛えていない者が持てば重たい。
「それと、私は聖魔法があるから。エディは、とても頑張ってるよ」
呼吸が落ち着いてきたジルはタオルを受け取り、包帯の巻かれたエディの手そっと撫でる。握り込んだ剣の柄が当たり、包帯の下は皮が剥げて赤くなっていた。こんな時、他者回復の魔法が使えたらいいのにとジルは思う。
「もっと頑張って、僕もすぐに百……ううん、三百回振ってみせる」
憂いが顔に出ていたのだろう。弟の宣言は、いつもより声が張っていた。剣を習いたいジルが勝手に決めて始まったことなのに、エディは稽古に一つの不満も言わなかった。今もジルに心配させまいと、追い付いてみせると紫の瞳をジルへ真っ直ぐに向けている。
「……っありがとう、エディ!」
そんな弟が愛しくて、可愛くて、大好きでジルは思い切り抱きしめた。
ジルには自己回復の能力があるため、手の皮が剥けてもすぐに癒すことができた。それだけではない。初めて持ったにも関わらず、剣が手に馴染むのを感じたのだ。このまま素振りを続けていれば三百回到達も遠くないだろう。しかし短期間でジルが課題をクリアしたとなれば、エディはますます焦ってしまう。だから弟と一緒の時は少しずつ振る回数を増やして、別でこっそり追加しようと思っていた。
そんなことを考えているジルの背中を、ぽんぽんと叩く手があった。ジルを振り払うでもなく、腕のなかにいるエディは慣れた様子で声をかけてきた。
「姉さん、体が冷えるから……部屋に戻ろう」
「そうだね。帰りに食堂でお湯を分けて貰おう」
教会領の気温は常に一定で、荒天に見舞われることも滅多にない。これは女神の加護が厚いためだと言われているけれど、事実か迷信かジルにはどちらでも良かった。
運動をすれば体は熱くなる。熱くなれば汗をかく。汗を拭いておかなくては、風邪を引いてしまいやすい環境だった。それに、臭いも気になった。
◇
姉弟といえど、汗を拭くときはお互い部屋から退出している。体調を崩しやすいエディが先に拭き、終わったらジルに交代するのがいつもの流れだ。
汗を拭いてさっぱりしたジルは、寝台の上で予定を確認していた。明日は一日を通して、リシネロ大聖堂のそばに建つ宿泊棟で奉仕をするのだ。
奉仕の内容は施設の掃除が主で、その中には客室の清掃も含まれていた。手元の紙には担当客室がいくつか記載されている。清掃は基本的に宿泊客がいない時に行うのだけれど、連泊している場合は鉢合わせることもあった。
ジルの眉間に皺が寄る。礼儀に気を付けつつ掃除をする。その際、不審と捉えられ兼ねない行動は絶対にとってはいけない。とても神経を使うのだ。
――この奉仕が人気っていうんだから不思議だ。
予定表を机に置く。先に寝台で横になっていたエディにおやすみの挨拶をして、ジルは魔石ランプの灯りを落とした。