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傾界の聖女  作者: たま露
【教会領 編】
10/318

9 水の大神官 ナリト・シャハナ

視点:ナリト

 ――刺されても構わなかった。


 なぜこの少女はあの場所にいたのか。なぜ自分を助けたのか。昨夜出会ったのもすべて偶然なのか。ナリトには判らなかった。しかしこの名も知らぬ神官見習いが、身を挺して自分を護ったことは事実だった。


 咎人の侍女はすぐにユウリが制圧した。教会内での、それも大神官を狙った刃傷沙汰だ。極刑ないし、それに近い刑が下されるだろう。


 己の上着で少女の止血を行ったナリトは、治療のできる神官を呼ぼうとした。しかしすぐに自分で運んだ方が早いと判断し、聖堂棟の救護室に駆け込んだ。


 事情を訊き、少女を診た聖神官は不可解だと首を捻った。自分の回復魔法が弾かれてしまうのだという。聖の魔力を持った者は己以外なら癒すことができる。それが他者であれば、聖の魔力を持った者でも問題ない。しかし少女には効かないと言うのだ。診察台に寝かせた時、掌に聖の文様が浮かんでいるのを目にした。だが、魔法が弾かれるという現象を、ナリトは聞いたことがなかった。


 そのうえ、体の傷はすでに塞がっていると聖神官は付け加えたのだ。俄かには信じられぬが、己の聖魔法で回復したというのだろうか。ならば何故、今も少女の掌には魔法の発動を示す文様が浮かんでいるのか。何を癒しているというのだろう。


 経過を見守ることしかできないと聖神官は告げ、神官見習いの少女は診察台から寝台に移された。


 騎士の体格に合わせて誂えているのだろう、寝台で眠る少女は殊更小さく映った。銀の髪がシーツに広がり、顔色は一層青白く見える。浅い呼吸を繰り返す唇は薄く開かれていた。


 ――あれは私の遺恨が招いたのだ。


 昨晩、ナリトが一人で中庭にいたのは、以前から侍女に不穏な気配を感じていたからだった。あれが腹違いの弟を大層可愛がっていたのは知っていた。だからナリトはユウリの忠告も聞かず、あえて一人でいたのだ。大聖堂の件でも、ナイフを避け侍女を拘束しようと思えばできた。


 寝台の横に椅子を置く。少女が目覚めるまでは、予定の許す限りそばに在ろうとナリトは決めた。それは責任から生じる義務感からか、扉の前で向けられた表情のせいか。先の回復魔法といい、この少女に関しては判然としないことばかりだった。


 教会領は冷える。寒くはないだろうかと小さな手を握る。すると少女は、驚くような熱を宿していた。回復魔法が効かないのだ、薬の効果も望めないだろう。二言三言交わしただけの、初対面にも等しい自分をこの少女は身を挺して助けたというのに。何もできずただ横に座っているだけの自分は、なんと情けないのか。


 ――弟にも、何もしてやれなかった。


 己への苛立ちから、ナリトは手に力を入ってしまった。細く折れてしまいそうな感触にはっとして、握り締めた手をすぐに緩める。


「……すまない」


 それは誰に向けた言葉だったのか。絞り出されたナリトの声を受け止める者はいなかった。快癒したら改めて謝罪に訪れよう。そう考えていると、手のひらから少女の手が消えていた。


「あなたが無事で良かった」


 それは今もなお、脳裏に焼き付いて離れないあの眼差しだった。


 親が子へ、恋人が愛する者へ注ぐような、慈しみに満ちた紫の瞳がナリトに向けられている。そこに打算や媚びる色は無い。少女の手はナリトの顔に伸ばされ、細い指先は泣く子をあやすように目元を撫でた。


 呼吸も忘れて魅入った。少女の瞼が下りて紫水晶の瞳が見えなくなるまで、縫い留められたように動けなかった。


 今のナリトをユウリが見たら、どんな反応をするだろうか。まさか成人にも届いていないような子供にまで、と諫められるのは間違いないだろう。しかし、ようやく見付けた掌中の珠を手放すつもりはなかった。ならば成人するまで待てばいいとナリトは結論付ける。


 ――妖魔でもなんでも構わない。焦がれた唯一なのだから。


 浅かった少女の呼吸は深いものに変わっていた。この様子なら滞在中にもう一度目覚めるだろうか。その瞳にもう一度自分を映して欲しい。細い指が触れた目元の熱は冷めやらない。


 壊れぬようにと慎重に、ナリトは再び少女の手をとる。幾人もの女性と肌を重ねたが、このように扱ったことは無かった。我ながら軽薄だと自嘲する。そんな自分を少女はどう思うだろうか。


「聖の魔力でも、主を変える方法はあるんだよ」


 まずは名を教えて貰おう。ナリトは眠る少女の手に、自身の手をそっと重ねた。

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