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半分しかできてない

作者: なかがわはじめ

 ヒヤウイゴー

 カモン

 ヒヤウイゴー

 カモン

 

 募るは募集 

 ゲリラ豪雨 下痢中

 

 桜を見る会 不快

 久兵衛 かっぺ

 

 メロリンキュー 脱臼

 レンポー 淋病

 

 ナナナナー

 ナナナナー

 木の実ナナ ディスる

 

 能無し野党で

 ゴメーン

 

 まことに

 スイマメーン

  

 

 中曽根の葬式を税金出してやるだ? あれは風見鶏て言われてたんだから、鳥貴族で火葬しろ。葬儀もやれば増えたポイントでカネが浮いて、税金いらないだろ。ついでに老害二三人死んで、トリキ葬式マラソンやっとけ。

「……」  

 日本学術会議の人選を認めないだと? それで独裁ってか? 国会議員は不逮捕特権あって辞めさせるのは難しいから、総理に一年に2人で奇数は保って、強制的に辞職を命令できる権利をやろうぜ。野党から2人辞めさせたら独裁になるが、身内に先に処分するべきやつがいるのに野党だけやったら、どうなるよ? 世間様は。

「……」  

 あさて あさて

 あさてさてさてさて

 さては南京すがスダレ

 ちょいと叩けば

 ちょいと叩けば

 学歴コンプにさも似たり

「ナンダコイツーーー」



 今回は音楽の話ばかりで、小説は別なんで。なろうで宣伝は禁止で、小説は別なんで。それと、こちらからの指示もあるんで、興味のない人は関わりにならないほうがいいと思う。特に、情報をネットに上げられればなんでもいいタイプの、SNSにいそうな人はもう読むの中止してください。たぶん、政治や社会の話もリアルタイムとはちょっと遅れると思う。

 あと、前の文章には追加してませんので、終わりはここで終わり。(ここまで、あらすじに入らず。)


 自殺が多いんだよ。

 ポップカルチャーの中から続くと、ポピュラライザーになってしまう。

 春の王の部類なのに、もちろん冬の王を退場させるために偽の王を殺すから、タナトスと無縁のわけはないんだが、そういうのは小説家とか劇作家とか、死んだ言葉に関わる人がやるから。

 音声中心主義ではない。文字を持たない未開の部族に、理想的な言語の状態を見てるわけではなく、演者と作者の違いで、演者なら書かれた以上のことを伝えるものだから。

 ラカンによると、理性とか自我といったものが、想像界と象徴界と現実界、三つの世界の均衡を一筆書きのように繋いでいるそうだが、それは違うと思う。繋いでいるのは、現実だと思う。そうすると用語が重なってしまうから、矛盾のないように筆者が規定し直さなければならないが、それじゃ目的がずれる。

 ラカンも比喩で図示したんだから、いいだろ。現実に演じるのは役だけじゃなく、キャラも、表に出せるくらいの素も程度の差ではなく、役作りの差だ。作家が付いてたほうがうまく行ったりする。

 あーあ。こういうわけ分かんない書き方になるんだよ。何しろ死ぬほど考えたからな。前回はというか去年は、要するに詰んでんな自殺をするなって文章を書いたんだが、あんなに長く、終わりもしなかった。

 いや、殺意の衝動を自分の中に取り込んだから、攻撃性はとげとげしくならず、マウンティングによくある専門的な用語でふるい落とすのでもなく、あらゆる方策を試した結果、丸くなったんだけどな。それでも、殺意が元々だし、攻撃性は消えてないから、自殺という方向には行かない。だから、自殺傾向を理解してるとは言えないから、受取り方は一定しないだろうけど。

 とりあえず、自殺したくなったら踊れよ。

 ファッツ・ウォーラーのあと、いろいろ見てたら、ルイ・プリマてのにたどり着いた。

 「ジャスト・ア・ジゴロ」は知ってた。一九八〇年代、デイヴィッド・リー・ロスが歌ってた。カバーなのは分かってたが、作者まで注意してなかった。そして、もちろん、シング・シング・シングは知ってた。これはベニー・グッドマンが作ったと思ってた。まさか別人で(ビリー・ストレイホーンもあとで知ったが)同じ人が作ったなんて思ってもみなかった。そのあとも動画は関連で上がって来る以外もいろいろと見た。知らなかったピースのおかげで、知らないパズルを見つけて、同時にそれが解けてく感じ。

 ところで、

「ここらで終わって、いいコロナ」

をネットでも見かけたし、小林旭は分かりますね。数年前の徹子の部屋に浅丘ルリ子と一緒に出てたのを見て、感銘を受けたが、その印象を……いや、曲は曲で聴けばわかる。

 デイヴィッド・リー・ロスは、歌詞も完コピで書いてある通り歌ってた。

 バップ ディー ボジー バック ジリリバップ、と、歌詞と比べても洋物コミックの書き文字の効果音みたいに読み方は分からないが、たぶんそのままだ。

 ルイ・プリマはジャズの人だから、アドリブ、スキャットは動画によって違うし、そもそもレコードに吹き込んだのからもう歌詞と違ってる。

 もちろん、ヘベレ ヘゼマ ハラバ フルミ ズンドコ ズンドコ ズブレ ボッ、とアキラが歌うのが狙いだった。

 ネタバレだなあ。でも、死ぬよりましだ。

 死にたいほどつまんなかったら、踊れ。曲を聴いて、まず踊れ。

 死ぬくせに恥ずかしがったり躊躇なんかしてんじゃないよ。小林旭の自動車ショー歌の前にあの曲で、さあ踊れ。



 書けば書くほど小説のネタバレになる。半分しかできてないから、先のことを書くとそうなる。がんばって書いてるんだが、進まない。

 それにepub3てのに手間取りまして。縦書きにはなっても、ファイルにするとページ送りが逆になる。プレビューワでは読めるが、他のアドビとかだと字が横に寝てる。横書きの書類を90度回転させただけみたいになってる。jpegをビューワで操作したみたいに。

 グーグルのSigilてソフトでやるんだが、テキストファイルを読ませると、xhtmlに変換するときに行間を空ける。パラグラフのタグが使われる。だから、改行などのタグを入れたあとのテキストファイルを用意しなければならない。その作業をフリーソフトのHTMLエディタでやってて元のテキストに上書きしてしまって、今度はタグを消さないとならなくなる。それは筆者のミスだが、どうもグーグルのソフトが評判悪いらしい。でも、仕様まで調べるのはめんどくさいので、試行錯誤でやって、行ったり来たりの作業が多い。

 話を戻して、英語にしてくれる人がいるから外人さんにも伝わってるんだろうけど、今回はやめてもらえますか。今回、著作権が絡むんで。自分のじゃなく、音楽に関して。

 もちろん小説だから、音は出せない。パロディーや二次創作で片付くような気もするが、洋楽だと分かんないし。洋楽だから外国語の歌詞を書いてもしょうがないから、日本語の、替え歌みたいになってます。たぶん、ゴスペルは大丈夫だと思うが、それも全部カタカナにした。もちろん、ギャグにしてる。ギャグで宗教をネタにしてるから、またいろいろ問題が起きそうなんです。半分だからまだ出てないが、コーランもネタにする。コーランが間違ってると書く。でも、事実というか、旧約聖書の出来事を明らかに取り違えて書いてあるんで、それは昔からずっと言われてることなんで、でも、聖書にあるように神が出て来てこう言ったとかいうのが事実なのかというとまあそんなわけないが、そうなるとどっちも敵に回しそうで、やばいんです。

 日本もうるさい。昭和6年だから、さすがに切れてると思うが、検索するとなんか制限があるようで原曲の詞は書いても、訳詞は載せないホームページもあって、それは一応、旧仮名遣いにして分かりにくいように書いた

 そういう期限が切れてそうな古いのもあれば、七〇年代、八〇年代の洋楽もある。替え歌にも程度があるんで、とにかく小説の場面に合わせて、音的にはだいぶ離れても登場人物が言いそうなことを言わせてるところは、そのまま読んでも何の曲か分からないと思う。ほのめかしても分からないくらい場面に合わせてしまったのは、ここでヒントを出そうと思ってるからで、だからこそ、ここもやばいんです。

 でもさ、委託して集めるのが印税でしょ。じゃあ、他のルートがあって、そっちで作者に利益が生まれれば、良いってことになりませんか? もちろん、現状ではシステムとして著作権管理団体があって、作者から委任されて、作者より先にというか団体が一律に許認可を出すから、別ルート自体が迂回と取られるんだろうけど。でも、そのせいで作者が自分の作ったものですら許可がないと自由に使用できなくて、ビートルズがタックスマンと歌い、プリンスが名前を記号にして、カニエ・ウエストがとち狂ったりしてるようなんですが。

 電通も、ゴートゥやら政治に食い込めばエターナルに儲かるんだろうけどさ、音楽業界にも顔が利くんだから、新団体なり、音楽事務所と組んで権利を移譲させるなりすればいいのに。ジャスラックからは非認定と言われるだろうけど、エタ電通とヒニン電通ではどっちがましなんだろうな。

 だいぶ話がずれたが、曲が分かったら、それとなく、公式動画を再生したり、本人にチャンネル登録したり、良いと思ったなら配信なりダウンロードしたりして下さい。フィジカルと物品は言われるようになって、なんか意識だけ高いジリ貧なのが痛々しいが、買いましょう。手元にあるとうれしいってのは、素朴な感情だし。でも、つべでやっても広告は付け替えられるだけで、いろいろな中間搾取は面子が替わるだけなんだが。

 そういうわけなんで、翻訳は今回は結構です。拡散がいらんのです。いや、引っかかりそうなところにまで行くと、権利じゃなくて、宗教が出て来そうなんです。信仰の問題でも、個人で考えるのは自由だと思うんで、届く人には届くと思ってます。

 とにかく、こそっと読んでください。こっちが隠れキリシタンの感じで。それでローカライズしてしまったのを、カスタマイズと考えれば分かってもらえると思う。今回はそういうことなんで、また次に何か書いたときは、またぜひお願いします。


 しかし、偽善なんてパワーワードでもなんでもないのに、歌手のちぎゅまさしとかいうハゲが、こんなときにやらなくていいのにやってる24時間テレビのころ、なんか言ってたとネットで読んだ。

 最善をなぜ尽くさないのか。

 筆者が寄付と書いたのは、マルクスの「賃労働と資本」はまったく正しいとしか言えない本で、でも、その先、私有財産の否定はできそうもないから近しいこととして選んだだけのことだ。

 寄付は、余ったカネを回したり、善意の押し売りではないし、税金対策でもない。資本主義のただ働きの問題の代替案で、結果によって意味を変えようとしただけだ。

 つべの動画は、普通にダウンロードして私有する。再生するのはフリーソフトの動画プレイヤーだが、プレイリストの操作で一個ずつしか動かせないのもあるし、マウスでないと入れ替えがやりにくい。そのプレイリストの置き場所が、デスクトップにそんなもの置いておけないし、また名前を変えないといつのやつか分からなくなる。

 パブリック・ドメインとの兼ね合いもまだよくつかめてない。

 でも、24時間テレビにフリーアナウンサーが出てるの、何なんでしょうね。チャリティーなのに社員の局アナ以外がやるの無駄遣いじゃないのかね。ギャラが安くても、マイクが増えて経費はやっぱり無駄にかかる。疑問に思わないのかね。歌手なら、無駄なマイクでも調整はするから、いやでしょうに。

 芸人はセンターマイクを二人で使うってことより、何も分かってない振りをして、原稿以上の説明ができないアナウンサーが言わされてるだけなのを示したり、あるいは、いらない詳しいことを付け足してアナウンサーが同調できない様子でやっぱりテレビは言わされてるだけと伝えるために、普段は泳がせている。

 たまにしかテレビに出ないミュージシャンは言ってやってもよさそうだが。

 アナウンサーがやることは、MCでなく進行役だけなのは、コンサートでやらせるのは場内アナウンスなんだから、歌手なら分かりそうなもんだが。

 でも、ちぎゅまさしは、歌うよりしゃべってるのが長いコンサートで有名で、それは映画で作った借金を返すために非常に多くの回数やったので広まった話だったと思う。でも、その問題の映画「チー牛」は誰も見たことないし、内容も知らない。

 コンサートの合間のしゃべりについては、昔はMCとかトークとは言われてなくて、歌より長い、ということが悪口で言われていただけだった。他の普通のコンサートで何かおもしろい話があったとしても、MCが良かったとかでなく、そのエピソードが語られていた。

 司会者自体をMCなんて呼ぶのも含め、業界用語を真似する段階から、仕組みとして見られるようになって、結婚式の司会者にまで普及して、単に受け手として見てるわけではなくなっている。

 たとえば、CMのあと重大発表、CMのあと大切なお知らせもそう。

 CMのあと、実際にあるのはただの次週の予告だと見てる側は承知してる。あるいは、ゲストの新曲の宣伝や映画の告知とか。

 CMのあともたけし大暴れ、CMのあとも岡村大ピンチ。

 これらも、30秒くらいCM前と同じシーンを流して、盛り上がりも収まり、エンディングだと知っている。

 しかし、CMに行く前は、オチはある。きっかけ、区切りに相当するオチがある。芸人が一笑いとって、あるいはうまいことを言って、締める。

 それで終わってるのに、CMの前にアナウンサーがクソつまんないコメントを最後っ屁のように挟むことがある。せっかくのオチに、変な付け足しをすることがある。進行役だからと、そういうクソ進行がままある。

 そして、糞切りの悪いままCMへ。

 クソまみれでCMは始まるわけだが、スポンサーはそれでいいのかね。いつまでも業界用語は憧れで、編集点だからと言われれば、かっぺスポンサーは納得するんかい。業界側だけがまだ昔のまま、テレビを魔法の箱のように見てる庶民を想定し続けてるのではないか。テレビが薄くなったのは、薄っぺらい郷愁のせいでなく、技術の進歩のおかげなのに、まだ合わせる必要があるのかね。CMを誰のために誰に向かってやってるのかとも関係すると思うが。

 たまにしか出ない歌手で、コンサートでしゃべってばかりで、偽善なんてワード以外に、このような事態に対して何か言うことないのかね、ハゲは。スポンサーには映画で痛い目を見たはずだが。

 電通もそんなんでいいのかね。やっぱり、カッペより下ですか。

 逆に、メディアでゴリ押しされてるのを人気があると思ってるカッペ社長に、「推し」の意味を説明して、F1とか

M2とか機械的な区分より有効的な、実際に購買力のある層とそれを持っているタレントを推薦するのは、媒体でなくスポンサーに接触するからできることだと思うが。

 アイドル用語だと信用がないだろうか。

 浮き沈みが激しいから? そうでないと、新しいものも出てこないわけだが。

 それはスポンサーのほうが分かってることじゃないのか。

 

 アイドルの物語にしたのは、春の甲子園が中止になったからだった。夏もだが、悲壮感漂う感じだったので、何か違うなと思って。

 で、アイドルの動画もたくさん見た。

 特に、フェアリーズのファンカムて言うのか、各地の新曲のキャンペーンに付いて回って、たくさん動画を上げてたのが興味深かった。そんな熱心なファンがいても、コロナのせいもあるんだろうが、解散してしまった。今更言ってもしょうがないが、売り出し中のシングル曲より他の曲のほうが出来が良いってどうだったんだろう。

 それにしても、歌を何曲かやってそれから握手じゃなくて、大所帯のグループが握手だけのイベントを大々的にやってて、おどろいた。口パクにしても、ステージはあると思ってたが。小説家もサイン会やって、そこで自作を読みはしないけど、本にサインを書くし、CDは買っただけで券になって、歌無し、握手のみは想像できなかった。ツーショットチェキもステージ衣装だったら成立してるのか。してるか? 文庫本の大きさのメモ帳みたいじゃないか、サインはしてもらえるだろうけど。

 握手がメインだと、フェアリーズの五人ぐらいじゃ損益分岐点が低くなってしまうのだろうか。それは、人数に対してなのか、何を基準にしてるのか疑問だ。五人でもそれぞれ個性あっていいと思ったが。

 そもそも、同時期に売り出してた、女優の川島ウミカや桜場ななみがいたグループはなくなってるみたいだが、売れなかったのか? ちゃんと踊ってたみたいだったが。

 むずかしいな。 

 逆に、というか声優がアイドルグループやるのは、アニメも含めてヒットしてるようだ。

 絵じゃんの逆じゃん、てならないのか? 人じゃん? 絵じゃないじゃん?

 本人名義の、声優がやる歌手活動は別物とは思われてるようだが。

 2・5次元は舞台で、キャラ設定での担当声優によるステージ化は3・14次元で、ゆとりは3・14は3だから、3次元でいい、と。そんな訳ないか。

 アイドルアニメの客層も男性なんだろうけど、男子向けのアニメと言えばやっぱりロボットアニメだろう。その3次元化というか、ステージ化の新作も考えたんだが、ちょっと資料や何や足りなくて、着手はできてない。まとまった金でもあれば、絶対アニメ界からは出ない発想のものが書けるんだが。アニメ化に強そうなここ(なろう)で、舞台は筋違いの気もするが、ここに書くんだが。

 

 続けてする話じゃないようだが、解散はもったいないってことで、三浦春馬、竹内結子、女優、それに漫画家にミュージシャンと、続いてる自殺に触れる。

 ネットでは、複雑な家庭環境が影響して自殺したって話がある。

 孤児院にいた高校生がアイドルをやる物語にしたのは、人種に対して社会がそうしてると考えれば、差別も虐待だから。モータウンのガールグループも、アイドルと呼んでいいだろう。

 愛のむちではない、憂さ晴らしやただの暴力を愛情と思い込もうとして、そんな仕打ちの連鎖が起こるわけだが。つまり、叩かれて育ったから、それを普通と思っていて、自分が子供を持ったら、虐待と思わないまま、愛情をかけてるつもりで自分と同じそういう目に遭わせてしまう。

 自分の子供に対してだけ、というのは他人の子にはやらないってことじゃなくて、自分にもそういう仕打ちをするんだろう。自分一人のとき、自分をいたわろうとしても、自分を叱咤してしまうんだろう。連鎖は、本人の中でもぐるぐる起きてる。自分を甘やかすことはできないものかね、せめて、自他の区別、正体を失うほど酔いつぶれるとか。いや、コルトレーンもビル・エヴァンスも、ヤク中だったけど死んだのは肝臓だったな。

 ネットでは、仕事に思ったような評価がされてないとも言われている。 

 三浦春馬は「君に届け」の映画をテレビで録画して、でも原作を先に読もうと思ってまだ見てない。ミュージカル界の期待の星だったようで、順調そうに見えたが。

 最近、ひき逃げで捕まった若い俳優、NHKのドラマ「アシガール」の若君やってた。あのドラマがいろいろゆるくて途中しか見てないが、主役の女子高生の走るシーンだけ説得力があって、でも、そのあとその子はあまり見かけない。あとはイッセー尾形が出てたことくらいしか覚えてない。この人は捕まった後やたら叩かれてるくらい売れてたようで残念なことだ。

 一般の印象はもうちょっと違うだろうけど。

 いずれにしても、本人からすると、売れたにしても、思ったような評価は受けられなかったのだろうか。   

 しかし、評価以前に、生まれた場所を間違えたと思ってるんじゃないかと推測したくなるような人もいる。例えば、大瀧詠一だ。 

 レッツ・オンド・アゲイン。無理だよな。聴いても何やってんの、としかならない。

 とにかくアメリカンポップスが好きで好きでしょうがなくて、自分の血に流れてるのはこれだと思って、でも、なんで自分はアメリカ人じゃないんだと思ってただろう。こんなに好きなものが自分が生まれた場所に無いはずがないと、それで、自分の中から、日本の中から探して、挙句がオンド・アゲインになってしまったんだろうな。

 好きだったらパクっていいわけではなく、大瀧の曲の元ネタについては、ネットですぐ出て来る。列挙してるブログとかもある。

 もともと向こうでは、パクリじゃなくカバーをやる。それにならってか、日本で英語のポップスのカバーを訳詞でやってたのは大瀧よりもっと前で、彼らはロックを日本語でやろうとした世代になってる。

 カバーでそのままやるのは、単に駐留米軍の占領のせいではない。文化の盗用の批判は下の物を白人がやるときに限られ、白人の真似はやらされてることになるようだが、そのような強制や禁止があったわけではないのは、すでに戦前から日本ではジャズが流行っていたのでも分かる。

 大瀧らの世代の和製ロックが受けたかどうかも大きな問題だが、ひとまず置いといて。

 大瀧は影響はされてても本物だったのは、ネットの時代でも元ネタがまだまだ掘り尽くされてない、その深さからも分かる。

 でも、それで作ったのが、レッツ・オンド・アゲイン。パロディとしても浅いし、日本人から見てもいじらしいというか、可哀相になって来る。

 そもそものアメリカンポップスも移民たちが作ったものだった。ロックは黒人が作った。

 それで白人がやっても偽物だ、本物由来ではないという話になるのだが、ロックが生まれたのはアメリカであって、アフリカにさかのぼって繋がりを探すことは出来ても、ロックそのものはそこにはないのである。

 由来の地にはポリリズムはあっても、ストレートアヘッドなリズムは無い。電気は通ってるだろうが、その先もない(ダメな言い方か)。

 移民の国アメリカの人種のるつぼの中、分かりやすく単純化されたリズム。その功罪は音楽性だけでは語れない。社会についての考察が必要だが、その辺は片岡義男に任せて、その単純なリズムを、さらに白人にも受けるようにしたモータウンの話を続ける。

 商業的というそしりを時を超えても撥ね返し続けるほど、その音楽はすばらしい。

 だから、カバーもたくさんされてる。

 白人ロックの代表格、ミック・ジャガーとデビット・ボウイがカバーしたのは、マーサ・リーブス・アンド・ザ・バンデラスの「ダンシング・イン・ザ・ストリート」だった。リズムはちょっと緩めで、偽物の白人でもやれそうな曲。黒人の女の子三人組より、大物だし豪華だし、良くなりそうなものだが、それがそうでもない(PVのダサさは時代)。もっとポップに、ハゲのフィル・コリンズもカバーしてたが、やっぱり原曲のほうがいい。

 しかし、イギリスのバンド、ザ・フー。この曲でないが、「ヒート・ウエイブ」のカバーは素晴らしかった。

 特に、ドラム。二曲を比べるとよりアップテンポではあるが、その差を越えて、アフリカ直輸入はこっちじゃないかと思わせるくらいに響いてくる。揺らしてくる。ミック・ジャガーらより後輩のまだ若造がやったほうが、むしろ本質に迫っていた。一曲の神髄よりもっと深く、リズムの、ジャズで言うならスウィングの深淵に触れたようなパフォーマンスだったこと。これが示すのは、ロックがどうこう、黒人だから云々ではなく、文化の本性ではないか。

 つまり、混淆するから文化であるということ。るつぼの、その動態性である。

 アメリカで生まれたロックも腐るときは腐る。アメリカでも、黒人がやってもダメなものはダメだ。だが、白人がやる産業ロックと揶揄される曲の中にも本物はある。ファンクは、まだ黒人だけのもののようだが、それも変わるだろう。文化の盗用は、結果でしか語れなくなって、ネットのスピードにも付いて行けなくなるだろう。5Gなのか、GFRなのかは知らないが。

 ところで、大瀧のオンド・アゲインは、何がアゲインだったのだろうか。

 これは、繰り返し、先祖帰り、揺り戻しなどではなく、レッツ・ツイスト・アゲインだったろう。

 チャビー・チェッカーだ。

 この名前を検索すると、一番上に出て来るのが、レッツ・ツイスト・アゲインで、二番目か三番目には「hucklbuck」が上がってくるだろう。

 さあ、踊れ。

 大瀧は、ノベルティ・ソングって日本で言ったら何だろうと考えて、小林旭に思い当たったと何かで読んだ。

 小林旭の動画は、メドレーの中の一部か、mp3しか探してもないようだ。大瀧監修のアキラの大全集みたいなのもほとんど上がってない。音にうるさい人だったので、ファンのナイアガラーも上げないのかもしれないが、取っ掛かりは必要だと思うんだが。アキラ・チャンネルでやってくれないかな。でも、シベリア鉄道を聴くと、やりたかったこととは違う気もする。果たしてアメリカからズレてるのか、日本からか。

 とにかく踊れ。笑え。

 マーサ・アンド・バンデラスも五曲、挙げとこうかな。Heat Wave、I Promise to Wait My Love、In My Lonely Room、Mortoring、Dancing in the Streetとか、どうですか。まあ、これはただのあれです。でも、パクるにしても、あっちでの一発屋のその一曲を盗ったり、日本で受けないジャンルの例えばミュージカルから一曲だけパクって来たり、日本じゃ流行らないジャズ・ナンバーに変な詞を乗っけて分かんないように目先を替えてやってるのを見ると、向こうにもバックがあるくらいもっと大々的にやれよ逆に、と思ってしまう。

  

 生まれで決まるといえば、歌舞伎だが。

 歌舞伎役者が出るドラマが高視聴率らしい。見てないが、大映ドラマみたいに大げさなのが受けてるようだ。

 仄聞するにも甘えと思える。バックに歌舞伎があるから、ふざけたことをやってる。許されると思ったうえでやってるから、まったく挑戦的ではない。

 ボクシング中継の番組で、その歌舞伎の一人が、女の腐ったやつみたいにぺちゃくちゃ喋ってる。女形ってそういう意味じゃないだろうに。

 アナウンサーが大げさに騒ぐのも、プロレスと勘違いしてる。プロレスラーに服を破られることや、どつき回されるのとセットでギャーギャー言ってるのに、無しでやられちゃレスラーも振り上げた拳の下ろしようがない。

 外連、粋、大向こう受け、なんにしろ、過剰なことで、ボクシングのシンプルさ、無駄の無さからはかけ離れていることも分からず、児戯に等しい口釈。世話物で隈取りしてのこのこ出てきたようだ。

 歌舞伎からこそ苦言が出そうなんだが。

 ちなみに、前文にあった春の王の話は、丸谷才一「忠臣蔵とは何か」に詳しく書かれてます。文化人類学で知るより、身近で分かりやすいでしょう。

 しかし丸谷は、前の団十郎、今の海老蔵の父をあまり評価してなかった。外連とか、そういうのが足りないって感じだった。

 筆者はテレビでしか知らないが、団十郎の、江戸時代に居そう感は異常だったと思う。

 相撲で言うと、寺尾の兄の逆鉾だ。弟ほど細くはないが、でかくもなく、色白で、取り口は胸を出してぶつかって行く。立会い、ウーーン!と胸でぶつかって、そこから何回か、ウーーン!、ウーーン!とぶつかる。駄々っ子というか、利かん気というか。性格は知らない、相撲の様子だけ、駄々っ子と江戸っ子のダジャレと思われても仕方ないが、とにかく、利かん坊って感じがした。相撲取りの形容でよくある金太郎みたい、のもうちょっとひねたガキバージョンというか。江戸時代にいても、大名のお抱え力士なんかにはならなくて、でも、喧嘩相撲でも何でもやってそいつらに勝とうとするではなく、相撲は相撲で強いやつは認める。喧嘩したあと仲良くなるのはマンガだが、そんなことはなくて、またやってやる、みたいな。あくまで権力に屈しないし、負けてもへこたれない。まあ、イメージですが。

 団十郎も、浮世絵師が困ってしまうくらいに派手さがなくて、でも本人は平気で、観劇をイベントと思ってる声の大きいような層には人気なくても、本当の芝居好きには密かに受けてたような雰囲気があった。浮世絵を買う人がいるからまた注文が来るが、絵師にはどうにもインパクトのある絵が描けなくて、またかよ、誰が買ってんだよ、描けねえよ、と勝手に嫌われるみたいな。

 筆者も、歌舞伎を伝統芸能の一種として、民俗学的に見てた部分が大きい。今の猿之助、前の亀治郎が大河ドラマで武田信玄をやってて、初めて演劇として意識して見たから、あまり大したことは言えない。猿之助も例の大映ドラマ風に出てたようだが、筆者個人は現代劇で彼を考えないと意味がないと思ってるから、歌舞伎っぽいのは見ない。以前、二時間サスペンスで見たことあるんだが、それもピンと来なかった。

 野村万ノ丞という、いまの天皇の学友で、早世した狂言の役者がいて、世界の仮面劇を研究してて、変面からシルクロードを逆に辿ってイタリアのコメディア・デラルテまで行き着いてそうで、そのことを何かのテレビ番組で喋ってた。その中で、おみやげに買ったアルレッキーノ(アルルカン、ハレルキンの源流)の仮面をかぶり、すっとポーズを取った。それだけで、喜劇の何たるか、その歴史も現在も、一瞬で分かったような気がした。先述のルイ・プリマのもっとデカイ版。かえすがえすも、早過ぎる死が惜しまれる。

 団十郎はテレビ時代にも合わなかったかもしれないが、歌舞伎の解説の教育テレビの講座などは、実直で、分かりやすかった。作家や評論家は文献などを語るわけだが、こっちは出してくる道具が全部本物だったし。おっとりしてるのが、いかにも天下泰平で良かったと思うが、丸谷のように詳しい人には、あんまり意味はなかったかもしれない。

 丸谷の本では、官僚を小学校しか出てない百姓政治家の防波堤のように評価して書いてたんだが、現在の、官邸が人事権を握って、犬みたいなのが不正にまでシッポ振って外には虚勢で吠えまくるを見て、草葉の陰からどう思ってるんだろうか。

 鉄ヲタは、迷惑なやつが多いようで評判悪いが、でも、新幹線のルートを見ると岐阜の辺りで変なカーブが多いようだ。なるべく真っ直ぐにするためにクソほどトンネル掘って景色もクソもないスピード優先のはずなのに、なんで岐阜みたいな田舎に向かってグイーンてなってるのか。

 岐阜の駅前に銅像でもあったら、鉄ヲタならやることあるよな。ワイヤレス・イヤホンを耳にも鼻にも刺すとか。

 経営効率もないし、政治思想もない。田吾作政治家のわがままがまかり通って、線路も高速道路も通る。

 若者がデモもやらないって批判されるが、それくらい治安は安定してる国になってる。

 それなら、内閣がころころ変わって安定しないのは良くない、は逆になりはしまいか。政治がどれだけ目まぐるしくても、国民は混乱しないし、不安定化しない。海外だと、人種や宗教や、王党派や独裁者に付いたり分かれたり、暴動になるが、日本では、外人が祖国に向けてやってるデモを温かく見守る。邪険にもしないが、ここでやっても役立たずとはっきりも言わない。それくらい、前の戦争で懲りてるんじゃないか。戦争責任が云々されても、誰も言わないけど、浮かれた自分たちも悪かったとずっと思ってるんじゃないか。

 政権交代しないと、すぐ腐るから、は結果論だ。

 が、政治は不安定でいい。

 むしろ、どうでもいい。デモは無意味ということではない、やれば心理的には効くと思う。じゃあ、SNSでも出来るはずだろって話だ。

 社会全体からすれば、そのくらいにしか思われてないのではないか。

 同調圧力とか、右にならえの国民性とは言っても、流行とか、そのくらいには乗っかるが、実はのぼせ上がるようなことはなくなってる。学生運動は、過激化して終わったが、ガキのいたぶり合い、殺し合いを見物気分。震災、天災、いろいろ続いても、現場は粛々と事に当たってないか。政治家の粛々は口だけで、視察に来て靴を汚したくなくておんぶされてるクソまでいる。殺気立った現場ならやってるでしょ。冷静な人でも、白装束で帰れってことでやってるでしょ。

 致命傷を通り越して国が滅びそうになった記憶は残っていて、雑魚がしょうもない悪事を働いても、大目に見てるのが続いてる。でないと、あんなクソの塊ですらない政治家が景気のことしか気にしてないようなことやってても続けさせる意味が分からない。憲法を改正でも改悪でもどっちでもいいから、憲法を代えた人になりたいカス。自衛隊が軍隊でもレスキューでもどっちでもいい。しかし、イギリスのウスラハゲもといウイリアム王子みたいに、皇族の子供に自衛隊に入ってもらいたいと思ってる人なんているのか。学習院に行っとけ、じゃないのか。

 鶴見俊輔が新聞のインタビューで憲法について喋った記事を、切り抜いて取っといたんだが見つからない。オウムの記事はあったんだが、すぐ読めるところに置いておいたはずがなくなってる。いまの憲法の血統主義ではなく、出生地主義で行くべきだとして、All Natural Personという概念を語っていた。聞いたことあってもたぶん、右の耳から左の耳と言うより、下痢みたいに流れてるだろう。

 世襲で、ぼんぼんがまたぞろ出て来るがスルーされる。政界に限らず。

 トヨタのぼんぼん社長の章男ちゃんが例の歌舞伎のやつと一緒にうれしそうにCM出てるが、AIの宣伝より先に、値が張るだけのチンピラの憧れレクサスの戦略を考え直したほうがいいんじゃないか。トヨタが作るAIなんて効率しか考えないだろう。それも、ジャストインタイムで下請けに忖度させて、サラリーマン巡回問題も解決とか言い出すような。だいたいヒュンダイの回し者みたいな顔した自分がCMやるのがネガキャンと気付かないんじゃしょうがない。何よりも、プリウスロケットをどうにかしなくちゃいけないのは、ミニカーで持ってる三歳の子にも明白だろう。それでも、トヨタの社長が市川中古車と一緒に出てどうするだがや、とは誰も言わない。

 ぼんぼんだから、と言うより、もっと大所高所から見てませんか。

 SNSの指殺人は、韓国での呼称のようだが、プリウスは今のままじゃ足殺人か。なつかしい言い方でアッシー殺人ならいいか? 運転はどうでもいいやつが乗ってるって意味で。

 誹謗中傷はダメだが、女子プロレスラーにしては弱すぎないか? いや、責めてるのではなく、自分が悪いと思いすぎてないかということを言いたい。やっていい、プロレスラーなら素手でもやれる。でも、やらない、やり返さない。被災地の人の代わりに、おんぶされてたやつを前のほうに降ろしてきてパイルドライバーか、うしろから抱えてジャーマンでいいんじゃないか。

 誹謗中傷を開示、起訴となるとクモの子を散らすように逃げてる。

 それをやらない人を選んで誹謗中傷やってるんだろうけど。やり返されると逃げる連中だから、やっても無駄なのか。それじゃ話がすれ違ってるが。

 ブスと言うのもはばかられるようになってるようだが、パワハラはダメだが、過保護も人をダメにするんじゃないか。少なくとも、お笑い芸人に関しては、ブスでつまんないやつにはそれを言ってやらなきゃダメだろう。ブスのボケが無いことより、他の理由でテレビ出てることについてツッコミがないのは、言えない側の都合と思われても仕方ないから。ブスも言わないでウケないままなら、どっちにしても悪いのはブスすら言わなかった側になる。なら、言ったほうが通常運転は外れる。何かが起きるかもしれない。

 SNSじゃ、氏ね、ブス、消えろ。

 本当に死ねと思ってるのは、ストーカーになって、それも末期のやつぐらいだろう。消えろは、テレビを消すなり、アカウントをミュートしたりブロックしたりで済む。ブスが、ブスで普通のやつやつまんないやつに言う普通のツッコミになれば、芸人もまた新たに何か考え出すだろう。普通はいやだろうから。そうすると、テレビなんか見てないネットの連中はテレビでも下火になったことをやるだろうか。

 つかこうへいは、熱海殺人事件で「演劇的に間違った犯人」を描いた。

 起こした事件に見合う犯人像足りえてない男を、立派な犯人に成長させるドラマを作った。

 刑事たちも、捕まえるまで、自白させるまでが仕事ではなく、犯人に「なぜブスなんか殺したのか」「ブスに殺す価値なんてあるのか」と責め、そんな事件なんだから犯人としてはちゃんとしろと諭し、鍛え、励ます。捕まえるだけ、自白させるだけだと冤罪(ただの間違った犯人)が生まれるわけだが、眼目はそこではない。

 正しい犯人像は、世間によって要請されていないし、社会にそのような規範があるわけではない。

 だが、刑事たちはあると考えていて、それからすると目の前の犯人は、言わばフェイクなのである。

 そして、フェイクが単に真実に反するものでないのは、現在の情況が示している。

 その舞台を観客が見ているのだから、劇場型犯罪の批判でもあるが、いまなら、政治的に正しい、つまりポリコレがどんな基準で噛み付いてるのかの批判となり得る。

 フェイク・ニュースには、作った愉快犯のほかに、要請してる人間がいる。真実でないことが存在してくれるほうが望ましい、より都合がいい。フェイクと批判するほうは何者であってもいい。正しいことがあっても、相手の規範で言ってるに過ぎない。ゆえに相手はフェイクであり、相手は真実でないと押し付ける論法が成立し得る。

 そうなると、何が真実を決めるのか。

 近代とは、合理的に正しい個人を想定して、それがあると信じていた時代だった。20世紀も後半になると疑いが生まれたが、西洋以外の人間はそうなるのが当然としか思わないだろう。わざわざここに書くまでもないが。ジャズで言うと、コードに縛られない自由なアドリブのためには、モードが必要だった。が、オリエンタルな音楽には、微分音も普通に含まれていた。何を対置するかは、もう済んだ話で、その先だ。

 SNS的に正しい叩き方は誰が決めてるのか。そんなものがあるのか。要請なんだから、ネットワークだろうが。そのものだろ。誰のために誰に向かって言ってるのか?

 これを読んでるってことは前回も読んでて、片岡義男は青空文庫くらいは読んで、つかは見なくてもクロサワはチェックして、まあ、なんでもいいけどさ。

 あきえいぬ、おもしろくなかったですか? おかしいなあ、何年かに一回のギャグ出た、と思ったんだが。

 もちろん「アベヤメロ、アベヤメロ」が「ゲリゲリピー、ゲリゲリピー」になったり、「ブスアキエ、ブスアキエ」になりはしないだろうけど。

「アベヤメロ、ワンワン。アベヤメロ、ワンワン」ぐらいにはなってもいいんじゃないでしょうか。

 ならないかなあ。ほんとに、あれが引っ掛からないのか。リズムは同じね、後拍でワンワン。刺さらない? そういう時代なのかねえ。

 要請というのも、マルクス主義で使われる用語ですが、すでに書いたように個人的にはあまり同調できない。

 資本家より手前、その下っ端みたいな扱いで地主が批判されてるが、むしろそっちを網野善彦的に、百姓は百のかばねを持つとして、資本主義に行かないような存在とすることは出来ると思う。でも、これは網野を積極的に誤読して考えてることだから、引用も勝手なことになるし、説明はうまく行きそうにない。網野はマルクス主義的でもあるから、まじめに研究してる人がテキストからつかみ出してくることかもしれないし、そっちに期待したい。

 バック・ビートで、ワンワン。良い合いの手じゃないですか? おかしいなあ。

 甘やかされるのとは少し違うが、おバカタレントっていますね。若い女がやる分にはまだ笑えるが(これもフェミ的にはダメか?)男でやってるやつもいる。

 そんなのがSNSやると、叩かれるのはおバカなコメントではなく、ウヨだから、となる。

 日本ホルホル(これも使い方違うか?)は日本に生まれたら誰でもやっていいのか。おバカが寄ってきてやってるの、ウヨから文句は出ないのかね。

 おバカで子育てを売りにしてるタレントが、ツイッターのエラーでカルトラマンと言われる出来事がちょっと前にあったが、あのおバカは将棋もやるようで、でも、頭脳戦じゃないか。将棋界はいやじゃないのか、おバカが寄ってきて。

 このおバカは昔、さんまのからくりTVに出てたんだが、あの番組には褒め言葉で言うんだが本物がたくさんいて、珍回答でまかなう(リンゴと聞いて、コンピュータもビートルズも青森県も長野県も出さず、リンゴ、ゴリラ、ラッパで答える。欽ちゃんの時代から、訊いちゃダメだし、何でもいいから答えることは守り、時間切れ無回答だけは避ける。ラッパ、パンツ、ツンボ、の二番目までは深夜番組だったら言っていい。でも、深夜は欽ちゃんの縄張りではない)ぬるいバカじゃとても相手にならず、VTRを見る番組が途中から外にでるロケもやるようになったが、そこでもおバカも小ボケも出せず、他の大ボケたちを向こうに回しての進行すらままならないしょうもないガラクタになり果てていた。

 芸能界は何やってでも生き残りたいんだろうけど、カルトになったり、おバカでやってくのは、死にたくなるのも分かる。あんなのと一緒になりたくはない。だろうけども、死ぬのは違うと思うんだがな。

 そういう意味で仕事が評価されてなかったわけではないとは思うが。

 昔は深夜番組ならグラドルがオッパイが半分見えてるような格好で出てたもんだが、熊田曜子がまだ若いころ、その少し年下のグラドルが、その番組の企画自体をひっくり返すようなボケをかましたのを見たことがある。

 深夜の内輪ノリを崩すことになるから、MCの芸人はツッコまず、流した。いや、返すとしても自虐ぐらいしかないかもしれない強烈なボケだったから、守りに入るのも分かるが、でも、流されたグラドルはズレた、天然でもない、流されるくらいの小ボケを言っただけのように処理されて、可哀相だった。その後も、芸人が恐れをなす感じはなかったと思うが、番組は破綻なく進行して、問題もない代わりに盛り上がりもなかったと思う。あのグラドルはもったいなかったと思う。

 これは、パワハラではない。パワーはグラドルのほうが持ってた。セクハラでもない。自分から半分出してたし、相手はそれどころではなかった観があった。レギュラー番組はその後も、その芸人がメインで続いたようだが、それでいいんだが、やっぱりもったいなくないか。

 なんか、自殺スレが立つと死ぬ前にやらせてレスが付くみたいに、消える前にまずオッパイ出せみたいな話と思われるかもしれないが、そうじゃないですよ。

 まあ、確かにオッパイによって見方は甘くなる。

 この甘やかしは過保護だろうか?

 やっぱり話がすれ違う。

 

 無意識は言語のように構造化されていると、これもラカンが言った。

 シニフィアンは見えてるわけだ。なら、心の闇なんていう常套句も、マスコミが便宜的に使ってるだけだ。

 当然、意識の上の理性は、未開の啓蒙に射す光のように、ヨーロッパ文明の威光を支えはしない。

 理性が光で、無意識が闇の図式を、仕組みも分からないで常用してる非ヨーロッパ世界てなんだろうな。文化の盗用を捕まる前から思い込まされてるのか。神社のお賽銭にダイムを投げるようなもの? 逆か?

 ブロックチェーンの仕組みは日本人が考えたそうだが、取引きの検証に賞金があることより、それを早い者勝ちでやってるのは資本主義の思う壺じゃないのか。競争になってないような。ウイルスで他人のコンピュータのCPUをこっそり利用してでもやるって、ゴリ押しの勝負しかしてない。縛りの種類が変わっただけで、資本主義の悪い部分は拡大してないか。

 ストリーミングもあんまり信用できない情弱のジジイのたわごとかもしれんが、調べても疑問は晴れない。

 ジャズなんて昔はジジイしか聴いてなかったが、ネットのおかげで入りやすくなってる。筆者はエレクトリック以後のマイルスはまったく聴いてなかった。それ以前も齧ったくらいだが、でも、それも含めて聴けるのはありがたい。系統立てて聴こうとすると、また自分なりの工夫は必要だが、いろんなブログとかを参考に出来るし、のんびりやれる。

 フリージャズも聴いてみて、やっぱりさっぱりだったんだが、この分からなさを表現できるような気もする。

 深キョンがババアだの、視聴率悪いだの、まあ数字は事実だし、中傷じゃないんだろうけど、これも他にいるだろって思うんだが。

 まだアイドルみたいにコロナが直撃したり、配信でどうにかしたり、手立てがないよりはいいんだろうけど。

 筆者が考えてた小説の中で北野武監督が撮る「細雪」の四姉妹には、奥菜恵のほかに鈴木杏もいて、現実に鈴木出演の北野映画がコケたので、小説の中でまでコケるのは後追いだし皮肉になるから、違うことを考えていた。さらに「細雪」に出なかった深田恭子は、アメリカでよくある資金は日本持ち出しの映画をやる。ミュージカルで黒人役で、顔にCG処理で漆の光沢を使う。漆のテクスチャーを顔に貼ってる、と言われてもよく知らない人は、顔がかぶれると思ってしまうというギャグを考えてた。だが、もう、ブラックフェイスということでダメだろな。黒人が、顔を黒く塗ることで、白人の客がいる舞台にも出れてたはずなんだが、どこでねじ曲がったんだろう。

 何年か前の学園もののドラマで、生徒が先生役の深キョンに「生徒よりかわいい」と言う台詞があって、これは昭和ではありえないことだからずっと考えてた。この時点で、ババアだの何だのは相殺じゃないか。知らないとしても、生徒の台詞で出てきたんだから、若いほうからみて成立してるってことで、テレビドラマや映画の質の批判はあるだろうけど、的外れなことはネットはやらないんじゃないのか。

 個人の多様な意見こそで、だから足並み揃って集中放火する誹謗中傷民は、戦艦大和が無残な沈み方した国の人間がやることじゃないと思われてるんじゃないの?

 ファンネルって、目カッに並ぶ、良い表現だと思う。

 自意識はあってもファンネルになることは有り得る。理性のせいで狂うこともあるから。

 

 そろそろ終わります。まだ書いてる途中だし。

 曲目があまり出せなかった。しかし、露骨に並べるのもなあ。小説のなかにはヒントは少ないから分からないと思う。どうしたもんか。こっから戻って、途中に入れ込んで行くのもPCならではだが、そうなると、去年の文章に落書きとしてこっそり混ぜるのが簡単だ。いや、やってないです。探すのめんどくさいだろうし。フォルダのなかのファイルから検索するソフトとか本人が分かんないし。テキストエディタのタブに開いてるファイルの中から検索は使うが、それ以上は精度も良くないような。ま、使い方が悪いとは思うが。

 著作権抵触の代わりに他の課金要素を自分で考えてくれで、こっちの財布には入ってませんとなるが、こっちの小説は楽しみ方が増える。読者が知らない曲が出るなら新規の客を生み出すことにもなるが、知ってる曲だったら替え歌にされてうれしいかという問題もある。ただの消費者じゃなくて、もともとのファンの場合がある。

 それも、隠されてたように知らされないでいて、知った後で自分の好きな曲をネタにしてるなら、最初から読まないって思うかもしれないから、やっぱり出すべきだと思う。

 興味ない人は、ここまで読んでないか。洋楽が好きなら、歌舞伎の話のあたりで止めてるか。やっぱり戻って足そうか。文章はギクシャクしても。と、いま見てきたが、どこに入れても変だな。とりあえず、ロックは入ってないです、名前上がってる人も。ロックの元祖が出るのは後編だった。ほとんどソウル系、ジャズ系です。でも、まったくヒントのない、ダンスの練習でかかってる曲は分かんなくてもいいが、別の人のは鳩と言えば分かると思うんですが。でも、その曲が出るよりずっと前のほうで関係ない例えをされてたらやっぱり無理か。鳩の曲です。ベースみたいな音してると、今の高校生にはそう聞こえる。クラビネットなんて知ってるはずないから。でも、ちゃんと楽器の名前も出さないと無理か。前奏であれと言えば、あれでしょう。替え歌になってるから、元の英語詞に似せようとしてないところもあるし、論争なんて長い単語は試験にも出ないだろうし。これはまた違うというか、前の人にもどってるが、ファンクって言ってるから、分かるかな。ファンクと言えば、元祖がいるし、その後継もいる。分かるな。分かってくれ。て言うか、読んでくれ。会話の中に出てくる映画は「ディープ・エンド・オブ・オーシャン」。これは書いても問題ないだろう。でも言われてるようにB級だ。しかし、まあ、一年以上かかってまだ半分かよって思うだろうが、おっさんになると時間の経過が速いってことが感覚的に分かると思います。がんばって書いてるが、日々が過ぎて行くのが、あっという間なんですわ。

 行きつ戻りつ、書いてはやり直したり、紙に書くよりはやりやすくても、やっぱり時間かかる。フリーソフトのおかげで助かってるが、gPadはアップデートされて行末の追い出しがなくなった?句読点が頭にきてやりづらい。でも、アップデートだけでもありがたい。他にも、ginnie,nanaterry,tomoeditor,econote,あとstylenoteも。フリーウエアの精神でこれからもお願いします。金あったら出しますが。

 というわけで、審査に三日ぐらいかかるとあったから余裕を見たんですが、すぐ翌日には販売中にステータスが変わった。これは中身は調べてないと思う。ブログをまとめたものだと自分のサイトだったとしても確認がされるらしい。五日以上かかったこともあったようだが、たぶん小説だからその手のコピペではないとされて読んではいないと思う。epubファイルの要件を満たしていたからゴーサインが出たっぽい。だから、穏便にお願いします。翻訳はくれぐれもやめてください。ここもまずいのか、関連の話をしてるから。とりあえず国内だけで、何の曲が使われているかなど個人でお楽しみください。半分だけど、前振りや伏線があって、あとのほうで分かる、なども仕掛けてあります。

 一応、最低限度の価格設定です。筆者の思惑でなく、システムの最低条件プラス税です。後編に向けて頑張ってますので、それまで、動画、音楽、まず小林旭を端緒にいろいろ掘ってみるとおもしろいと思います。自殺したいと思ってるやつ、おまえはとりあえずあり金全部課金しろや。そんで後編までまた稼いどけ。このあとも資本主義の話はつづくし、もっとたくさん曲も出てくる。つべで聴くより、これも作者に渡るようにしないとな。ただ、ジャズはスタンダードをいろんな人がいろんなパターンでやるから、比べるのも集めるのもネットのほうがいいかもしれないが。

 いったん終わります。頑張ります。


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