そして彼は決意した
久し振りの投稿です。
「……ゃん……ちゃん……」
「……うっ……うぅ……」
声が聞こえる。俺は目を開けようとするが、強く眩しい日差しが降り注ぎ、上手く開けられなかった。
「……兄ちゃん……兄ちゃん、起きろ、起きろってば」
次第に意識がハッキリとしてきた。ゆっくりと瞼を持ち上げると、黄色いヘルメットを被った作業着姿の男が、こちらを覗き込んでいた。
「あれ……俺は……?」
「駄目だよ、こんな所で寝てちゃ。作業の邪魔だよ」
上半身を起こし、辺りを見回した。日はすっかり昇り、従業員が汗水垂らして働いていた。どうやら一晩中眠っていたらしい。
「昨夜何をしていたのか知らないけど、せめて“パンツ”位は履きな」
「パンツ……っ!!」
ハッとしながら、目線を自身の体に向けた。どういう訳か、灰色の肌や鋭く尖っていた爪は元に戻っていた。
代わりにシャツやズボンなどの衣服類は、一切身に付けていなかった。俺は慌てて両手で“アソコ”を隠した。
「……ほれっ」
すると作業着姿の男は、下着一式とズボンを手渡した。
「えっ……?」
「勘違いするな。その姿のまま追い出したら、まるで俺達が身ぐるみを剥いだ様に思われるからだ」
「……ありがとうございます」
優しい人だ。こんな見ず知らずの人間に衣服を渡してくれるなんて。俺は早速、着替える事にした。
「……治ってる……」
昨晩、非労運達に付けられた傷が綺麗に消えていた。凄まじい回復力だ。下手すれば全治半年の怪我が、たった数時間で完治するとは。
「着替えたか?」
「あっ、はい!! もうすぐです!!」
人智を越えた能力に見惚れている場合じゃなかった。これ以上、ここの人達に迷惑を掛ける訳にはいかない。手早く着替えると、ごみ溜めから出た。
「あの……本当にありがとうございま「おい!! 何サボってるんだ!! ぶち殺されたいのか!!」……?」
改めてお礼を述べようとした時、何かに気が付いた作業着姿の男が、突然怒鳴り声を上げた。俺の話を聞かず、ずかずかと歩き始めた。
「(あ、あれは!!?)」
そこには赤い肌をした怪異人が、うずくまって苦しそうにしていた。
「はぁ……はぁ……お願いです……水を……水を一杯飲ませて下さい……」
「水だと……そんなの仕事を終えてから飲めば良いだろう!!」
「でも……他の人は飲んでいるじゃないですか……」
事実、周りの従業員は仕事の合間に水を飲んでいた。
「あいつらは人間……お前は“怪異人”だろうが!!」
「!!!」
作業着姿の男は、怪異人を蹴り飛ばした。明らかな暴力、しかし周りは当たり前の光景を見るかの様に、気にも留めていなかった。
「いったい誰のお陰で働けると思っているんだ!?」
「うぅ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ごめんなさい? 違うだろ、働かせて頂きありがとうございます……だろ?」
「ありがとう……ございます……」
訂正。あの男は“人間”だけに優しい人だ。喉の乾きに苦しんでいる怪異人の頭を、何度も踏みつけた。その度に感謝の言葉を述べさせた。
「分かったら、さっさと作業に戻れ!!」
「……はい……」
「ったく……悪いな、途中で話を切っちまって……あれ?」
作業着姿の男が戻って来た時には、その場に俺の姿は無かった。これ以上、凄惨な現場を見続ける事が出来なかった。
「…………」
一刻も早く離れたかった。何も考えず、無言で歩き続けた。
「…………」
「ティッシュ、ティッシュはいかがですか?」
その途中、ポケットティッシュを配っている青年と出会した。俺は無意識にポケットティッシュを受け取った。
「っ!!!」
が、直ぐに道端にポイ捨てした。何故なら表面には……
『怪異人を許すな!! 我々は皆様の安全の為に日夜戦っています。非正規労働運営』
という文面と、非労運が怪異人を殴り飛ばしている写真が貼られていたからだ。
「(今のといい、さっきのといい何なんだ……)」
自分が怪異人になった影響からか、怪異人に対するぞんざいな扱いが目に余る。今まで意識していなかった分、一度し始めると嫌でも目に入ってしまう。
「(そういう扱いになるのは仕方の無い事だ。人々に迷惑を掛け、恐怖に陥れた。当然の報いなんだ……なのに、何でこんなにも心が苦しくなるんだ……)」
まるで大切な仲間が虐められている。迫害を受けている。そんなやるせない気持ちになっていた。
「(今はそんな事を考えている暇は無い。これからどうするかを考えるんだ。あのごみ溜めで目を覚ましたという事は、少なくとも昨夜の出来事は夢では無かったという……)」
その瞬間、嫌な記憶が脳裏を過った。三人の非労運達にボコボコにされたあの時の事を。
「(……とにかく原因は定かでは無いが、俺は怪異人になれるらしい……だけど、朝目覚めた時には元の姿に戻っていた……もし、怪異人のままだったら……)」
最悪の想像を思い浮かべてしまった。そのせいで軽く吐き気を覚えた。
「(過ぎた事を考えるのは止めよう。元に戻れたんだ、ここは一旦家に帰るべきか? いや、駄目だ……元に戻れたとはいえ、またいつ怪異人になるか分からない以上、帰るのは危険だ)」
もし万が一叔父さん、叔母さんの目の前で怪異人になってしまったら、ショックで倒れてしまうかもしれない。
「(となると、学校にも通えなくなるな。まぁ、あまり良い思い出が無かったのがせめてもの救いか……)」
学校では虐めの毎日だった。身勝手かもしれないが、これで通えなくなったかと思うと、少し嬉しかった。
「(それなら仕事を探す? 現実的だが、俺は未成年だ。最悪警察を呼ばれ、自宅に強制送還される。年齢を誤魔化すか? 良い考えかもしれないが住所不定、携帯電話不所持、宿泊するお金すら持っていない。そんな怪しさ百点満点の奴を雇う所が果たしてあるだろうか)」
それに今の時代、殆どの応募がネットからの申し込みだ。一円も持っていない俺は、ネットカフェにすら入る事が出来ない。では直接掛け合うか、そんなの現代では門前払いを食らうだけだ。
「(そうなると残された道はホームレス生活になるのか……そこで地道に空き缶拾いを始めて……)……はぁ……」
思わず溜め息が漏らし、空を見上げた。空は薄汚れた雲が一面に広がっていた。戦争は数十年前に終わったが、その爪痕はこうした自然に色濃く残されているのだ。
「何やってるんだろ……俺……」
これからの事を真剣に思い悩んでいたが、急に自分がやっている事に対して、虚しさを感じ始めてしまった。
どうして俺がこんなにも悩まなくてはならない。昨日まで平凡な一人の学生として慎ましく暮らしていた筈なのに、突然怪異人になってしまい、挙げ句の果てには非労運に殺され掛けた。
体は全く疲れていないのに、心が疲労しきっていた。若干、鬱になり掛けていた。
「(もう昼頃だが……叔父さん、叔母さんはどうしているんだろう……朝、起こしに行ったら俺がいない事に気が付いて……もしかしたら、警察に捜索願いを出しているかもしれないな)」
残念ながら、見つけるのは不可能だろう。そりゃそうだ、まさか警察も車で約三時間掛かる様な場所にいるとは、想像もしない。つまり俺自身が知らせない限り、決して見つかる事は無いのだ。
「(悪いと思うけどこれも二人の為なんだ……ごめんね)」
影野重孝が怪異人だという事がバレれば、育てていた叔父さん、叔母さんが周囲から敵視され、最悪社会から抹殺されてしまう事となる。そうした意味でも、俺は帰る訳にはいかなかった。
「(さて、ホームレスになると決めた訳だが……そもそもホームレスってどうやったらなれるのだろうか?)」
よく聞くのは、ホームレスにも縄張りがあるという事。そして寝床は自分で作らなければならず、食料も自分で確保しなければならない。
「(昔は公園を縄張りにしていたホームレスがいるって聞いた事があるが……今でも公園って、寝泊まりして大丈夫なのだろうか……ん?)」
これからのホームレス生活について、考えながら歩いていると、爪先が何かにぶつかった。
「いったい何……がっ!!?」
それは怪異人だった。路地裏で行き倒れた怪異人の手が表通りに飛び出し、俺の爪先にぶつかったのだ。よく見ると、見た目こそ醜く恐ろしいが、体型から察するに女性だった。
「だ、大丈夫ですか!!?」
慌てて側に駆け寄り、安否を確認した。上半身を持ち上げ、軽く揺さぶった。体中、傷だらけで片足失っているなど見てるだけで痛々しかった。すると微かに意識を取り戻し、震える唇で答え始める。
「……た……す……けて……」
「!!!」
それが最後の言葉だった。女性の怪異人は、俺の腕の中で息を引き取った。生命の灯火が消える瞬間を、その手で実感したのだ。
「…………止めた……」
俺は、女性の怪異人を壁に寄り掛からせると、ゆっくりと立ち上がった。
「何を考えていたんだ……もう道は既に決まっていたじゃないか……」
工事現場で過剰労働させられ、理不尽な暴力を受けていた怪異人。ポケットティッシュに載せる広告の為に殴られた怪異人。そして、助けを求めているのに誰からも助けて貰えなかった怪異人。
「確かに……犯罪を犯す怪異人もいる……だが、それは人間だって同じ事じゃないか……それを人とは違う見た目をしているという理由で、対等に扱おうとしない。元はお前達と同じ人間なんだぞ……」
最早、俺の頭の中は人間に対する怒りと憎しみで一杯だった。強く握り締めていた両手に爪が突き刺さり、血が滲み出ていた。
「……俺が築き上げる……怪異人が認められる平等な世の中を……正当に裁かれ、普通の人間の様に暮らしていける世界を作り上げてやる!!」
この日、俺は決意した。怪異人にも優しい世界を。その為に俺は怪異人になる様、運命付けられたのだ。この世にいる全ての怪異人達よ。今こそ、立ち上がる時が来たのだ!!
遂に影野重孝は立ち上がった。
怪異人達の為に。
彼の行く道は希望か、絶望か。
次回もお楽しみに!!
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