中途半端
「……雨か……」
放課後。外では雨が降っていた。殴られた痛みに耐えながら、俺は前以て傘立てに、立て掛けた傘を取り出した。
「影野君、今帰り?」
夢川さんが声を掛けて来た。何も知らず、無邪気な笑みを浮かべる彼女。
「……そうだよ」
「良かったら、一緒に帰らない?」
まさか、本気じゃないだろうな。クラスの人気者が、日陰者と一緒に下校する。虐めという名の火に、油を注ぐ行為だ。もう少し、自分の立ち位置に自覚を持って欲しい。
「一緒に帰って、噂とかされると恥ずかしいし……」
「そ、そうだよね。ごめんね、変に気を使わせちゃって……」
断られた事に、分かりやすく落ち込む。彼女に悪気は無い。完全なる善意から来る行為。だからこそ、質が悪い。
「気にしなくて良いよ、それじゃあね」
「うん、また明日!!」
別れの挨拶を交わすと、彼女は元気を取り戻し、大きく手を振って見送った。
「(強くなって来たな……)」
雨は、更に激しさを増した。傘のお陰で、体は濡れずに済んでるが、常に動かしている足は、しっとり濡れていた。
「(家に帰ったら、シャワーを浴びないと…………ん?)」
考え事をしている最中、信じがたい物が視界の隅に入り込んだ。まさかと思ったが念の為、歩みを止めて振り返った。
「……“子犬”……?」
見間違いじゃ、無かった。確かにそこには、段ボール箱が置かれており、中には一匹の子犬が入っていた。
「いや、流石にベタ過ぎるだろ」
表面には『拾って下さい』の文字が書かれていた。子犬は小刻みに体を震わせ、寒そうにしていた。
「…………」
そんな子犬を前に、俺は無視して帰りを急いだ。残酷だと思うかもしれないが、こればかりは仕方の無い事だ。世の中、漫画やアニメの様に、上手く行かない。生き物一匹を飼う事が、どれだけ大変な事か。そんな後先の事を考えず、目の前の生き物を救うのは、偽善者か“非労運”しかいない。
“クゥン、クゥン……”
「…………」
か細く、切ない鳴き声が聞こえる。今にも死んでしまいそうだ。それならいっそ、楽にしてやる事が優しさか。俺は踵を返し、子犬の側まで寄る。
“クゥン、クゥン……”
「…………」
俺は、そっと手を伸ばす。そして、持っていた傘を段ボール箱に被せた。
「(別に、善意から渡した訳じゃない。このまま何もせず、放っておくのは心苦しいと思っただけだ)」
周りには誰もいない。にも関わらず、言い訳を必死に考えた。結局、全身ずぶ濡れになりながら、帰宅した。
「ど、どうしたの!? ずぶ濡れじゃない!? 傘はどうしたの!?」
「失くした……」
当然、叔母さんには心配された。傘の行方に関して問われたが、返事はこの一言だけで済ませた。
「先にシャワー浴びて来るよ」
「え、えぇ……分かったわ……」
子犬の事を話すつもりは無い。優しい叔父さん、叔母さんの事だ、話せばきっと飼っても良いと言うに違いない。これ以上、お世話になっている二人に重荷を背負わせたく無い。俺は、物思いに耽りながら、服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びた。その日の夜、風邪を引いたのか、全身が火照って中々寝付けなかった。
***
次の日、雲一つ無い清々しい青空の中、元の健康状態を取り戻した俺は、いつも通りの通学路を歩いていた。
「(はてさて、今日はどんな方法で虐めて来るかね)」
最早、虐められるのは確定していた。昨日、夢川さんとの下校は何とか避けたが、会話している所は見られていた。十中八九、因縁を付けられるだろう。
「(そう言えば、この辺だったな。あの子犬が棄てられてた場所……)」
丁度その時、棄てられてた子犬を見つけた道を通り掛かった。少し気になり、目線を向ける。
「まだあった……」
そこには、昨日と全く変わらない状態の段ボール箱が置かれていた。
「けど、傘が無いな」
となると、子犬だけを持って行った可能性がある。俺は何気無く、段ボール箱の中を確認する。
「……!!?」
覗き込むと、中には傘が入っていた。確りと閉じた状態のまま、“子犬”という傘立てに深く突き刺さっていた。
「…………」
ピクリとも動かない子犬。そっと手を伸ばし、突き刺さっていた傘を引き抜いた。先端部分が赤く血に染まっていた。
「折れて……ないか……良かった」
そしてそのまま、埋葬もせずに学校へと向かった。
「後で……洗わないとな……」
そこから先は、よく覚えていない。学校に着いた後、夢川さんに声を掛けられたけど、何て返したのか、思い出せない。学食の味も、よく分からなかった。
「お前、夢川さんに声掛けられたからって、調子乗ってんじゃねぇよ!!」
「歳上がそんなに偉いのか!? あぁ!!?」
「何とか言えよ!!」
「…………」
痛い。体じゃ無く、心が痛い。
「ちっ!! つまんねぇな、昨日の“糞犬”の方が、よっぽど虐めがいがあったぜ」
「(糞犬……?)」
「そうそう、キャインキャインって吠えたもんな」
「だけど、流石に傘で突き刺すのはやり過ぎじゃねぇの?」
「!!!」
「何言ってんだ。あんなの、社会から棄てられたゴミさ。どう扱おうが、罪にはならねぇよ。それに、あんな所に傘を置く方が悪いんだよ」
「(こいつらが……こいつらが……)」
「あ? 何勝手に立ち上がってんだ?」
俺は、ゆっくりと立ち上がった。パンツ一丁で恥ずかしい姿だが、怒りと憎しみに満ち溢れていた。
「…………この」
「あぁ?」
「この……屑がぁあああああ!!!」
「「「!!?」」」
子犬の事だけじゃない。今まで募りに募った思いが、一気に爆発した。放たれた渾身の拳が、虐めっ子の顔面に突き刺さる。そして…………。
「こいつ……嘗めやがって!!」
「ごぶっ!!」
あっさりと殴り返された。体育会系の鍛え上げられた重たい拳が、顔面に叩き込まれ、呆気なく地面に倒れた。
「どうやら、もっとキツイお灸を据えないと駄目らしいな」
「お前のへなちょこパンチじゃ、痛くも痒くもねぇわ!!」
「死ね!! 死ね!! 死ねぇえええええ!!!」
「…………」
結果、倍返しされた。所詮、現実はこんな物だ。どんなに怒りと憎しみがあっても、強大な力の前では全てが無と化す。
「はぁ~、殴り疲れた、蹴り疲れた」
「おい、そろそろ行こうぜ」
「そうだな、それじゃあ影野君、また明日!!」
「…………」
高笑いを浮かべながら去った。一人残った俺は、丁寧に折り畳まれた学生服を着ると、そのまま家に向かって走り出した。
「あっ、影野君!! もしかして……あれっ?」
途中、誰かと擦れ違った気がしたが、今はそんな事を気にしている余裕は無かった。無我夢中で走り続け、一切休む事無く玄関まで辿り着いた。
「おかえりなさい」
「…………」
乱雑に靴を脱ぎ捨て、無言のまま自室へと駆け込む。
「ちょ、ちょっとどうしたの!!?」
何も答えず、扉に鍵を掛け、布団に潜り込んだ。
「重孝君!! 重孝君!! いったい何があったの!? ねぇ、教えて!!」
扉を叩く音が聞こえる。煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い!!!
両手で両耳を塞ぎ、聴覚を断ち切った。もう何も聞きたくない。
瞼を強く閉じて、視覚を断ち切った。もう何も見たくない。
俺は、いったい何がしたかったんだ。正義の味方にでもなりたかったのか。
なら何故あの時、保護してやらなかった。そうしていれば、助かっていたかもしれない。
だが、あの子犬は既に弱りきっていた。遅かれ早かれ、死んでいた。只、自分の渡した傘のせいで、死んだのだと思いたくないだけだ。
なら何故あの時、楽にしてやらなかった。そうしていれば、虐めっ子達に弄ばれ無かったかもしれない。
何故、虐めっ子を殴った。そんな事をすれば、虐めがエスカレートするのは火を見るよりも明らかだ。たった数分程度の関わりしか持たなかった、子犬の敵を取りたかったのか。
いや、違う。切っ掛けが欲しかったんだ。この状況を打破する切っ掛けが。俺の中には、怪異人である親父の血が入っている。もしかしたら、この怒りを糧に覚醒するかと思ったが、そんな夢物語は無かった。
“中途半端”なんだ。俺は、誰かを救う非労運にも、誰かを恐怖に陥れる怪異人にもなれない。
もう何もしたくない。
「……んっ、あぁ、いつの間にか寝ちゃってたか……カーテン締めないと……」
眠たい目を擦りながら、起き上がった。外はすっかり暗くなっており、カーテンを締める為、俺は窓の前に立った。
「……ん?」
幻か。そんな事を思いながら、目を大きく見開く。するとそこには、筋骨粒々で全身が灰色、手足が長く、それぞれの指は鉤爪の様に尖っており、顔はまるで鬼の形相をした“化け物”が立っていた。
「ば、化け物!!?」
果たして影野の目の前に現れた化け物の正体とは!?
次回もお楽しみに!!
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