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禁煙シリーズ

それでも禁煙したい男。

作者: りったん

「いい加減、諦めなさいよ。あんたのような優柔不断な男には、禁煙なんていう高貴な事はできないのよ。ニコチン帝国の奴隷で一生を終わるんだからね」

 相変わらず、口と性格が悪い西村恭子。しかし、こいつの本性を知らないアホな男共は、

「一度でいいから、デートしたい」

 バカなのかと思うような事を考えており、もっと重症な奴は、

「恭子さんにののしられたい」

 すでに変態道を極めようとしているとしか思えないヤバい発言をしている。

「でも、高延たかのべ先輩に悪いっすから、俺は身を引きますよ」

 苦笑いをしてそんな事を言う奴までいる。

「俺は関係ねえよ。お前がそのつもりなら、すぐに行け」

 シッシと手で追い払う真似をしながら言うと、

「ホントにいいんすか? 俺、全力で西村先輩口説いちまいますよ?」

 妙な念を押されたので、

「構わねえよ。男日照おとこひでりのあいつもきっと喜ぶぜ」

 それ以上言葉を交わすのもかったるいし、イライラするとタバコが欲しくなるので、その場から立ち去り、外回りに出た。

 三度目の禁煙宣言をした。だが、営業一課の誰もそれを信じていない。「西村恭子の財布」である俺が、恭子に金を貢ぎたくてそんな事を言い放っているだけと思われている。だからこそ、俺は余計意固地になり、必ず禁煙を成し遂げてみせると神仏に誓った。初詣にも行かない無神論者だが。

 ネットで、禁煙に成功した人のブログを読んだり、禁煙外来の医師の論文を探して読んだりして、どうすれば俺の人生で最大の苦行を完遂できるのか、調べた。その多くがあまり参考にならなかったが、気づいた事がある。

他人ひとに頼っていては、決して成し遂げられない」

 この一点。そう確信した俺は、その日から仕事に没頭した。考えてみれば、クライアントのところでは、一切タバコを吸った事がない。要するに、手持ち無沙汰になるとつい吸いたくなっていたのだ。それさえわかれば、後は簡単だ。とにかく、タバコの事を思い出す間もないくらい忙しくしていればいいのだ。

 まさに一石二鳥だった。タバコは吸わずにいられるし、仕事も順調になり、課長の機嫌もいい。俺はその月の営業成績のトップを独走し、恭子にも大きく差をつけていた。

「ねえ」

 禁煙ルームの前を通りかかると、中から恭子が出てきた。

「何だ?」

 俺はごく普通に応じたのだが、何故か恭子は不機嫌だ。まあ、そうだろう。俺は禁煙宣言をして継続しているし、成績も恭子に勝っている。何もかもが恭子には面白くない方向に進んでいるのだ。

「あんた、死ぬよ。仕事を張り切り過ぎだし、好きなタバコを我慢してストレス溜まりまくってるでしょ?」

 恭子は俺を睨みつけて言った。だが、今はお釈迦様並みの寛大な心を持っている俺は、

「忠告ありがとう。しかし、全くストレスは感じていないし、充実した毎日を送っているお陰で、仕事も負担にはなっていない。ニコチン帝国から解放されて、どんどん体調が良くなっている」

 爽やかな笑顔で告げた。すると恭子はダメだこりゃというように肩をすくめて、

「あっそう。まあ、せいぜい頑張ってね」

 また喫煙ルームに入ると、紫煙をくゆらせた。俺は苦笑いをして会社を出た。


 そしてまた何事もなく一日が終わった。最後の訪問先を出て、直帰の連絡を入れると、どこにも寄らずにアパートに戻った。今はタバコではなく、適度な量の家飲みにはまっている。

「うん?」

 いい気分になった頃、スマホが鳴った。恭子からだった。

「どういう事よ?」

 通話を開始するなり、そう言われた。俺はその声のデカさに顔をしかめて、

「何の事だ?」

 本当に思い当たる事がなかったので、尋ねた。

「あんた、あらしがおろこ日照りらって言ったそうね?」

 呂律がおかしい。酔っているのか? 絡み酒か。面倒だな。適当にあしらって、切っちまおう。そう思ったのだが、

「られのせいれ日照ってると思ってんのよ!」

 意味不明な返しだったので、

「はあ?」

 思わず反応してしまった。あれ? 泣いてるのか? 嗚咽が聞こえるぞ。

「あらしがこれほろモーションかけているろに、知らんぷりしてさあ」

 え? どういう意味だ? 急にドキドキしてきた。

「今、どこにいるんだ?」

「ろこらっていいれしょ! あんたには関係ないんらし!」

 また嗚咽が聞こえる。流石に「男日照り」は言い過ぎたか。それにしても、あのバカ後輩、それを恭子に言うなよ。

「とにかく、どこにいるのか教えろ。そっちで話そう」

 俺は何とか恭子を説得して場所を聞き出すと、アパートを出た。


「ここか」

 恭子がいたのはカラオケボックスだった。後輩達と飲みに行き、二次会で来たらしい。恭子の絡み酒が始まったので、女子の後輩からいなくなり始め、男共も次第に消え、今は三人しかいないようだ。受付でルームナンバーを確認すると「現場」へ向かった。

「ほうら、来たでしょ? ね?」

 入っていくと、ほろ酔い加減の恭子が、残っていた泥酔状態の後輩達の肩を叩いて喜んでいる。

「どういう事だ?」

 俺は恭子に詰め寄って詰問した。恭子はゲラゲラ笑って、

「この子達が、譲治を呼び出したら、来るか来ないかで賭けをしないかって言い出したから、乗ったの。で、あたしの勝ちィ!」

 俺の右手を両手でがっちりと掴むと、強烈な握手をしてきた。

「西村先輩、もう飲めましぇーん……」

 肩を叩かれていた後輩の一人が遂に酔い潰れた。

「でも、来てくれて嬉しい!」

 恭子はソファから立ち上がると、抱きついてきた。

「やめろ!」

 俺は恭子を突き放して、部屋を出て行こうとした。

「怒らないでよ。こうでもしないと、あんたにあたしの本当の気持ちをわかってもらえないと思ったの」

 恭子は真顔だった。冗談を言っている雰囲気ではない。

「本当の気持ち?」

 俺の心臓がまた鼓動を速めていく。恭子は頷いて、

「そう。あんたって、相当な鈍感だから、全然気づいていないみたいだし」

「え?」

 そこまで言われたら、これが何の事なのかはわかった。恭子が俺の事を? まだ信じられない。

「もう、タバコ代もいらないし、電子タバコも返す。今までありがとう」

 恭子は持っていたタバコと電子タバコのケースをテーブルの上に置き、ソファに腰掛けた。

「そうか」

 俺は酔い潰れた一人を押しのけて、恭子の向かいのソファに座った。

「あんたがあたしとの事で、みんなにからかわれているのを知って、申し訳ないと思ったし、このままじゃいけないと思ったの」

 恭子は俯き加減で恥ずかしそうに俺を上目遣いに見ている。まただ。またこの仕草と視線にやられちまいそうになる。俺は理性を保とうとした。

「だから、はっきりさせた方がいいと思って」

「そうか」

 俺も何だか照れ臭くなってきた。恭子はもじもじしながら、

「あたし、あんたの事、男として見た事なんて只の一度もないし、あんたと噂になるの、本当に嫌なの。だから、あんたもそういう目であたしを見ないでね」

 一瞬にして頭の中が真っ白になった。何? 何言ってるの、この女は?

「じゃ、そういう事で」

 恭子はショルダーバッグを掴むと、部屋を出て行ってしまった。

「あっ!」

 呆然としてしまっていた俺は、しばらくして我に返ると、部屋を飛び出して恭子を追いかけようとしたが、

「お客様、お支払いをお願いします」

 店員に呼び止められ、仕方なく立ち止まった。結構な金額を支払わされたので、酔い潰れている後輩達に幾らかでも負担させようと思ったが、連中は無一文だった。

 何て日だ! 心の底から叫びたかった。


 そして翌日。出社すると、恭子はすでに来ており、俺を見つけるとバツが悪そうに書類の陰に顔を隠した。

「おい」

 俺は恭子の席の後ろに回り込み、声をかけた。恭子はくるっと椅子を回転させて、

「ごめん! 昨日は何か悪酔いしたみたいで、全然覚えていないの。でも、あんたに酷い事言ったらしいのは、何となく覚えてる」

 手を合わせて詫びてきた。俺は溜息を吐いて、

「まあいいよ。今度から、絶対に呼び出すなよ。そんなつもりがないんだったらな」

 いたずらっ子を諭すように告げると、自分の席に戻った。すると、恭子からショートメールが届いた。本人の顔を見ると、俯いている。仕方なくメールを見た。

『そんなつもりがあるのなら、呼び出してもいいって事?』

 思わせぶりな文章だった。だが、もう騙されない。こいつは俺のリアクションを楽しんでいるだけだ。だから、あいつの顔を見ずにスマホを鞄に投げ込み、仕事を始めた。


「待ってよ」

 フロアを出て、急ぎ足で廊下を歩いていると、恭子が追いかけてきた。

「何だよ? 急いでるんだ」

 イラついて振り返った。恭子は涙ぐんでいる。だが、もう騙されない。

「そんなつもりがあるって言ったら、あんたどうするの?」

 恭子が涙を一粒こぼしながら詰め寄ってきた。周囲を見た。誰もいなかった。

「こうするよ」

 俺は恭子の唇に自分の唇を押し当てた。すると恭子が抱きついてきた。俺も恭子を抱きしめ、更にキスを続けた。やがて周りに人だかりができたが、俺達は構わずにキスを続けた。何年分もの間隙を埋めるように。

「ニコチン臭い。あんた、隠れてタバコ吸ってたわね?」

 唇を離して恭子が言った。俺は苦笑いして、

「ああ。お前とキスするためにな」

「嬉しい」

 俺達はまた唇を合わせた。課長が走ってきて、叱られるまで。


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― 新着の感想 ―
[一言] めでたし、めでたしですね。 でも、このまま終わるはずがないと、思ってしまうのは考え過ぎでしょうか…。
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