第一章 空讀聖真(そらよみせいま)の序曲(オーバーチュア) 後編
「あなたが目覚めたことを感じ取った方々はあなたを放っては置かないでしょう」
「えっ?それって、どういう・・・・・・」
アイリスの返答を待つ間もなく、突如として白い空間に薄氷が割れるようなパキンッ!という音が鳴り響いた。
黒い罅が、出現した。
「つまりは、こういうことです!」
アイリスはそう言うなり、右手を天高く掲げた。
「『この輝石こそ、奇蹟なり!』」
『奇蹟石』を、その落下を待たずに右手で掴み取ったアイリスは、空いている方の左手を、俺に向かって差し出した。
「聖真!手を握ってください!」
「う、うん」
「この力は、あとでお返しいたします!」
俺は、体力みたいなものがすーっと抜け落ちる感覚に襲われた。
身体がちょっと重くなる。
アイリスは手を離した。
エナジードレインという単語が脳裏を過ぎった。
「すみません・・・・・・!ですが、この力でお守りいたします・・・・・・!」
アイリスは『奇蹟石』をギュッと握り締める。
『奇蹟石』は、虹色に輝き出す。
その形状は長い棒と平たい面を掛け合わせたもので、先が尖っていた。
剣だ。
俺はそれが剣だと即座に理解する。
それは、純白のロングソードだった。
赤い炎を纏っているため、その色はほとんど見えなかったが。
その柄の中心に宝石のダイヤモンドが埋め込まれている。
天使メタトロンの力を感じた。
何故、そんなにも具体的な力の名称を知っているのか。
それは自分にも分らなかったが、自分がアイリスに与えた力はそういうものだと理解していた。
俺は、天使メタトロンとの関係が深い、第1のセフィラこと、ケテルの力を持っているということを思い出したのである。
アイリスは剣先で盾を描いていた。
俺たち二人を覆い隠すには充分な大きさの、透明な亀の甲羅のような形の盾が召喚された。
「聖真は私を見ていてください。それだけで、勇気を与えられた私は無敵になれるんです」
アイリスの言葉に胸が熱くなる。
「君のことは、ちゃんと見ているよ」
「ありがとうございます」
アイリスはそう言って微笑んだ。
黒い罅は瞬く間に蜘蛛の巣のように広がる。
空間は、卵の殻の欠片のように剥がれ落ちた。
それらはガシャンガシャンと地面に打ち付けられ、砕け散る。
割れ目から、強い風がビュービューと勢い良く吹いて来た。
透明な盾越しにその割れ目を覗き込む。
すると、その向こう側には荘厳な神殿がある。
それを目撃した直後、セイマは再び頭が熱くなるのを感じた。
先程と同じように視界の中で砂嵐が発生する。
そして、映像が現れた。
神殿の中に、アイリスがいる。
自分たちの軍服の意匠のように巨大な樹の模様が彫り込まれた壁画を背に、彼女は何者かと向き合っていた。
アイリスは何かを止めようと涙を浮かべながら必死に声を掛けている。
俺はその口の動きから察するに、アイリスが向き合っているのは過去の俺なのだと気付いた。そして、今の俺は過去の俺の中にいるのだと理解する。
過去のおれが頭を振ると、視界が左右に揺れていたからだ。
それから、過去の俺の頭付近でカチャリという音が聞こえた。
何か、嫌な予感がする。
それが気のせいではないということはすぐに分かった。
アイリスが走って来たからだ。
彼女の、鬼気迫る表情を見るからに、ただごとではない、ということだけは確かだと分かる。
近付いて来たアイリスの瞳には俺の姿が映っていた。
虹色の拳銃を、その手に持っている。
銃口は、自分のこめかみに当てていた。
過去の俺は微笑んでいる。
銃の引き金が引かれた。
神殿に、空気が弾け飛んだようなパァンッ!という発砲音が響き渡る。
過去の俺は銃弾の反動を受けて、左側に倒れた。
視界が霞んでいく中でアイリスに抱き起こされる。
アイリスは大粒の涙を零していた。
過去の俺は右手を伸ばす。
その右手の指先は震えている。
だが、アイリスの頬に触れた指先は涙を拭おうと僅かに動いていた。
アイリスはそこに自分の手を重ねる。
過去の俺とアイリスが手を取り合う中で、世界は白く染まっていった。
俺は現実の世界に引き戻される。
あまりにも一瞬の出来事だった。
意識を失っていたのはほんの僅かな時間であるに違いないだろう。
俺がそのように確信できたのは、目の前の光景が数秒前と変わっていなかったからである。
空間の割れ目から何かが現れた。
それは、セイマの身の丈ほどの大きさを誇っている巨大な目だ。
爬虫類のような生物の、魚のような鱗に覆い尽くされた目元も見える。
白い目玉の中に紫色の丸い瞳があった。
その中心を真っ二つに割るかのように縦に細長い紡錘形の金色の虹彩がある。
魚のような鱗も金色だった。
身体が黄金で作られている生物なんて、いるのだろうか。
それは分からない。
だが、次に白い鉤爪が1本ずつ現れた。
それは割れ目に引っ掛けられる。
両側の、左右を合わせて、5本ずつであり、計10本であると判明した。
割れ目は両端へと一気に引き裂かれる。
そこにいたのは、ドラゴンだった。
黄金色の輝きを放っている。
蜥蜴のような頭と顔があり、胴体と手足がある。
蝙蝠のように皮膜が張られた、巨大な両翼がある。
蛇のように長い、尻尾がある。
そんなドラゴンが口を開く。
世界の終わりを告げるような、赤い炎が噴き出した。
第一章
空讀聖真の序曲 後編
了