第九十一話「広島の日とメイショウカイドウ」
「執筆中小説」のところに残っていたやつを、ひっそりと更新してしまおうって思ってした。多分、92話以降が書かれることはないのだけれど……
昨日、いつものようにあれやこれや考えながら目を閉じていたら、知らぬ間に眠っていて、気がついたら朝だった。
今日は8月6日日曜日。
今日は「広島の日」だから、朝の8時15分にはテレビを見ながら、みんなで黙祷した。
親父からしてみれば、死別した奥さんが広島の人なわけだし、俺からしてみれば母方で広島市民の血を引いているわけだし、8月6日の朝に平和を祈るのは、ごくごく当たり前のことだった。
まあ、俺の母方のおじいちゃんおばあちゃんは戦後生まれだから被爆者なわけはないし、ひいおじいちゃんひいおじいちゃんも、広島駅まで電車で1時間近くかかるようなところに住んでいては、特になんの被害も受けることはなかったのであるが、そもそもおじいちゃんおばあちゃんちのあるところは、1945年当時は吸収合併されるはるか前で、まだ広島市ではなかったわけだし……
それでも祈りを捧げることに深い理由なんてない、別に理由なんか必要ない、俺たちは人として当たり前のことをしているだけだ。
なんてことを考えていたのもせいぜい8時半ぐらいまでで、その後、レイラさんの車に乗せてもらって小倉競馬場に向かっている時にはもう、広島市のことはすっかり忘れてしまっていた。
「忘れてしまった」と言えば昨日のことが不思議と思い出せない、たしかに「昨日のこと」なはずなのに、まるで3ヶ月ぐらい前のことのように思える、なぜだろう?
さすがに昨日、小倉競馬場で偶然カレンさんに出会ったことと、馬券予想を外したことぐらいは覚えているが、細かいことは思い出せない、それだけ昨日の出来事は俺にとって「忘れてしまいたいこと」なのだろうか?
それにしても不思議だ……「昨日のこと」なのに、こんなにも記憶がおぼろげだなんて……まだ15歳なのに……
「ほれ、サトシ。今日のお昼代、それじゃあ」
「あ、ちょっと、慶彦さん!」
今日も親父は、競馬場の出入口でランチ代の3000円を俺に渡したのち、どこかへ走り去っていった。
そんな親父のことをチカさんはあわてて追いかけていき、妹であるレイラさんは呆れ顔で眺めていた。
「ねえ、サトシくん、お兄ちゃんっていつもこんな風にサトシくんのことほっぽり出して、どっか行っちゃうの?」
「そうですね、わりといつもこんな感じですね」
「じゃあ、いつもサトシくんは一人で競馬場をうろちょろしてるの?」
「まあ、そうですね、親父いわく俺がいると足手まといらしくて、じゃあ連れてくんなよって話なんですけど……」
「まったく、お兄ちゃんったら、昔からギャンブルに目がないんだから……ところで、サトシくん、今日は私、用事があって競馬場にいられないから、アオイの面倒見てくれない?」
「え?」
「本当はお兄ちゃんに頼もうと思ってたのに、どっか行っちゃったから、もうサトシくんしか頼れる人がいなくて。一人でうろちょろしてるぐらいなんだから、競馬場には詳しいんでしょう?」
「まあ、一応、『庭』ぐらいには思ってますけど……」
「それなら安心してアオイを任せられるわね。お願い、タダでとは言わないから……」
レイラさんは財布から5000円札を取り出し、俺に手渡そうとする。
「い、いいですよ、別に……お金もらわなくてもアオイちゃんの面倒ぐらい見ますよ」
「またまた、本当は欲しいくせに……遠慮すんなよ」
「いや、本当にいいですって……」
「安心して、お兄ちゃんには内緒にしとくから……」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
「そう、それなら仕方ない……」
「え!?」
レイラさんが5000円札を財布にしまおうとするのを見た俺は情けない声をあげてしまった。
「ほら、やっぱり欲しいんじゃん。欲しいなら素直に受け取れ! サトシくんも知ってると思うけど、うちって金持ちだから、5000円なんてはした金なのよ、はした金」
「は、はい、すいません、いただきます……」
さすが旦那が億単位のお金を稼いでくれる人は言うことが違う、俺は日本人らしく一度は辞退する素振りを見せながらも、最終的にはきっちりと5000円札を受け取ってしまったのだった……別にいいじゃん、父方のひいおじいちゃん以来、池川家の家訓は「金持ちと政治家からは搾れるだけ搾り取れ」なんだもの……身内に金持ちがいるんなら5000円ぐらいいただいてもバチは当たらないよね、ひいおじいちゃん……会ったことないけど……
「それじゃあ、よろしくね、サトシくん。バーイ」
俺が5000円を受け取ったことに葛藤を抱いていることなど露知らぬのであろうレイラさんは、手を振りながら去っていった。
小倉競馬場の出入口に残されたのは俺とアオイちゃんの二人きり。
「今日はよろしくね、サトシお兄ちゃん!」
なぜだかニコニコ笑顔のアオイちゃんは、嬉しそうに俺の手を取ってきた。
「あ、ああ、よろしく……」
残念ながら俺はナボコフでもハンバートでもハンバーグでもないので、幼女の小さな手を握っても、特になんとも思いはしない、絶対に……
「日曜日の朝はパドックに誘導馬がいるんだよ、行こう、サトシお兄ちゃん」
「う、うん……」
アオイちゃんに引っ張られてパドックにやって来たら、「誘導馬ご挨拶」なるイベントが行われていて、そこには、間もなく誘導馬を引退するメイショウカイドウがいたので、俺はテンションが上がった。
そんな俺のことをアオイちゃんが不思議そうな目で見てきたので、俺はメイショウカイドウが史上最後の「小倉三冠馬」であることなど、メイショウカイドウに対するうんちくを熱く語りながら、メイショウカイドウの鼻面に触れた。
騎手を目指しているアオイちゃんが、サラブレッドうんちくを煙たがったりするはずもなく、興味深そうに聞いてくれた、「そんなすごい馬だとは知らなかった」などと言いながら。
そしてアオイちゃんもメイショウカイドウの鼻面に触れたが、その時のアオイちゃんはまさに満面の笑みで、本当に馬のことが好きなんだと伝わってきた。
そんなパドックをあとにして、俺はアオイちゃんとともに、何気なく2階へと向かった。
それが運の尽きだった。
アオイちゃんと手をつなぎながら、2階の通路を歩いている時、目の前に、どこかで見たことあるような二人組が現れた。
「うわー、着いた瞬間に出会うだなんて、ボクたち、ついてますねー! ねえ!?」
「そうね、探す手間が省けたわ……」
ひょっとしたら、顔がよく似た別人なんじゃないかとか、あり得ないことを思ってしまったけれども、声を聞いてはっきりわかった。
この二人は間違いなく……パーラーとマッチだ。
この作品は余計なことを書きすぎなので、換骨奪胎して、無駄な部分を削ぎ落とした結果生まれたのが、新作の「大好きな幼なじみがレズビアンだから、告白できない赤井くん」だったりします。




