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第七十二話「貴族の娘はチェルシーがお好き」

「あら、わたくしてっきり、サトシ様のお友達って男の方だと思っていたのですが、女の方でいらっしゃったのですね」


 そんなわけで、夏の高校野球、山口県大会の決勝の日の朝、3列シートのSUVで、池川家に迎えに来たクレナお嬢は、俺の隣にいるナナと福原(ふくばら)さんを見て、驚いたような表情を見せた。


 でも俺は別に焦ったりはしない、お嬢はサアヤさんと比べたら、きわめて常識人であり、きちんと事実を説明しさえすれば、なんの問題もない……はず。


「まあ、女子と言っても、俺とナナはただの幼なじみで、お嬢が思っているようなことはなんにもないから安心してよ」


 もちろん、俺がナナに告白してふられたことまで、バカ正直に教える必要がないことぐらいはわかっている。


「そうなのですか。ずいぶんお胸の大きい幼なじみでいらっしゃいますのね。それでもう一人のお方は?」


 クレナお嬢はナナに近寄って、爆乳を間近でガン見したあと、今度は福原さんの方を見た。


「こちらはナナの友達の福原さん。俺とは最近知り合ったばかりだから、やっぱり、お嬢が思っているようなことはなんにもないよ」


 もちろん、ナナと福原さんが付き合っていることを、わざわざお嬢に教える必要もない……教えたところで、お嬢には理解できないのではあるまいか? この世には「女性同士で付き合うこともある」ということを……


「そうなんですのね。はじめまして、福原さん」


「あのー、私、一応、特進クラスの生徒なんだけど、覚えてないかな? 山田さん」


 クレナお嬢は本来なら特進クラスに入るはずだったが、俺のせいで一般クラスのA組にやって来てしまったのである。


「申し訳ございません、まったく記憶にございませんわ」


「そんなぁー……」


 クレナお嬢は頭がいいのだから、記憶力は抜群のはずだが、自分が興味ない人のことはまったく覚えていないみたいだった……まあ、お嬢が特進クラスにいたのは入学式の日だけのはずなので、福原さんのことを覚えていないのは仕方がないのかもしれない……


「そんなことより、そろそろ参りましょう。早く行かないと、試合が始まってしまいますわ」


「うん、そうしようか」


 予想通り、クレナお嬢はきちんと説明したらわかってくれた、謎の嫉妬の炎を燃やす、どっかの誰かとは大違いだ……


 安心した俺がさっさと車に乗り込もうとしたら、ナナが引き止め、小声で話しかけてきた。


「ちょっとサトシ、球場に連れていってくれる友達ってあのお嬢様のことだったの? だったら、先に言っといてよ」


「え? なんで?」 


「なんでって……学園の経営母体のお嬢様と一緒に外出するなんて、いろいろ気をつかうじゃないのよ、もっと気楽な外出がしたかったのに……」


「お嬢はナナが思っている何倍もいい人だぞ。何も気兼ねすることないって」


「ていうか、サトシはいつの間にあのお嬢様と、一緒に遠出するほど仲良くなってたのよ?」


「え? 俺がお嬢に気に入られてるってうわさ話、聞いたことないの? 1年生なら、わりと誰でもしてる話だと思うんだけど……」


「知らないわよ。私はそういうゴシップとか興味ないから」


「サトシ様。何をしていらっしゃいますの? 早くお乗りくださいな」


「う、うん。ほら、ナナ、待たせちゃ悪いから、さっさと乗るぞ」


「わかったわよ」






 今回も俺は右手にクレナお嬢、左手にロバータ卿に挟まれた、2列目真ん中の席に座らされ、ナナと福原さんは3列目の席に座った。1列目にいるのはもちろん、運転手と、助手席のそごうさんだった。


 今回は別に県外に行くわけじゃないし、どうせ午後には帰ってくるに決まっているので、親父の許可は特に取っていないが、まあ問題はないだろう。


 一応「友達と出かけるから、今日はお昼ごはんはいらないよ」と言ってあるし……


 7人を乗せた車は国道246号を北上し、県都(けんと)・山口市を目指して、快調に走っていた。


Hey(ヘイ) Satoshi(サトシ) Summer(サマー) イギリスニイルトキハゼンゼンシリマセンデシタケド、Baseball(ベースボール)ッテ、オモシロイSports(スポーツ)ナノデスネー」


 車内で、ロバータ卿が話しかけてきたので、俺は話し相手になってあげた。


 4月の時と比べたら、かなり日本語が上達したロバータ卿だが、相変わらず英単語はネイティブの発音で、聞き取るのに苦労した。


 クレナお嬢が俺のことを「サトシ様」と呼ぶのをまねて、「Satoshi(サトシ) Summer(サマー)」と呼んでくるのも相変わらずだった……4月とか5月なら「今は夏じゃないよ」って言えたのに、7月の今は夏だから、「Satoshi(サトシ) Summer(サマー)」でも別に間違っていないような気がしてきた……いや、間違ってる、間違ってる……


 閑話休題……


「イギリス人は野球をやらないの?」


「ハイ、ワタシノマワリデハダレモヤッテマセンデシタ。ナゼナラ、イギリスデBat(バット)Ball(ボール)トイエバCricket(クリケット)ダカラデス」


「ふーん、そうなんだ」


 以前、ロバータ卿に教えてもらって興味を持ち、Wikipediaでクリケットのことを調べてみたり、ようつべでクリケットの動画を見てみたりしたが、俺にはいまいち面白さがよくわからかった。


 やっぱり野球の方が面白いなと思った。


「デモ、イギリスデイチバンPopular(ポピュラー)Sports(スポーツ)Football(フットボール)デスネ、Cricket(クリケット)ジャアリマセーン」


 ロバータ卿はお話し好きな人らしく、一人でどんどん話を先に進めていた。


「フットボール? ああ、サッカーのことね」


Soccer(サッカー)? ニホンデハFootball(フットボール)ノコトハ『シューキュー』ッテイウンジャアリマセンデシタッケ?」


「『蹴球』? それは昔の言い方で、今はみんな『サッカー』って呼んでるよ」


Oh(オー) ソウナンデスネ」


 なぜかロバータ卿は古めかしい日本語をよく知っていた、留学生ってのはみんなそういうものなのだろうか?


「ロバータ卿は、サッカー好きなの?」


「モチロン。ワタシハキッスイノLondon(ロンドン)ッコナノデ、Chelsea(チェルシー)Supporter(サポーター)デス」


「チェルシー?」


「チェルシーはロンドンに本拠地を置く、プレミアリーグのサッカーチームですのよ、サトシ様」


「プレミアリーグ?」


「あら、ご存知ありませんの? イギリス最高峰のプロサッカーリーグであるプレミアリーグのことを」


「ごめん、お嬢。俺はサッカーには詳しくなくて……」


「そうなんですのね」


London(ロンドン)ニハ、Arsenal(アーセナル)ヤ、Tottenham(トッテナム)モアリマスケド、ワタシハChelsea(チェルシー)ガスキデスネー、London(ロンドン)ノチームノナカデ、イチバンツヨイノガChelsea(チェルシー)デスカラネー」


「ふーん……」


 サッカーと言えば、2010年代の前半、広島にあるサッカーチームが4年間のうちに3回も優勝した時は驚いたものだが、だからと言って、俺がサッカーにハマることはなかった。


 やっぱり野球の方が好きだった。


 その広島のサッカーチーム、今年は成績不振で、監督が解任されてしまったらしい。


 3回も優勝したのに、ちょっと成績不振になったぐらいですぐクビになるとは、サッカーってのは恐ろしいものだ……まあ、最近は野球もそんな感じなんだけど……


 そんなこんなで、ロバータ卿やクレナお嬢と話をしているうちに時間はあっという間に過ぎていき、目的地である西京(さいきょう)スタジアムに、無事たどり着いた。






 クレナお嬢とそごうさんに、当たり前のように連れてこられたのは、バックネット裏最前列の特等席だった。


 なんで、いきなり来て、こんな良い席に座れるんだろうと思ったけど、球場の名前を見て納得した。


「ヤマダ西京スタジアム」と書いてあったのだ、そう、ヤマダ自動車がこの球場のネーミングライツを買っていたのである……結局は金の力で、特等席で野球観戦できるというわけか、恐ろしや……


「はい、サトシ様。この日焼け止めをお使いなさいませ」


 金持ちの力に震える俺の右隣に座っていたクレナお嬢が、日焼け止めを差し出してきた。


「え? 使っていいの?」


「ええ、本当なら日傘をさしたいところですけど、それでは後ろのお客様にご迷惑がかかってしまいますからね、日焼け止めでガードするしかありませんわ」


 やっぱりクレナお嬢って、意外に常識人で、いい人なんだなと思った。


「でも俺、男なんだけど……」


「サトシ様。今の時代、男とか女とか関係ありませんわよ。きちんと日焼け止めを塗らないと、将来、悪い病気になってしまいますわ。人生これからという時に病に倒れてしまっては困るでしょう? サトシ様は未来のヤマダ自動車の副社長なのですから……」


 うん、人を勝手に、未来の旦那扱いしてるところは、実に非常識でよろしくないね……


「そっか……じゃあ塗ろうかな……」


 でも、やっぱり日焼けして、肌が痛くなるのは嫌だから、俺は素直にクレナお嬢の厚意に甘えることにした。


「ちなみにそちら、1本2万円の高級日焼け止めなので、お肌に優しいですわよ」


「に……にまん……」


 俺はやはり、金持ちの力に震えながら、日焼け止めを腕に塗った。


「ねえ、サトシ。私にも貸してよ、それ」


 左隣に座るナナにそう言われて、俺はクレナお嬢にお伺いを立てた。


「ねえ、お嬢。ナナや福原さんにも、この日焼け止め貸してもいいかな?」


「ええ、どうぞ、どうぞ。ご自由にお使いくださいませ」


「だって」


「ありがとう」


 俺はナナに日焼け止めを渡しながら、2万円の日焼け止めを惜しまず他人に分け与えられる金持ちの力に、やはり恐れおののいていた。







 球場に着いてからすぐに試合が始まるわけもなく、しばらくは暑い中、座って待たないといけなかった。


 俺たちは左から、福原さん、ナナ、俺、クレナお嬢、ロバータ卿、そごうさんの順に座っていた。


 みんな、暑さ対策で帽子を被っていた。


 俺はいわゆる「野球帽」だが、女子たちはもっとオシャレな帽子を被っていた……俺にはよくわからないが、たしか「カンカン帽」とかなんとか言うんじゃなかったっけ?


「どうしましたの、サトシ様? 先程からキョロキョロしてらっしゃいますけど?」


「え? ああ、いや、なんでもないよ……」


 クレナお嬢にはそう言ったが、今までの経験から、周囲を見回して、よく確認しないことには、とてもじゃないが、野球に集中できそうになかった。


 なぜかって?


 もしここでサアヤさんと遭遇してしまったら、絶対に修羅場になって、野球観戦どころではなくなってしまうからだ。


 そうならないように、サアヤさんどころか、パーラーやマッチにすら、今日、クレナお嬢と一緒に野球を見に行くことは内緒にしていた。


 サアヤさんとは依然ギクシャクしていて、もはやラインですらほとんどやり取りしていないが、パーラーやマッチはラインで執拗にウザ絡みして、俺が返信しないとスタンプ連打とかしてくるので、夏休みだからと言ってウィメンズ・ティー・パーティーの連中と、まったく縁が切れているわけではなかった。


 とりあえず、ざっと見回してみるに、サアヤさんやパーラー、マッチはどこにもいなかったので、俺は野球観戦に集中することができそうで、安堵した。

次回、さあ、姉小路(あねがこうじ)は、ヤマダ学園は甲子園に行けるのか? もし行けたとしたら、お嬢のことだから「サトシ様。一緒に西宮に行きましょう」とか言い出しかねないが、どうするのか? お楽しみに。



脚注(興味のない方は無理して読まずに、飛ばしていただいて結構です)

西京スタジアム→山口市に実在する球場であり、現実世界でも夏の高校野球、山口県大会の決勝戦が行われる球場。過去にはプロ野球のオープン戦や公式戦が行われたこともあるらしいが、あまり客が入らなかったからか、近年ではほとんどアマチュア野球専用球場となっているみたい。

ちなみに、現実の西京スタジアムのネーミングライツを買ったのは、山口マツダであり、現実世界での、現在の正式名称は「山口マツダ西京きずなスタジアム」である。

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