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第六十一話「俺、お嬢と付き合いたいとか思ってませんから」

 いつの間にか雨はやんでいたが、今日降り続けていた雨のせいで、サアヤさんはどこにも行くことができず、あき亀山駅前にい続けざるを得なかったのかもしれない。


 なんにせよ、あき亀山駅前に突っ立っているサアヤさんを無視して、広島駅に帰れてしまえるほど、俺は薄情ではなかったので、とりあえず話をしてみることにした。


「サアヤさん、お友達との再会は楽しかったですか?」


「え? う……うん、会うのは子供の時以来でさ、久しぶりに会ったら、背とかすごく大きくなってて、ビックリしたよー」


「電車の中で、前に友達に会いに来たの2年前だって言ってませんでしたっけ?」


「う……」


 この期に及んで、まだ嘘をつこうとするサアヤさんに、俺はいよいよとどめを刺したい気分になった。


「サアヤさん、もういい加減、本当のことを言ってくださいよ。どうせ、パーラー辺りに、俺がお嬢と野球を見に行くって聞いて、こっそり追いかけてきたんでしょ?」


「う……ち……違うよ……そんなわけ……ないじゃん……いくら私でも……そんなストーカーまがいなこと……するわけないよ……」


 サアヤさんの声はどんどんか細く、弱くなっていって、これがいわゆる「半落ち」というやつかと思わずにはいられなかった。


 俺はサアヤさんを「完落ち」させるために、態度を軟化させることにした。


「サアヤさん、怒らないから、本当のことを言ってください」


「それ、絶対怒る人の言うことじゃん……」


「サアヤさん」


 俺はサアヤさんのことをまっすぐに見つめたが、サアヤさんはそっぽを向いていた。


 よほど罪悪感にさいなまれているらしい。


「言えるわけないよ、ホントのことなんて……こんなストーカーまがいなことしてるってサトシくんにバレたら、いよいよ本当に嫌われちゃうじゃん……人生の終わりだよ……」


「いや、別に嫌いになってなんかいませんけど」


 それは本心だった。


 普通だったら、こういうことをされたら、怒りなり恐怖なりの感情を抱いて、サアヤさんのことを嫌悪しなければいけないのだろうが、実際は嫌悪するどころか、「サアヤさんらしいな」と思って、むしろ微笑ましい気持ちでいた。


 むしろ「そこまでしてしまうほど、本気で俺のことが好きなのか」などと、誤った認識をしてしまっていた。


「そんなわけないじゃん……こんな非常識な……私のことなんか……嫌いになって……当然……だよ……うっ……うっ……」


 そんな俺の気持ちを信じてくれないサアヤさんがいきなり泣き出してしまった。


「サ……サアヤさん、泣かないでくださいよ」


 いくら郊外の駅で、人がまばらとは申せ、突然、駅前でサアヤさんに泣かれてしまったものだから、電車に乗ろうとしているお客様たちに、変な目で見られてしまっていた。


 俺がどうすればいいかわからず、まごまごしているうちに、今、あき亀山駅に停車している電車の発車時刻が迫っていた。


 この電車に乗らないと、お嬢との待ち合わせに遅れてしまうので乗らないといけないが、このまま泣いているサアヤさんを放置するわけにもいかなかった。


「あ……電車出ちゃう……ほら、サアヤさん。サアヤさんも広島駅に行かないと、防府(ほうふ)に帰れないでしょ? とりあえずこの電車に乗って、電車の中で話しましょうよ、ねっ」


「いいよ……私はもう防府には帰らないから……防府に帰っても、どうせまたサトシくんに迷惑かけるだけだから、このまま広島にい続けるよ……」


「いや、バカなこと言ってないで帰りますよ」


「いや! 離して!!」


「そんなわけには参りません!!」


 俺は依然として泣き続けているサアヤさんの手を取って、強引に電車に乗り込んだ。


 電車は俺たちが乗り込むと、すぐに出発したが、あき亀山駅から乗るお客様はそんなに多くはなく、余裕で席に座ることができた。


 しかし、俺の左隣の席に座るサアヤさんが依然として泣き続けていたので、俺たちは電車内でも、他のお客様の注目を浴び続けていた。


「別れ話かしらね?」


「あんな、かわいい女の子を泣かせるなんて、あの男、サイテーね……」


 モブおばさんたちの声が俺の耳にも入ってきていた。


 これはまずい……これから広島駅に近づくにつれ、乗客は増えていく一方に違いない……そうなる前に、サアヤさんを泣きやませないと、もっとたくさんの人たちに陰口を叩かれることになってしまうぞ……


「サ……サアヤさん、もういい加減泣きやんでくださいよ」


「うっ……うっ……うっ……」


 依然として泣き続けるサアヤさんを泣きやませるために、俺は伝家の宝刀を抜かなければいけなかった。


 今まで誰にも言ったことのない本音を、今からサアヤさんに言わねばならぬ……


「あのー、サアヤさんは勘違いしてるみたいですけど、俺、別にお嬢と付き合いたいとか思ってませんからね」


「え? ホントに?」


 現金なサアヤさんは俺の本音を聞いて、急に泣きやみ、俺のことをガン見してきた。


「本当ですよ。ていうか、顔拭いてくださいよ、また汚くなってますよ」


「あ、ごめん……ちょっと待ってね……ちーん」


 サアヤさんはポケットティッシュを取り出して、涙を拭いて、鼻をかんだ。


「でもサトシくん、あんな金持ちと付き合って結婚したら、一生安泰じゃん。それなのに、付き合いたくないの? 嘘でしょ? 私に気をつかって、嘘ついてくれてるんだよね? サトシくんは優しいもんね……」


「いや、俺は別に女子に養ってもらいたいとか、ヒモになりたいとか思ってませんし、何より俺とお嬢じゃあ、住む世界が違いすぎるんですよ」


「住む世界が違う?」


「たしかにお嬢と一緒にいると、普段では味わえないような贅沢体験ができますけどね、正直、全然落ち着かないんですよ。所詮、俺は庶民なんでね。だいたい、俺がお嬢と付き合って、お嬢の家族に紹介されたとしましょう。なんて言われると思います? 『こんなどこの馬の骨とも知らぬ庶民にクレナはやらん!』って言われるに決まってますよ、上流階級の人たちって、だいたいそういうもんでしょ?」


 はっきり言ってしまえば、それは偏見だが、でも多分、間違っていないんじゃないかと思う。


「じゃあなんで、お嬢と仲良くしてるの?」


「それは友達だからですよ。友達だし、嫌いじゃないから仲良くしてはいますけど、正直、お嬢にときめいたことなんて、今まで1回もありませんよ。あ、でもこれ、お嬢本人には言わないでくださいよ、言ったらややこしいことになりますからね」


「そうなの? だったらなんで、お嬢と一緒に野球見に来たの?」


「なんでって、友達同士で野球見に行くなんて、別に普通でしょう。むしろデートで野球見に行く方がまれなんじゃないですか?」


「そうなの?」


「そうですよ」


「ふーん……そっかー、そうなんだー。どうやら私、盛大な勘違いをしてたみたいだねー。サトシくんとお嬢はすでに肉体関係持ってるのかと思ってたよ」


「も……も……持ってるわけないでしょう!!」


「そっか、そっかー、そうだよねー、サトシくんは童貞だもんねー!!」


「いや、そんなデカい声で言わないでくださいよ!」


「あの男、童貞のくせに女泣かすなんて生意気ね……」


 俺が「お嬢と付き合うつもりはない」と断言したからか、サアヤさんはニコニコ笑顔に変わっていた。


 まったくもって現金で、わかりやすい人である。


 普通だったら、こういう人のことは、「ウザい」とか「嫌い」とか思わないといけないのかもしれないが、俺の心にはそんな感情は一切なく、むしろ逆に「かわいい人だな」とか思ってしまっていた。


 あれ?


 これって俺が、サアヤさんのことを好きってことなんじゃないのか……?


 マジで……?


 いやいや、さすがにそれは……こんな思い込みが激しくて、エロ妄ばっかりしてるのであろう人のことを好きになるだなんて、いやいや……






 俺の予想通り、日曜日の夕方に広島駅に向かう電車の乗客は増えていく一方だったが、始発駅から乗っていた俺とサアヤさんはずっと席に座ったままでいられて、楽ができた。


 電車は特に何事もなく、無事に広島駅に到着した。


「それじゃあ、サアヤさん、俺はこれで……」


 俺は広島駅の在来線ホームで、サアヤさんに別れの言葉を告げた。


「え? サトシくん、一緒に防府に帰ってくれないの?」


「俺は切符持ってなくて、お嬢と一緒じゃないと、防府に帰れないから無理ですよ。サアヤさんは一人で広島に来れたんだから、帰りも一人で帰れるでしょ?」


「でも……」


「それともサアヤさんも、お嬢に切符買ってもらって一緒に帰りますか?」


「そ……それは敵に借りを作るみたいでなんか嫌だなぁ……わかった、私は一人で帰るよ」


「そうしてください。それじゃあ俺はこれで……」


「あっ、サトシくん、ちょっと……」


 お嬢と合流するために、ホームの階段を登ろうとした俺のことを、サアヤさんが呼び止めた。


「まだなんかあるんですか? って、うっ……」


 俺が振り返ると、サアヤさんはまたしても不意討ちで、俺の唇に自分の唇を重ねてきた。


 そう、キスしてきたのだ、またしても……


 こんな広島駅のホームという人の多いところで、いきなりキスされるだなんて、まったく夢にも思っていなくて、油断していた。


「な……な……な……何を……」


 だからサアヤさんが唇を離したあと、俺は抗議をしたが、


「エヘヘ、サトシくんとキスするの……2回目だね……それじゃあ」


 サアヤさんは小悪魔の微笑みを浮かべながら、俺よりも先に階段を登って、いずこかへ消えた。


 チクショー……またやられてしまった……サアヤさんには前科があるんだから、もっと警戒しておくべきであった……


 などとは思えども、人の多い広島駅のホームでキスされてしまったせいで、ここでも他のお客様の注目を浴びてしまったので、俺は走って階段を駆け上がり、急いで改札の外に出た。


「あっ、サトシ様。こっちですわー!」


 そして広島駅前の約束の場所で、クレナお嬢、ロバータ卿、そごうさんと合流した。


「どうでしたか? おじい様、おばあ様はお元気でいらっしゃいましたか?」


「う、うん、そりゃ元気だったよ。俺と久々に会えて喜んでたね」


「そうですか、それはよろしゅうございましたね」


 さっきサアヤさんに言ったことは別に嘘じゃない。


 俺はクレナお嬢に対して、そういう感情を、もっとはっきり言ってしまうならば、性欲をまったく抱いていなかった。


 だからいくらお嬢に俺のことを好きになられても、その気持ちに応えることはできない。


 でも恋人にはなれなくても、友達としては仲良くしたいと思ってはいる……けど、それってお嬢がお金持ちで、お嬢と仲良くしていると、いろいろ贅沢ができるから、そう思っているのだろうか?


 池川家の家訓的には、金目当てでお嬢と仲良くしても、まったく問題はないのだろうが、人としてはやはり、どうなんだろうと思わずにはいられなかった。


 もし、お嬢がお金持ちでもなんでもない普通の家の娘だったら、俺は仲良くしていたのだろうか?


 万が一、なんらかの事情で、お嬢が急に没落して貧乏になったとしても、俺はお嬢とずっと友達のままでいるのだろうか?


 うーん……


「サトシ様? どうかなさいましたか?」


「い、いや、別に……それじゃあ、そろそろ帰ろっか」


「そうですわね、でもその前に、ロバータ卿がまたお好み焼きを食べたいらしいので、食べてから帰りましょう……そう言えば、サトシ様。お昼ご飯は何をお食べになりましたの?」


「うん、おばあちゃんの手料理をね」


「まあ、それはようございましたね」


 俺とお嬢とロバータ卿は、広島駅の中にあるお店で、お好み焼きを食べた。


 俺はスタンダードな「肉玉そば」を食べたのだが、お嬢とロバータ卿は海鮮などのトッピングが山盛りの、一番高いやつを二人でシェアして食べていた、やはり住む世界が違う……


 その後、そごうさんに借りた傘とICカードを返却し、やっぱり新幹線のグリーン車に乗って、徳山経由で防府に帰った。


 新幹線のトイレの中でようやく確認できた、おばあちゃんがくれた封筒の中には1万円札が1枚入っていた。


 帰宅後、高橋家に行ったことを親父に伝えたが、1万円をもらったことは黙っていた。


 今日も1日、いろんなことがありすぎて、サアヤさんに2回目のキスをされたことなど、些事(さじ)としか思えなくなっていた。

次回、さっさと七月に行きたいけど、その前に「あいつ」を出さないと、サトシくんが中退に追い込まれるので、出さざるを得ない……「夢五夜 (ゆめごや)」 お楽しみに。



脚注(興味のない方は無理して読まずに、飛ばしていただいて結構です)

半落ち→警察用語で、「一部自供した」という意味らしい。全面自供した場合は「完落ち」


肉玉そば→「豚肉・玉子・そば」の略。広島のお好み焼きの基本中の基本メニュー。これと野菜(キャベツ、もやしなど)以外の具材はトッピングしないと入らない。逆にいらない場合は抜くこともできる。だから「お好み焼き」なのである。


些事→「些細(ささい)な事」の略。作者がこの言葉を知っているのは、昔読んだ志賀直哉の短編小説のタイトルが「些事」だったからである。志賀直哉にとっては、奥さんがいるのにどこぞの芸者さんに入れ込んで、こっそり会いに行ってしまったことが「些事」なんだってさ(笑)

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