第五十一話「私、将来は漫画家になるって決めたから」
ショックを抱えた状態で受けた中間テストだが、得意の文系科目はほぼすべて90点以上の高得点を取ることができた。
一方で苦手の理系科目はおしなべて赤点ギリギリの得点だったので、総合順位は真ん中ぐらいという、実に中途半端な結果に終わってしまった……まあ、どうせ下位に沈むと思い込んでいた入学当初の予想と比べれば、健闘した方だとも言えるが……しかし、最初のテストからこれでは、理系科目ではいずれ本当に赤点を取ってしまうかもしれないな、どうしたものか……
ヤマダ学園は超進学校なのでテストの順位は容赦なく公表されてしまうのだが、俺に関わりのある人たちで言えば、俺と同じぐらいの順位だったのはナナぐらいで、クレナお嬢、パーラー、マッチはみんな俺よりもはるかに上の順位だった。
クレナお嬢はほぼすべての教科で満点に近い点数を叩き出して1位だったが、元々特進クラスだったお嬢が1位でも、別に驚きはしない。
そんなことよりも、パーラーとマッチが俺よりもはるかに高い点数を叩き出したことに俺は衝撃を受けてしまった。
バンドをやっている二人は、依然として帰宅部の俺よりも勉強できる時間は短いはずなのに、それなのに惨敗するとは……
こんな現実を見せられては、今後二人に煽られても言い返すこともできないではないか……チクショー……
そんなテストが返却された週末の土曜日の朝、いつものようにベッドの上でゴロゴロしていると、ナナからラインが送られてきた。
「今日の午後、暇? 暇だったら、ちょっと見てもらいたいものがあるからサトシの家に行ってもいい?」
俺はそれを読んで、すぐに返信をした。
「もちろん暇だから来てもいいよ。ところで、見てもらいたいものっていったいなんなの?」
「それは見てのお楽しみよ……ところで今日は土曜日だから、お父さんは家にいないわよね、サトシだけよね」
「うん、そりゃもちろん俺しかいないよ」
「よかった。それじゃあ午後から行くからね。チャイム鳴らしたりしないで、いつもみたいに勝手に入るけど、驚かないでね」
「うん、待ってるよ」
ナナとのラインのやり取りを終えて、恥ずかしながら俺の胸は高鳴ってしまった。
俺が一人の時にしか見せられないものっていったいなんなのか?
ひょっとして、夏に向けて新調したビキニとかだったりしないだろうか?
もし本当にそうだったら、俺は理性を保てるか?
二人きりの家の中で、ほぼ裸のナナが目の前にいたら、どうかなってしまうんじゃなかろうか……?
いや、そんなのいけないよ、ナナは他人のカノジョなんだから、そんな感情抱いちゃいけない……いけないってわかっているのに、俺はベッドの上でひたすら悶え、ジタバタし続けていたら、いつの間にか寝てしまい、土曜日の午前という貴重な時間を無駄にしてしまったのだった。
ナナがいつ来るかわからないので、昼食のあとはずっと1階にいて、居間のテレビで新喜劇を見てゲラゲラ笑っていた。
「やっぱ乳首ドリルは最高に面白いな……すな! すな! すな! すな! 爪先やめろ! 脇やめろ! 顎やめろ!! アッハッハッ……」
そんな新喜劇が終わった14時台、ナナは予告通りにチャイムも鳴らさず、池川家に入ってきて、居間にやってきた。
別にどうということはない、ナナがサアヤさんたちと鉢合わせたあの日までは、これが俺とナナの日常だったのだ。
「よかった、ちゃんといたわね」
「そりゃあ事前に予告されてて、すっぽかすわけないじゃん」
「フフッ、そうよね」
ナナは例によって、テーブル越しに、俺の向かい側に座った。
6月だから半袖の服を着ていたが、やはり露出は少なく、特に胸元はいつものように完璧に隠されていた。
「じゃあさっそく、これ見てほしいんだけど」
そしてナナは、手に持っていた大きめの茶封筒を俺の前に雑に置いた。
「これは?」
「漫画の原稿」
「え? 漫画? 誰が描いたの?」
「私に決まってるでしょ」
「え? ナナ、漫画描いたの?」
「そうよ……私、将来は漫画家になるって決めたから」
ナナは精悍な表情で俺のことを見ていて、それが冗談でもなんでもなく、本気であることがひしひしと伝わってきた。
「え? そうなの?」
「そうよ」
「でも、なんでいきなり?」
ナナは子供の頃から絵を描くのが好きだったので、俺は何度か「将来は漫画家になったらいいのに」と言っていたが、その度にナナは「私には無理だよ」と謙遜していた。
それがなぜ急に……?
「あのね、最近ね、セイラちゃんと付き合えたノリと勢いで、ツイッターに自分のイラストをあげてみたの。そしたらいわゆる『バズる』っていう状況になっちゃって……サトシはツイッターのアカウント持ってる?」
「うん、そりゃもちろん持ってるよ、見るだけのやつだけど」
俺は別に世の中に発信したいことなんて何もないので、ツイートしていないが、好きなアイドルや声優をフォローしたり、リツイート懸賞に応募するためのアカウントは持っていた。
「じゃあ今から私のユーザー名言うから検索してみてくれる?」
「うん」
ナナの言うユーザー名を検索して出てきたのは「Nana♥️」という、何十万人と同じ名前の人がいそうな、味もそっけもないアカウント名のツイッターだった。
「え? フォロワー1万人? マジで?」
しかし、そのツイッターのフォロワーは、まだ10ツイートぐらいしかしていないのにすでに1万人を越え、固定ツイートになっている、バズったらしい美少女のイラストのツイートは、リツイート3万、いいねは6万だった。
「す……すげぇ……」
「でしょう。私が一番ビックリしてるよ。ずっと好きで描いてきただけの私の絵が、いきなり全国区で通用しちゃったんだもん」
「うん」
「それで調子に乗って、今度はピクシブ辺りに漫画をあげてみようと思ってひそかに描いてたのが完成して、でもいきなりあげるのは怖いから、まずはサトシに見てもらおうと思って、持ってきたの。読んでくれるよね?」
今日のナナは機嫌が良いのか、ニコニコ笑顔だった。
「いや、もちろん、いいけど……なんで俺なの?」
「だってサトシはいろんな本や漫画を読んでるし、音楽にも詳しいでしょう。それに身近な人で私の秘密を知ってるのって、サトシぐらいだから……」
ナナは自分がレズであることを親にも隠しているらしかった。
まあ、お隣さんなんだから当然知っているナナのお母さんは、なかなかに口やかましい人で、旦那さんと死別してから女手ひとつでナナを育てているからか、いつも娘に「お金持ちと結婚して、老後は楽させてほしい」だのなんだのと言うておるらしいから、隠しておいた方が正解だろうなと俺も思うけども……もし娘がレズで結婚できないなんてことを知ったら、泡吹いて卒倒しそうだもんね……
でも結婚しなくても、本当に漫画家になって、万が一にも大ヒット作品を出せれば、楽させてあげることはできるよな……
ひょっとして、未来の大先生のデビュー作を、誰よりも先に読める大チャンス?
「じゃあ……読むよ」
「どうぞ」
俺は茶封筒を開けて、中に入っていたナナの漫画を読んでみた。
次回「ご想像にお任せします」 お楽しみに。
ちなみに、四月は登場人物紹介しないといけないし、五月はゴールデンウィークがあるから長くなったけど、六月と七月はそんな二十五話も書ける気がしなかったので、一緒の章にしてしまいました。六月七月の次の章は当然「夏休み」で、そうすると七月が三話ぐらいで終わっちゃいそうだったので、六月と一緒にすることにしました。
脚注(興味のない方は無理して読まずに、飛ばしていただいて結構です)
雨にぬれても→アメリカの白人歌手、B.J.トーマスが1970年に放った全米ナンバー1ヒット「Raindrops Keep Fallin′ On My Head (レインドロップス・キープ・フォーリン・オン・マイ・ヘッド)」についた邦題。アメリカン・ニューシネマの名作「明日に向って撃て!」の挿入歌で、曲を作ったのは、アメリカを代表するポピュラー音楽の作曲家バート・バカラックと、作詞家ハル・デヴィッドの名コンビ。




