第四十四話「ティル・アイ・ダイ」
「おーい、サトシ。もういい加減起きないと遅刻するぞー」
俺がナナにとどめを刺された翌日の朝、いつまで経っても起きてこないものだから心配したのであろう親父が、俺の部屋のドアを開けて、声をかけてきた。
「ゴホッゴホッ……なんか今日は体調が悪くて……起き上がれそうもないんだ……」
「そうか……じゃあ今日は学校休むか?」
「うん」
「そっか。じゃあ学校に電話しとくな」
「うん」
だいたいお察しの通り、さっきの咳は演技、これはまごうことなき仮病のズル休みであった。
親父は甘いのか、はたまた教育に無関心なのか、子供の自主性に任せるタイプなのか、俺が幼い頃から「今日は体調が悪いから休ませてほしい」と言えば、特に何も確かめることはなく、あっさりと休ませてくれた。
だから俺は子供の頃から年に数回はズル休みをしていて、皆勤賞をもらったのは小学5年生の時、1回だけだった。
でも今日は、たしかに体は元気だけれども、心はちっとも元気じゃなかったので、100%ズル休みというわけでもなかった。
起きようと思えば起きれるだろうし、学校に行こうと思えば行けるだろうけれども、何をどうしても起きようという気になれなかった。
正直、今日はずっと横になって、心の傷を癒す日にしたかった。
「ああ、ところでさぁ……お前がこの間、一緒に野球見に行ったヤマダ自動車のお嬢様と、金髪のイギリス人がいるじゃん」
「ん? クレナお嬢とロバータ卿がどうしたの?」
「そうそう、そのお嬢様と、イギリスの貴族の娘。あの二人が昨日、うちに入門してきたよ」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
親父にまったく思いもよらぬことを言われて、俺は思わず起き上がり、ベッドの上に座ってしまった。
「なんだ、お前、元気じゃねえかよ」
「いや、ちょっと驚いちゃっただけで、ゴホゴホ……ああ、喉痛いなぁ……」
「わざとらしい……」
「そ、そんなことより、なんでクレナお嬢とロバータ卿が池川愛剣流の門下生になったんだよ?」
「なんでって言われても……たしか、あの貴族の娘さんが日本の文化に興味津々で、日本の文化のひとつである剣術を学ばせてあげようと思ったのですわ、とかなんとか言っていたような……それで帰る時にサトシに入門の挨拶をしてから帰ろうと思ったけど、留守だったから挨拶できませんでしたわって、残念がってたよ」
「そ、そうなんだ……」
なんというこっちゃい……俺がナナの部活が終わるのを待っている間に、そんなことになっていたとは……
でも今の俺には、クレナお嬢やロバータ卿のことを考えている余裕はなかった。
「まあ、なんにせよ、今日のところは安静にしとけよ。明日はちゃんと学校に行けるようにな」
「う、うん、そうするよ……ああ、お腹が痛いなぁ…… 」
「いや、痛かったのは喉だったんじゃないのかよ……」
親父は呆れ顔で俺の部屋を出ていった。
多分、仮病はバレバレだったのだろうが、それを黙認してくれるのだから、やっぱり親父は優しかった。
たしかに子供の時から、親父に怒鳴られたり、こっぴどく叱られたりしたことは一度もなかった、おじいちゃんにも。
「BGMが『ティル・アイ・ダイ』じゃあ、これは重症だな……」
親父が部屋を出ていく時につぶやいたであろう言葉が、なぜか俺にははっきりと聞こえた。
今日も日中は一人だったので、俺は親父の言葉通りに、ビーチ・ボーイズの「ティル・アイ・ダイ」をエンドレスで流し続けながら、ずっとベッドで横になっていた。
「ティル・アイ・ダイ」のような暗い曲をずっと聞き続けていれば、逆説的な意味で、少しは明るい気持ちになれるんじゃないかと思ったが、やはり暗い気持ちが、そう簡単に晴れるなんてことはなかった。
今日も、頭の中に思い浮かぶのはナナのことばかりだった。
理性では、諦めなければならないとわかってはいても、そんなすぐにあっさり諦められるぐらいなら、ハナから好きになんてなってないよ、とも思っていた。
それこそ「俺は死ぬまでずっとナナのことを好きでい続けるんだ」ぐらいの気持ちでいたのである。
それぐらいの気持ちを抱いていながら、ちょっとふられたぐらいで、すぐに嫌いになったり、復讐してやるとか思ったりできるほどの心の強さが俺にあれば、「ティル・アイ・ダイ」を聞きながら、ベッドに横になるわけがないのであった。
ナナは怒っているだろうか?
昨日、「ちゃんと学校行くんだよ」と釘を刺されたにも関わらず、ズル休みしているのだから怒られても仕方がないか……
でもひょっとしたら……福原さんとイチャつくのに夢中で、そもそも俺が学校を休んでいることに、気づいてさえもいないのかもしれないね……
そう思うと、俺はまた泣きそうになってしまって、部屋には誰もいないのに、掛け布団を被って、文字通り、お先真っ暗状態で、暗闇の中に落ちていった。
眠りから覚めたお昼に、俺のことを心配したチカさんがおかゆを作って食べさせてくれた以外、特に誰もやって来ないまま、夕方を迎えた。
さすがに朝からずっと横になり続けていると、逆に苦しくなってきてしまって、俺はついにベッドから起き上がり、1階に降りて、冷蔵庫に常に入っている、好物のコーラをコップに注いで飲んだ。
その時……
「ピンポーン」
また夕方にチャイム……
毎度おなじみのパターン。
今日はいったい誰が来たというのだろう?
ウィメンズ・ティー・パーティーの誰かか、ナナか福原さんか、はたまたクレナお嬢かロバータ卿か?
まあ、相手が誰であろうと、今日の俺は公には病欠ということになっているのだから、居留守を使っても別に問題はないだろう。
そう思って、2階に戻ろうとしたら……
「ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーン……」
これもまたおなじみのチャイム連打。
これをやられてしまってはもううるさくて居留守は使えない……
今までこれをやったのはたしか二人だけ。
モエピだったらいいのになと思いながら、玄関のドアを開けると、そこに立っていたのは……
「あ、サトシくん、大丈夫? パーラーとマッチに、サトシくんが今日、学校休んだって聞いたから、心配になってお見舞いに来たんだ」
やっぱりサアヤさんだった。
「パジャマ着てるけど、玄関に出て来れるくらいだから、そこまで重症じゃないんだよね、よかった、安心したよ」
俺が何も言わずにいても、サアヤさんは一人で勝手にしゃべり続けていた。
「……ていうか、むしろ元気そうに見えるんだけど、コーラ飲んでるし……ひょっとしてサトシくん、今日、ズル休みしたの?」
「え?」
サアヤさんは恋する女の子らしく、勘が鋭いみたいだった。
「ズ……ズル休みなんてとんでもない……朝はものすごく体調悪くて大変だったんですから。1日安静にしててやっとよくなってきたところなんですよ」
俺は今日もまた、息を吐くように嘘をついていた。
「ホントに? 学校で何か嫌なことがあったからズル休みしたんじゃないの? 大丈夫? 私でよかったら、いつでも相談に乗るよ」
そう言われても、サアヤさんにナナにふられてショックを受けたことを話してもしょうがないと思った。
正直、今日はサアヤさんと話をしたいという気持ちにはならなかったし、俺はさっさと帰ってもらおうと思って、一芝居打つことにした。
「あ、いたた……いた……」
「え? サトシくん、どうしたの? 大丈夫?」
「な、なんか急に頭痛がぶり返してきちゃって……こ、これは早く部屋に戻って、今すぐ眠らないと、消えそうにもない痛みだなー……」
さしものサアヤさんも、俺が体調悪いから眠りたいと言えば、帰ってくれると思った。
「ホ、ホントに? 頭、痛いの? じゃあ私が部屋まで送ってあげるよ! お邪魔するね!!」
しかし、俺の甘い見通しに反して、サアヤさんは靴を脱ぎ、俺の家にあがってきた。
そして、戸惑う俺の手を引っ張って、ものすごいスピードで階段を駆け上がり、「サトシくんの部屋はどこ?」と問われたので、俺が自分の部屋を指さすと、これまたものすごい勢いでドアを開けて、俺をベッドの中に放り込んだ。
それはもう、相撲の力士が上手出し投げでも決める時のような勢いで、ベッドの上に放り込まれ、強制的にあおむけにされ、掛け布団を掛けさせられた。
そしてサアヤさんは部屋にあった椅子を、ベッドの脇に置いて座り、横になった俺のことをじっと見つめていた。
穏やかに過ぎていくはずだった今日という日は、最後に一波乱待っていたようだった……
次回、サブタイトル未定だけど、サアヤさんと部屋で二人きりですね、お楽しみに。
ところで作者の私、最近新しく始めたことがあって、この小説を書く時間を削らざるを得なくなってしまったので、1話辺りの文字数が今までよりも短くなって、話の進み方も遅くなってしまうかもしれません。ですが、よほどのことがない限り、毎日更新は続けていく所存なので、まあ、気にしないでください(笑)
脚注(興味のない方は無理して読まずに、飛ばしていただいて結構です)
ティル・アイ・ダイ('Till I Die)→アメリカの偉大なるロックバンド、ザ・ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)のリーダー、ブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)が精神病で苦しんでいる時に作った、厭世的な暗い曲。曲調が暗いだけでなく、歌詞にもまったく救いがない、絶望一辺倒の恐るべき曲。「ティル」とは「アンティル(Until)」の略で、ようは「僕は死ぬまでずっと苦しみ続けるんだ」と歌っているのである。1971年に発売されたアルバム「サーフズ・アップ(Surf´s Up)」の9曲目(昔風に書くとB面4曲目?)に収録された、異彩を放つ名曲である。名曲ではあるが、真剣に聴くとガチで暗い気持ちになるのでご注意を……
ちなみに「死ぬまで苦しみ続ける」と歌ったブライアンだが、1990年代に入ってようやく良い医者に出会えて精神病が改善し、以降は積極的に音楽活動をするようになって、今も現役アーティストとして活躍中なので、この曲の歌詞の予言は外れたのである。それが絶望一辺倒のこの曲に残された唯一の希望であると言えよう。




