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第四十三話「五月に刺されたとどめ」

「ピンポーン」


 ベッドでうつ伏せになってうめいているとチャイムが鳴った。


 さすがに誰が来たのかはすぐに察しがついたし、さっきは混乱して逃げ出してしまったが、うつ伏せになっている間に決意していた。


 ナナが家に来たら、居留守など使わずに、ちゃんと話をしようと……






「あら、今日は意外にあっさり出てきたわね」


 セリフだけ聞くとマッチが来たのかと思ってしまいそうだったが、玄関開けたら立っていたのは、まごうことなきナナと、福原(ふくばら)さんだった。


 ナナがマッチみたいな口調になっているということはつまり、相当怒っているということなんだろう。


 まあ怒られて当然か……無断で美術部の部室に行ってキスシーン目撃した挙げ句、一目散に逃げ出したんだからな……やっぱり俺に全面的に非があるよな……


「話があるから、あがらせてもらうわよ」


「どうぞ……」


 怒ったナナに、俺が逆らえるわけもなかった。


「あ、こ、こんにちはー」


 福原さんは小さい声で挨拶しながら、俺の家に入ってきた。






「それで……帰宅部のサトシがあんな時間に、何しに美術部の部室に来たの?」


 いつものように居間に通したナナと福原さんと、テーブル越しに向かい合わせに座った俺は、警察署で取り調べを受けている被疑者のような気分になっていた。


「それは……その……ナナと話したいことがあったんだけど、B組の教室に行っても、なかなかナナに会えなかったものだから、部室に行ったら会えるかと思って……」


「話って何?」


 ナナの目線も口調もとてもシャープで、俺の顔面に切り傷ができてしまうんじゃないかと思ってしまうほどだった。


「それは……その……」


「言いたいことあるなら、はっきり言いなよ。私とサトシの間に隠し事なんてなしでしょ」


 ナナの口調がシャープだからか、はたまた俺とは知り合い程度でしかないからか、福原さんは黙って話を聞いているだけで、助け船など出してくれそうにもなかった。


 だから俺はもう、覚悟を決めて話すしかなかった。


「うん、そうだね。ゴールデンウィークが明けてから、ナナが急に迎えに来てくれなくなったものだから、俺、何かしてナナのことを怒らせてしまったんじゃないかと思って……」


「なんだそんなこと……別にラインで聞けばいいことじゃない」


「ま、まあ、そうだよね……そうなんだけど、ナナが怒ってたらライン送ってもスルーされるんじゃないかと思って……」


「怒ってたらって、サトシ、何か私が怒るようなことしたの?」


「いや、してないと思うけど……だからこそ、急に迎えに来なくなった理由がわからなくて……」


「フゥ……いい機会だからサトシには教えておこうかな……キスしてるところも見られちゃったわけだし、いいよね、セイラちゃん」


「う、うん……ナナちゃんの幼なじみなら信頼できるだろうから、いいと思うよ」


 正直、この時点でナナが何を言いたいのかだいたい察しがついた。


 本当は耳をふさぎながら「あー! あー!」とでも叫んで、「聞こえません! 聞こえませーん!!」ってのをやってみたかったが、もちろんそんなことできる空気なわけはなく、俺はまさに、座して死を待つのみであった。


「サトシは知ってると思うけど、こちら福原セイラさん。私のカノジョ」


 たとえ予想通りの言葉であっても、俺の心臓は「ドクリ」と激しく動いた。


 いっそ、このまま心臓発作かなんか起こして急死した方が幸せだったのかもしれないが、子供の頃からずっと健康な高校一年生である俺が失恋確定したぐらいで、突然死とかするわけもないのであった。


「まあ、付き合うようになったのはこのゴールデンウィークからなんだけどね。3日に告白して、4日にオーケーもらったんだ。だからゴールデンウィークが明けてからはセイラちゃんと一緒に登校してたの。迎えに行かなくなった理由はそういうことだよ」


「へ、へぇー、そうなんだー、ふーん……」


「わかりやすく棒読みね……」


 なるほどね……俺がナナを誘ったが「友達と出かけてるから無理」と言われ、マッチと詩集の話したり、アカちゃん先生と新喜劇ごっこしている間に、ナナにカノジョができていたというわけか……


「ヨ、ヨカッタネー、カノジョガデキテー、オメデトー」


「だから棒読みだって、サトシ……」


「ソ、ソンナコトナイヨー」


「さっきから口調も動きもロボットみたいになってるわよ、サトシ……」


「ソ、ソウカナー、ソンナコトナイトオモウケドー……」


「ダメだこりゃ……」


 別にウケ狙いでやっているわけではなく、感情をむき出しにしたら悲惨なことになってしまうから、平静を保つためにはやむを得ないことなのだった。


「そんなことよりサトシ。サアヤ先輩とは最近どうなの? うまいことやってる?」


「ウ、ウマイコトッテ、ドウイウイミデスカー?」


「もういい加減、普通のしゃべり方に戻りなさいよ……ところでうわさで聞いたんだけど、サトシはサアヤさんだけじゃなくて、ヤマダ自動車のお嬢様にも迫られてるらしいわね」


「え、そうなんだ。池川くんってモテるんだね」


「そうよ、なんでか知らないけど、最近急にモテ出したのよ。だからもう、私が迎えに行かなくてもいいでしょ。私にもカノジョができたんだから、サトシも早くカノジョ作っちゃいなよ」


「ウ、ウン、ソウダネー、ソウシヨウカナー、アハハ、アハハハ……」


「あの……私、そろそろ帰らないといけなくて……門限7時だから」


 福原さんの言葉を聞いて時計を見たら、時刻は18時40分頃だった。


「うん、じゃあ、そろそろ帰ろっか……それじゃあサトシ、そういうことだから、明日からも迎えには行かないけど、ちゃんと学校行くんだよ」


「ウ、ウン。マエムキニゼンショシマスー……」


「あ、わかってると思うけど、私とセイラちゃんが付き合ってることは内緒だからね。絶対誰にも言わないでよ」


 ナナは口の前に人差し指を立てながら、そう言った。


 正直、とても、かわいかった。


「ハハハハハ、イウワケナイジャーン……パーラージャナインダカラー……」


「パーラー? ああ、あのちっちゃくてよくしゃべる子か。なんにせよお願いね、サトシ。それじゃあ私たち帰るからね」


「お、お邪魔しました……池川くん、元気出してね」


 恋敵であるはずの福原さんに気をつかわれるというのはなんとも惨めだった。


「エ? ボク、スゴクゲンキデスヨ、ナニイッテルンデスカ、フクバラサン。アハハ、アハハハ……」


「一人称が『ボク』になってるなんて重症ね……どうしたもんかな……」


 ナナは小声でつぶやいたのであろうが、なぜか俺にははっきりと聞こえていた。


 俺は二人を玄関まで見送る気力もなく、居間に座り続けていた。


 結局、その日は夕食が始まるまで、居間から一歩も動くことができず、夕食もまったくのどを通らず、チカさんに「坊っちゃん、大丈夫ですか? 体調悪いんですか?」と心配されてしまった。


 チカさんに悪いので夕食はむりやり口に放り込んで完食したが、お風呂ではまったく力が入らず、湯船に顔が何度も沈んで、危うく窒息死しかけた。


 ナナにカノジョができたと言われた時は「急死すればいいのに」とか思っていたくせに、いざ窒息死しそうになったら、ちゃんと湯船から顔を出すのだから、やっぱりショーペンハウアーの言う通り「世界の本質は盲目的な生への意志」であるらしい。


 本当に死にたいと思っているのなら、夕食なんか食べずに、餓死するのを待てばいいはずだが、なぜか食べてしまった。


「死にたい」と心の中では思っていながら、実際には死なないように行動してしまう人間の矛盾を私は「死にたいのパラドックス」と名付けて、世の中に提唱したい!


 ……などとバカげたことを考えている今はベッドの上。


 横になりながら、改めてあれこれ考えてみる。


 入学式の前日にナナにふられた時は、そこまでショックでもなかった。


 ナナが自分のことを同性愛者だと思っているからふられただけで、まだワンチャンあるんじゃないかと軽々しく考えていた。


 そんな都合よく、レズの女子高生がこの防府市(ほうふし)にいるわけはないとたかをくくっていた。


 そんな大都会の高校じゃないんだから大丈夫だろ、と……


 切ない片想いに疲れたナナがある日突然「いつも私の側にいてくれたのはサトシだよね。やっぱりサトシが一番気楽でいいや」とかなんとか思って、振り向いてくれる日が来るんじゃないかなどと、甘い夢想にふけっていた。


 しかし、現実は厳しかった。


 まさかこんなにも早くナナにカノジョができるなどとは想像だにしていなかった。


 これが普通に男女のカップルだったら、「学生のカップルなんてそうそう長続きするわけがないし、別れるのを待てばいんじゃね?」とか思えたのだろうが、女性同士のカップルとなると、そんな簡単には別れないんじゃないかと思う、もし別れてしまったら次はいつ付き合えるかわかったもんじゃないだろうから。


 だから俺はもう、ナナのことを諦めなければならない。


 なぜなら今日、とどめを刺されてしまったからだ。


 この期に及んで、まだナナのことを諦め切れぬなどと言うのは、ナナに対して失礼だ。


 諦めなければならない……諦めなければならない……


 そう、わかってはいる……わかっては……


 わかってはいるけれども、俺は自分の瞳から溢れ出る涙をどうすることもできず、文字通り、枕を濡らす夜を過ごすことになってしまったのだった。

次回「ティル・アイ・ダイ」 お楽しみに。



脚注(興味のない方は無理して読まずに、飛ばしていただいて結構です)

ショーペンハウアー(Schopenhauer)→ドイツの厭世(えんせい)哲学者。「世界は苦痛に満ちていて、救われることなんてない」とかなんとか言った人……のはず。ショーペンハウアーが出した結論が「世界の本質は盲目的な生への意志である」だが、作者の私はその言葉の真意を正しく理解している自信はまったくない(笑) たしか「人は生きている限り、欲望が無限にふくらんでいくので、決して満たされることはない。だからこの世は苦痛に満ちている。人が生きようとしている限り」とかなんとかそういう風に教わったような気がするが……日本では長いこと「ショーペンハウエル」と表記されてきたが、近年はネイティブの発音に近いらしい「ショーペンハウアー」と表記されることが多くなってきた。まあベッケンバウアーのことを「ベッケンバウエル」とは言わないもんね(笑) ちなみにショーペンハウアーのファーストネームはアルトゥール(Arthur)である。


溢れ出る涙→ローランド・カーク(Roland Kirk)という、首にぶら下げた3本ぐらいの金管楽器を同時に吹くヤバいジャズプレーヤーの代表作のアルバム「The() Inflated(インフレイテッド) Tear(ティアー)」についた邦題、それが「溢れ出る涙」

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