第二十四話「当ててるんだよ」
いろいろあった日曜日の翌日、月曜日。
変な時間にふて寝てしまったばっかりに、夜まったく寝つけなかった俺は見事に寝坊し、ついにナナに置いていかれてしまった。
親父いわく、「私まで遅刻するわけにはいかないかので、先に行きますね。よろしくお伝えください」というのが、ナナの捨て台詞だったらしい。
でもまあ、寝坊したとは言っても、せいぜい普段より10分から15分ぐらい出発時間が遅くなった程度で、そこまで絶望的なものではなかったし、俺には自転車がある、ナナは徒歩。
途中で必ず追いつけるはずだから、別に置いていかれても構わなかった。
果たして、急いで支度して、自転車を全力で漕ぎまくった俺はわりと早い段階でナナに追いついた。
そしてナナに話しかけようとしたが、話しかけられなかった。
なぜならば、ナナが、メガネをかけたショートカットの女子と楽しげに話しながら、歩いていたからだ。
その女子には見覚えがあった。
去年まで同じ中学に通っていて、俺やナナと同じクラスだった、福原盛羅さんだ。
親が転勤族らしく、中学3年の時に転校してきた女の子で、今はヤマダ学園の特進クラスに所属している、とても秀才な子である。
名字は「ふくはら」と読みがちだが、そう呼んでしまうと、即座に「ふくはらじゃなくて、ふくばらです」とツッコんでくる、頭の回転の早い子である。
これでナナが普通の女子ならば、ただ友達と楽しく会話しながら登校しているだけなので、特になんの問題もなく話しかけられたことだろう。
しかし、俺はナナの秘密を知っている。
知っている身からしてみれば、ナナが福原さんに向ける笑顔が、他の人に向ける笑顔と違うような気がした。
ひょっとして、昨日ナナが言っていた『本命』とは、福原さんのことなのではないか?
それは邪推かもしれないが、一度そう思ってしまうと、なんだかいたたまれない気持ちになって、ナナにバレないようにこっそりと追い抜いて、なんとか遅刻せずに、学校に到着した。
「あ、あの……池川くん……軽音部の話なんだけど……」
休み時間、クレナお嬢とロバータ卿がトイレかどっか行ったスキをついて、モエピが話しかけてきた。
今日もかたくなにハーフツインのモエピ。
昨日、いろいろあって忘れそうになっていたが、そう言えばモエピを軽音部見学に連れていくと約束していたのであった。
「私、今日時間あるから、できれば、今日の放課後、見学に連れていってほしいんだけど……」
「あ、うん……そりゃあもちろんいいよ、案内するよ」
とは言いつつも、俺には一つだけ不安があった。
それはサアヤさんのことだ。
昨日、いろいろあって、最後にサアヤさんのことを傷つけるようなことを言ってしまって以来、サアヤさんとは連絡を取っていないし、今日もまだ会っていない。
大丈夫だとは思うが、もし昨日のあの件のせいで、サアヤさんが俺のことを嫌ったり、避けたりするんじゃないか……それが不安だった。
まあ、あの人のことだから杞憂に終わるとは思うが……
「うん、じゃあ……よろしくね……それじゃあ、また放課後に……」
「うん、また」
モエピは必要最低限の会話をしただけで、あっさり自分の席に戻っていった。
やっぱり今日もモエピはぼっちのようで、自分の席に座ってからは誰とも話していなかった。
パーラーがいれば、俺とモエピの会話を聞いて、何か茶々を入れてきたのかもしれないが、パーラーもまた、マッチと一緒にトイレかどっかに行っていて不在だった。
パーラーには昨晩、「ナナの秘密を言い触らしたりしたら、絶対お前のこと殺すからな。誰にも言うなよ」とラインで脅迫しておいた。
パーラーはすぐに「池川くんはボクをなんだと思ってるんですか? こんなデリケートなことを誰かに言ったりするわけないでしょう。ボクを信じてくださいよ」という返信をよこしてきたが、信用できない。
友達が多い上に、思ったことはすぐ口に出してしまうパーラーのこと。
さすがに故意に言い触らすということはないと思うが、過失で誰かに言っちゃう可能性は充分にある。
ナナの安寧のためにも、パーラーのことはよくよく見張っておかねばなるまいぞ……
そして迎えし放課後。
いつものように下校に誘うクレナお嬢に「今日は用事があるからごめん」と断ってから、俺はモエピと合流して、軽音部の部室へと向かった。
それにしても、何回断っても必ず下校に誘ってくる、クレナお嬢のメンタルの強さには恐れ入る。
普通は半月も断られ続けたら、心が折れて諦めそうなものだが、クレナお嬢は一切めげる気配がない。
それだけ自信があるということなのだろうか?
たしかにあのクレナお嬢なら「金持ちのわたくしに落とせない男なんていませんから、焦る必要はございませんわ」ぐらいのことは思っていそうである。
「今は拒絶していても、高校を卒業する頃には、サトシ様は必ずや、わたくしのものになっておりますわ」ぐらいのことは……
「あ、あの……池川くん……」
俺がいつものように、余計なことを考えて黙り込むものだから、モエピが不安げな声で話しかけてきた。
「ああ、ごめん、ちょっと考えごとしてて……」
「そ、そうなんだ……」
モエピは人見知りらしいが、実は俺も自分から会話をリードするのはすごく苦手だった。
相手から話しかけられるぶんにはなんの問題もなく会話ができるが、自分から話しかけるのは苦手……というか、ほぼ無理だった。
だって、何を話していいのかわからないじゃん……
そんなわけで、モエピとはほとんど会話することなく歩き、軽音部の部室にたどり着いた。
部室の中に誰がいるのかはわからないが、まあパーラーさえいてくれれば、気まずい空気になることはあるまい。
それでも中に入るのは勇気がいった。
もし、サアヤさんが昨日のことを怒っていたら、どうすればよいのだろう?
ああ、こんなことなら、教室でパーラーを捕まえて、一緒に来ればよかった……コミュ力お化けのパーラーさえいれば、なんのためらいもなく、部室に入れたであろうに……
「あの……池川くん?」
俺が部室の前でまごまごしていることを不審に思ったモエピに声をかけられて、俺は覚悟を決めてノックしてから、部室のドアを開けた。
「失礼しまーす!」
「サ……サトシくん!」
部室に入った俺を出迎えてくれたのはサアヤさんだった。
「よかったー! 来てくれたんだねー! 昨日、休みなのに家に押しかけちゃったから、嫌われたかと思ってたよー!!」
サアヤさんは俺が部室に入るなり、駆け寄ってきて、抱きついてきた。
「あ、あの……サアヤさん……なんか、いろいろ当たってるんですけど……」
「いろいろ」とはもちろんおっぱいのことであるが、モエピが見ているので、あえて曖昧な表現にしたのである。
「当ててるんだよ……サトシくんに昨日のこと許してほしいと思ってるから……」
サアヤさんの耳元でのささやきは相変わらずセクシーだった。
これをバイノーラル録音して、同人サイトで売れば、一儲けできそうだなと思うほどだった。
「許してほしいってなんのことですか?」
「だって昨日、サトシくん、二度と家に来ないでほしいって言ったじゃん。それで私、サトシくんに嫌われたんじゃないかと思って、ずっと不安で……心配で……」
「べ、別に嫌ってないんで、あの、できれば離れていただきたいんですけど……」
サアヤさんにがっちり抱きつかれているのでわからないが、きっと俺の後ろにいるモエピは困惑しているに違いない。
困惑しているだけならまだいい。
「池川くん……軽音部って破廉恥な部活だったんだね……そんな部活、私、入れないよ!」などと言われて帰られたらことである。
「いや! サトシくんのこと離したくない! 離さない!」
「今すぐ離さないと、サアヤさんのこと、めっちゃ嫌いになりますよ」
「はい、わかりました! 離れまーす!」
俺の脅迫が功を奏したのか、サアヤさんは即座に離れてくれた。
「それで、ついに軽音部に入部してくれるんだよね、サトシくん?」
「あ、いや、俺じゃなくて、昨日言った入部希望の子を連れてきたんですよ。この子なんですけど……」
俺はようやく、モエピのことをサアヤさんたちに紹介することができた。
サアヤさんに抱きつかれている時はよく見えなかったが、部室にはサアヤさんの他にパーラーとマッチがいた。
ウーター先輩は相変わらずいなかった。
本当にゲリラライブの廉で、警察に逮捕されてしまったのではあるまいか?
「あ……あの……はじめまして。私、池川くんと同じクラスの近藤萌子です。軽音部に入りたいなって思って、見学させてもらいに来たんですけど……」
「え? 女の子? サ、サトシくんとはどういう関係なの?」
俺が例によって、いらんことを考えているうちに、モエピが自己紹介して、サアヤさんがまた話をこじらせようとしていた。
「え? どういう関係と言われても、ただのクラスメートですけど……」
「ホントに? サトシくんと付き合ってないよね? 大丈夫だよね?」
いつの間にか、俺の横をすり抜けて、モエピに近寄ったサアヤさんは、モエピの両肩を両手でがっしりつかんで、ゆらゆらと揺らしながら質問した。
「つ、付き合うなんてそんな……池川くんとは今月知り合ったばかりで……」
「そう、それならいいわ。入って、近藤さん」
サアヤさんのこういう態度は、サアヤさんが俺のことを好きだからゆえなのだと昨日、ナナに教えてもらった。
なるほど、そう言われて見れば明らかに、サアヤさんは俺のことが好きなんだろう。
まあ、嫌いな男にいきなり抱きついたり、おっぱい押しつけてくる女性なんているわけないよな。
でも、俺はてっきりサアヤさんってのは、思わせぶりな魔性の女で、「俺のこと好きなのかな?」とか思わせといて、実際に告白すると「そんなつもりなかったのに……」とか言うタイプの女のだと思っていた。
いや、そう思い込もうとしていただけなのかもしれない。
それはもちろん、俺がナナのことを好きというのもあるが、それ以上に、サアヤさんが好きになったのは本当の俺ではないのではないかという疑念があったからだ。
あの「自称・天神さま」が、無断で俺をイケメン化させたのは入学式の日の朝のことである。
よく思い返せば、サアヤさんと初めて出会ったのは入学式の前日で、イケメン化される前のことだが、その日の俺がサアヤさんとやり取りしたのは一瞬だけで、その一瞬でサアヤさんが俺に恋したとは到底思えない。
サアヤさんが恋したのが、あの「自称・天神さま」にむりやりイケメン化させられたあとの俺なのだとすれば、それは本当の俺ではないわけで、俺の責任外のことではあるにしても、俺はサアヤさんのことをダマしているのではないか、詐欺師も同然なのではないか?
そういう思いがあるから、どうしても、サアヤさんの好意を素直に受け取ることができないのであった。
次回「5人目のティー・パーティー」 お楽しみに。
日頃の寝不足がたたって、今朝は起きられなかったので、今日の更新はこの二十四話のみになります。すいません。




