第十四話「姉小路(あねがこうじ)OUT 山田IN」
「おっはよーう。かわいい幼なじみのナナちゃんが今日もお迎えに来てあげたわよ。感謝してよね」
「うん、ありがとう……」
夢の中で自称・天神さまとの激闘を終えた俺は、浅い眠りが原因と思われる頭痛に襲われていたせいで、今日も「二度寝したい、学校サボりたい」という気持ちになってしまっていたが、今日もナナが玄関に迎えに来たから、サボることはできなかった。
「かわいい幼なじみ」とか「感謝してよね」ってのはナナ流のジョークで、別に本気でそう思っているわけではない……と思う。
少なくとも、ナナがナルシストだなんて思わない。
子供の頃からずっと知っているのだから、それぐらいはわかる……それぐらいは……ああ、眠いし、頭痛い……
「それで、サトシのA組ってどんな感じ? うまくやっていけそう?」
「うん。変な奴が多いけど、うまくやっていけるとは思うよ」
今日もナナと並んで歩き、会話をしながらの登校なので、自転車は手で押して歩いていた。
でもナナと会話ができるのならば、自転車なんか乗れなくても別によかった。
「サトシはさぁ、新しいクラスで友達できた?」
「う、うん。一応できたよ。隣の席がやたらフレンドリーな奴だったからね」
俺は頭の中でパーラーの顔を思い浮かべながら、ナナの質問に答えた。
「そう、それはよかったわね」
「うん、よかったよ。そういうナナは友達できたのか?」
「安心して。私は誰かさんみたいにひねくれてないから、友達なんかいくらでもできるわよ」
俺がナナに告白してふられたのはわずか二日前のことだったはずだが、もうすでにナナと俺の関係は元通りに修復されているようで、改めて安堵した。
ナナにちょっと意地悪なことを言われたとしても、俺は別になんとも思わない。
いわゆる「なんでも言い合える仲」なんだと思う。
なればこそ二日前、ナナに思いもよらぬ告白をされてしまったわけだが……
ああ、ナナはやはり今日もかわいい。
恋愛対象外の俺とも、笑顔で楽しく会話をしてくれている。
対象外だからこそ、何も意識していないからこそ、楽しく会話ができるのだろうか?
俺の方は意識しまくりなんだけどな……
でも、そんなことはおくびにも出さないし、出せない。
ナナとの麗しき友人関係を維持するために、俺は本音を包み隠さなければならない。
「あのさぁ、本当にやめた方がいいよ。女の子と会話する時に、おっぱいガン見するの」
「み、見てないよ……」
「嘘ついても、女の子にはバレるんだよ」
「はい、ごめんなさい、見てました」
だって、おっぱいガン見でもしなければ、抑え込めそうにないんだもの……「ごめんなさい」と言われたぐらいでは消えてはくれなかった、我が恋心を……
夢の中で自称・天神さまにあんなことを言われてしまったばっかりに、一度は消えた恋の炎が、再び点火してしまったのだ。
「ウフフフフ。サトシのそういう素直なとこ、私、好きだよ」
「さ、さっきは『ひねくれ者』とか言ってたくせに……」
「え? そんなこと言ったっけ?」
「言ったよ!」
「えー、覚えてなーい……アハハ、アハハハハ」
嗚呼、国司ナナが如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裏に一点のナナを愛するこころ今日までも残れりけり……
などと、森鴎外の「舞姫」をパロったところで、気持ちはすっきり晴れたりしない。
今日も天気は晴れで、上空には青空が広がっているけれども、我が心には分厚い雲が広がり続けている。
いくら「愛するこころ」が残っていたとて、ナナが俺を恋愛的な意味で愛することはないのだ、永遠に……
「じゃあ、ナナ。俺はここから自転車に乗るから」
「そう。じゃあ、今日も一日頑張ってね」
「うん」
笑顔で手を振るナナに、俺ができることと言えば、ナナの触れられぬおっぱいをガン見することか、自転車に乗って置き去りにすることか、二つに一つだけなのだった。
置き去りにしても怒らない、ナナの優しさに甘えて、後悔の海の中で溺れてしまう。晴天の朝……
「ゼェ……ゼェ……ハァ……ハァ……」
昨日、自転車で登ることができなかった坂道、今日も当然登ることはできなかった。
そんな一日二日で攻略できるほど、防府ヤマダ学園の坂道は甘くはなかった。
「ていうか、なんで学校って坂の上にありがちなんだろうな? 田村麻呂かよ、コンチクショー。是則かもな、バカヤロー」
朝から、実らぬ恋の苦しさを痛感させられた俺は、誰にも聞こえない小声で、意味不明な悪態をつきながら、自転車を手で押して、坂道を歩いていた。
頭の痛みは、少々歩いたぐらいでは消えてはくれなかった。
「やあやあ、池川くん。大丈夫ですか? なんか朝から疲れた顔してますよ」
やっとの思いで、1年A組の自分の席にたどり着いた俺を出迎えてくれたのは、隣の席のパーラーだった。
「だって、あの坂道きつすぎだろ……疲れるよ、そりゃあ……」
「まあ、時間ギリギリだとそうなっちゃうのかもしれませんねぇー、ダメですよ、池川くん。ボクみたいに早起きして、時間にゆとりのある行動を心がけないと」
そう言ったパーラーは、わかりやすくドヤ顔だった。
そんなことはあり得ないが、パーラーの鼻が天狗かピノキオ並みに伸びているような気がした。
「ああ、そうだね、明日からはそうするよ……ところで、パーラーは友達千人作るとか言ってたけど、今は何人ぐらい友達がいるの?」
俺はそんなパーラーに若干、イラッとしたが、今のところ、このクラスに友達はパーラーだけだし、パーラーにきつく当たると、その隣の席に座って、文庫本を読みふけっているマッチにめっちゃ怒られそうなので、心を静めて、話題を変えた。
「そうですねー、まあ、とりあえずA組の女子とはもうすでに全員友達ですよねー」
ホントか? 本当に友達なのか? お前が勝手にそう思ってるだけじゃないのか?
と、思ったのに、口に出せなかったのは、俺がパーラーと会話したのを察知したマッチが、前髪で隠していない左目で、俺のことをにらんできたからだ。
マッチの真意ははかりかねるが、とにかく俺はマッチに敵視されているらしい……でなければ「スケベ野郎」とは呼ばれないだろう……
俺がマッチにビビッて、何も言えずにいると、チャイムが鳴り、クラスメートたちがみんな自分の席に座った。
チャイムが鳴ってから程なくして、例の合法ロリ担任、アカちゃん先生こと、細川アカリ先生と、妹の副担任、細川ミズキ先生が教室に入ってきた。
「えー、突然だが、今日からこのクラスに新しい仲間が加わることになった。それも二人も」
「は?」
アカちゃん先生の突然の言葉に、俺だけでなく、クラスメートの大半が驚きの声をあげた。
だって、まだ入学二日目である。
昨日、入学式だったはずである。
俺の記憶が確かならば、昨日の1年A組は38人全員が出席していたはずで、今日が初登校の生徒もいないはずである。
じゃあ、転校生でも来るのか?
いやいや、入学二日目で転校生なんか来るわけねーだろ。
そもそも、漫画やアニメじゃないんだから、高校で転校生なんか、普通は来ないよ……子供が高校生のお父さんが転勤になったら大抵、単身赴任を選択して、子供が転校しなくてもいいようにするはずだよ……
「やったー、また友達が増えるー、ラッキー」
戸惑う俺を尻目に、パーラーはガッツポーズをしていた。
それを見てしまった俺は「さすが、パーラー」と思わずにはいられなかった。
まだ、どんな奴が来るのかわからないというのに、すでに友達になろうとしているなんて、俺には考えられないことなのだった。
「ええーい、静かにしろ。突然のことで戸惑うのはわかるし、何より私が一番戸惑っている。しかし、私は大人だ! 大人だからこそ、大人の事情には逆らえないのだ!!」
「えー、先生は赤ちゃんでしょー!」
「今日もかわいいよ、アカちゃん先生ー!!」
「やかましいわ! 教師をいじるんじゃねー、お前ら!!」
アカちゃん先生はなぜか女子に大人気で、今日も女子生徒たちにヤジ……というか声援……というかを飛ばされていた。
「いやーん! 怒ってもかーわいーいー!!」
アカちゃん先生が叱っても、ヤジった女子たちにはまったく反省の色は見られなかった。
「まったく……」
「ちょっと、アカリ! いつまで待たせますの!!」
そう叫びながら引き戸を開けて、A組の教室に入ってきたのは他ならぬ、山田クレナお嬢だった。
「こ、これはお嬢様。お待たせしてしまって、大変申し訳ありません」
そんなお嬢を見た、アカちゃん先生は、普段の口の悪さが嘘のような猫なで声、かつ、丁寧な口調で話していて、その時初めて、この先生が本当に大人なのだということを、俺は知った。
「もういいですわ。自分で勝手にやりますから……」
クレナお嬢はそう言って、教卓の前に立ち、自己紹介を始めた。
「庶民の皆様、ごきげんよう。わたくし、この学園の経営母体であるヤマダ自動車の社長令嬢にして、次期社長の山田クレナですわ」
しゃ、「社長令嬢」って自分で自分に使う言葉だったっけ?
ていうか、なぜ特進クラスのはずのお嬢が、A組にいるんだ?
「低脳な皆様はお思いでしょう。なぜ特進クラスにいるべきわたくしが、このA組にいるのかと……」
うわー、今まさに思ってたよー、ごめんなさいねー、低脳でー……
もちろん、思っていることを口に出せるような状況ではなかった。
突然現れたクレナお嬢のせいで、教室中が切羽詰まった空気になって、静まり返っていたからだ。
「なぜいるのか? それはそう……恋をしたからですわ」
「え? 恋?」
静まり返った教室に俺の声が響き渡ってしまった。
いけない……どうも俺には、絶対にしゃべってはいけない場面で、ついついしゃべってしまうという、深刻なまでの悪癖がある……
「だ、誰ですの? 今はわたくしがしゃべるターンですのよ! 茶々を入れないでくださいまし!!」
はい、すいません、黙りまーす……ていうか「ターン」て……お嬢もゲームとかやんのかな? だとしたら、多少は親近感を抱けるかも?
「とにかく! 昨日わたくしは廊下で運命の出会いをしてしまったのですわ!! その人を一目見たその瞬間、わたくしの体に電撃が走りましたわ!! まさに一目ぼれ!! あの人こそがわたくしの運命の人!! まごうことなき、未来の旦那様!! あの人と同じクラスになるのはもはや偶然ではなく必然!! 特進クラスになんかいる場合じゃありませんことよ!!」
クレナお嬢の声と身振り手振りはどんどんどんどん大きくなっていって、俺は耳をふさぎたくなっていた。
この人はオペラ歌手か何かなのだろうか?
これからアリアでも歌いだすのだろうか?
「それでは発表いたしましょう!!」
いや、何を?
「わたくしが一目ぼれしたその人の名前を!!」
いや、そんなのみんなの前で大々的に発表するようなもんじゃねーだろ!
「その人の名は……その人の名は……」
瀧くん?
それとも三葉?
いや、俺が好きなのはミキさん……
「池川サトシ様です!!」
「え? 俺?」
俺はクレナお嬢の絶叫を聞いて、愕然としてしまった。
な、なぜにお嬢が、わたくしの名前を絶叫いたしましたの?
いけない……お嬢の口調が移ってしまいましたわ……って、うわー、ヤバい……クラスメートの大半が俺のこと見てる……クラス中の視線をめちゃくちゃに感じるううううう……
「アカリ! サトシ様はどこの席ですの!?」
「あ、窓際の一番後ろの席です……」
クレナお嬢は、アカちゃん先生と元から知り合いなのかなんなのか、アカちゃん先生のことを名前で呼び捨てにしていた。
そして、さしものアカちゃん先生も、この学校の教師である以上、クレナお嬢には逆らえないのか、いつもの乱暴な口調が嘘のような敬語で、クレナお嬢に俺のいる場所を教えた。
ていうか、教卓の前に立っていながら、俺の席の場所がわからないって……クレナお嬢は目が悪いんだろうか?
あるいはお嬢の恋心なんて、所詮その程度?
俺だったら、たとえ1000キロ離れていたとしても、ナナのいる場所がわかるのに……
って、わかるかい!!
「一番後ろね……あっ、いましたわ! ああ、サトシ様、お会いしとうございましたー!!」
頭の中でノリツッコミをして、現実逃避を試みる俺を見つけたクレナお嬢は有無を言わさず、俺の右腕に抱きついてきた。
「え……ええー……」
突然お嬢に抱きつかれた俺はどうしたらよいのかさっぱりわからず、ただただ困惑していたが……
「うわー、池川くん、うらやましいなぁー、逆玉確定じゃないですかー」
パーラーは持ち前のコミュ力なのか、はたまた空気が読めないのか、戸惑う俺に話しかけてきた。
「ん? わたくしとサトシ様のラブラブタイムを邪魔するのは誰ですの?……って、あら、あなた二条さんとこの孫娘さんじゃありませんの。このクラスでしたのね」
「お久しぶりです、クレナさん」
なん……だと?
パーラー(本名「二条瞳」)はすでにクレナお嬢とも友達だったというのか?
どんだけのコミュ力……恐ろしや、コミュ力お化けパーラー……
「あなた、サトシ様の隣の席だったんですのね、うらやましいですわ。わたくしとしても、どこの馬の骨とも知らぬ者がサトシ様の隣の席でしたら、意地でも席を譲ってもらいましたけれども、いつもお世話になっている二条さんのお孫さんから席は奪えませんわね……そんなことをしてはお父様に叱られてしまいますわ…じゃあ、仕方がありませんわね、そこのあなた」
クレナお嬢がロックオンしたのは、俺の前の席に座る、自称・公家の子孫の姉小路ミツグだった。
「え? 僕?」
「そうです、あなたです。その席は今日からわたくしの席ですわ、お譲りください」
「え? そんなこと急に言われても……」
「頼む、姉小路。譲ってくれ」
戸惑う姉小路を説得したのは、いつの間にやら俺の席の近くに来ていたアカちゃん先生だった。
近くで見るとマジでちっちゃい。身長130センチぐらいなんじゃないか?
この先生と夜中に並んで歩いてたら、余裕で逮捕されそうである。「未成年者略取」の容疑で……いや、冤罪じゃん、それ……
「でも、先生。この席は昨日くじ引きで決まった席で、僕も気に入ってて……」
「頼む、姉小路、譲ってくれ。お前が譲ってくれないと、私、明日から路頭に迷うことになるんだ……」
アカちゃん先生のその言葉で、教室の空気が凍りついてしまった。
やはりお嬢は、この学校の教師や生徒の生殺与奪の権を握っているらしい……恐ろしや……
「やだ! せっかくアカちゃん先生のクラスになれたのに二日でお別れとか絶対やだー!!」
「姉小路くん、席ぐらいどこでもいいでしょ! 譲ってあげなさいよ!」
「あなたが席を譲らないとアカちゃん先生、クビになっちゃうのよ!!」
教室の静寂を破ったのは、アカちゃん先生支持派の女子たちのヤジだった。
「で、でも……」
「ここで譲らないような男とは絶対付き合いたくないよねー!」
「うん、そんな男、絶対に嫌だー!」
「ここで譲らなかったら、姉小路くんのこと、三年間ハブり続けましょう!」
「わかりました! 譲りましょう!! 席なんか別にどこでもいいです!!」
このまま居座り続けると、アカちゃん先生支持派の女子たちに嫌われるということを悟った姉小路は、ビックリするぐらい簡単に折れて、速やかに自らの机と椅子を、通路側の空いているスペースに移動させた。
「ありがとうございます。サトシ様がもっと真ん中ら辺の席にいらっしゃれば隣の席が二つありましたのに、端っこの席でいらっしゃるから、前の席で我慢して差し上げますわ。でも前の席も悪くありませんわね、授業中、後ろからサトシ様にずっと見つめ続けられるのかと思うと、ゾワゾワいたしますわ。あ、十河! わたくしの机、ここに持ってきなさい!」
「はい、かしこまりました、お嬢様」
クレナお嬢の爺やのそごうさんが持ってきた机は特注品らしく、普通の生徒の机とは、デザインや大きさ、木の色などがまるで違っていた。
もちろん椅子も特注品で、背もたれにはフワフワの白い毛がついていた。
これらの一連の出来事が起こっていた時、俺にできたことと言えば、ただ黙って、事の成り行きを傍観することだけだった。
時間の経過とともに頭が痛くなる一方だったから、いつもみたいに、あれやこれやと考えることはできなかった。
「では、これからよろしくお願いいたしますわね、サトシ様。いえ、未来の旦那様……」
頭の痛い俺にはクレナお嬢が何を言っているのか、理解することができなかった。
いや、正確には理解したくなくて、心のシャッターを閉ざしていたんだと思う。
俺が唯一理解したことと言えば、どうも今日からクレナお嬢がクラスメートになって、俺の前の席になったということだけだった。
次回「イギリスの世襲貴族」 お楽しみに。
一般的ではない固有名詞の脚注(興味のない方は読み飛ばしていただいて結構です)
森鴎外の「舞姫」→「舞姫」自体は高校時代に学んだ人が多いだろうから、いちいち説明したりしない。サトシがパロったのは「舞姫」の最後の文章「嗚呼、相澤謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裏に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり。」である。
田村麻呂、是則→いずれも名字は「坂上」 田村麻呂は征夷大将軍として有名な武将であり、是則は百人一首の「朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪」で有名な歌人。




