第十話「会ったとたんに一目ぼれ・パート2(大企業の御令嬢編)」
昼食時の「Fカップ事件」のせいで、午後の俺はずっとボーッとしていて、午後にいったい何をしていたのかはよく思い出せなかった。
とにかく気づいたら、帰る時間になっていた。
朝みたいにナナが迎えに来てくれないかと、ひそかに期待して待っていたが、いつまで経っても来る気配はなかったので、諦めて一人で帰ることにして、廊下に出た。
今日一日だけで、いろいろと個性的な人たちにたくさん出会ってしまって、なんだか気疲れしてしまった。
今はただ、さっさと帰宅して、昼寝ならぬ夕方寝をしてしまいたい。
そう思った矢先……
「十河、今日の帰宅後のわたくしのスケジュールはどうなっていますの?」
例の山田クレナお嬢が、爺やのそごうさんを連れて、階段から降りてきた。
同じ1年生でも特進クラスは上の階にあるらしい。
「はい。今日、帰宅後はまず茶道のお稽古がありまして……」
そごうさんはクレナお嬢の今晩のスケジュールを大きな声で伝えていた。
どうにもこの学校にいる人たちはみんな声が大きくて、別に聞きたくもないのに、あれやこれや勝手に聞こえてしまうのだった。
俺がそんなクレナお嬢とそごうさんをチラ見した時、一番ビックリしたのは、クレナお嬢の左隣に、金髪で長身の美女が歩いていたことだ。
この超進学校の防府ヤマダ学園で染髪なんて認められているわけもなく、あの金髪は天然のものに違いなかった。
言われてみればたしかに日本人よりも肌が白い。
恐らく、あれは白人、すなわち外国人のようだった。
これで見た目だけ外国人のハーフで、実は日本語しかしゃべれませんとかいう人だったら、ホントごめんなさいだが……
「Hey! Roberta!! today is……」
などと思っていたら、クレナお嬢が英語で、金髪女性に話しかけていた。
その英会話を聞き取れるほどのリスニング能力は俺にはなかったが、これでクレナお嬢の隣にいるのが、外国人であることが確定した。
みんなと同じ、防府ヤマダ学園の制服を着ているから、恐らくは留学生なのだろう。
なんとまあ、白人の留学生まで受け入れているとは防府ヤマダ学園、恐るべしである。
他の人たちも、クレナお嬢と金髪留学生のセットに恐れをなしたのか、特に何も言われていないのに、勝手に廊下の脇によけて、そごうさんも含めた三人が通る道をあけていた。
それはまるで、大名行列を見かけた江戸時代の庶民のようだった……さすがに江戸時代の庶民みたいに平伏まではしていなかったけれども……もちろんそごうさんが「したーにー」などと言ってもいない。
かく言う俺は、クレナお嬢と金髪留学生とそごうさんのセットに、まったく畏怖の念を抱かなかったわけではないけれども、若者らしい反骨心なのか、はたまた世間知らずなのかなんなのか、特になんのお構いもなしに、この三人の前に立ちふさがってしまった。
そして、すぐに玄関があるのが逆方向、すなわち三人が歩いていたのと同じ方向だということに気がついて、きびすを返したわけだが……
「ちょっと! そこのあなた!!」
なぜかクレナお嬢に呼び止められてしまったので、再び振り返らざるを得なくなってしまった。
「な、なんでしょうか?」
いかんせん、相手は学園の経営者の縁故である。
無視して、ご機嫌を損ねでもしたら、我が身が危うい……そうか、だからみんな脇によけて関わり合いにならないようにしていたのか……「Fカップ事件」の衝撃の余波でボーッとしていたせいで、そんなことにも気づけなかったなんて、不覚であった……
「あなた、わたくしが誰だかわかって、わたくしの前に立ちふさがりましたの?」
「え? いや、別に……」
クレナお嬢の質問の意味がよくわからなくて、俺は曖昧な返事をしてしまった。
それがクレナお嬢をイラつかせてしまったのか、舌打ちをされてしまった。
そして、腕組みをして、右足を貧乏ゆすりしながら、俺への詰問を続けた。
「だから! わたくしがこの学園の経営者である山田一族の跡取り娘、山田クレナであるということを知って、わたくしの行く道をふさいだのかどうかと聞いているのです!!」
「あ……いや……あなたがクレナお嬢だってことは知ってますけど……」
「お嬢ですって!? なんと無礼な! お嬢様とお呼びなさい! お嬢様と!!」
クレナお嬢もやっぱり声が大きかった。
なんでこの学園の人は声が大きい人ばかりなんだろうか?
そしてここはたしか、山口県 防府市……だったはずだ……決して横浜市 鶴見区 生麦ではないはず……ていうか、そもそも俺、馬に乗ってないし……普通に廊下を歩いているだけで無礼討ちされるなんて、そんなバカな……
ここは防府ヤマダ学園の廊下であって、江戸城松の廊下ではないはずだが……
なんにせよ、俺は学園生活初日にして、学園生活が終わってしまうかもしれないという大ピンチを迎えてしまっているようだった。
「とにかく! あなた、こっちに来て、よく顔をお見せなさいな!! ほれ、早く!!」
なぜかクレナお嬢が手招きして、俺に近づくよう促してきたので、黙って従うしかなかった。
ああ、これでお嬢に顔を覚えられて、明日から山田家の放った無礼討ちの刺客に常に狙われ続ける日々が待っているとか、そういうことなんだろうか?
いや、それならばまだ幸せな方だ。
クレナお嬢に無礼を働いたということを理由に、停学だの、退学だのいう処分になってしまったら、俺は親父やナナにどう顔向けすればいいんだ?
とにかく俺は暗澹たる気持ちで、お嬢に近づいた。
「まったく。礼儀も知らぬ、無礼な男はいったいどんな顔をしているのかし……らぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
俺の顔を間近で見たクレナお嬢はなぜか奇声をあげた。
入学式で見た時は気づかなかったが、クレナお嬢も相当に背が高く、身長170センチの俺よりわずかに低い程度だった。
それで細身なんだから、まるでモデルさんのようだった。髪はドリルだけど……胸もはっきり言って貧乳だ……
お嬢の隣にいる金髪留学生もやはり背が高く、お嬢とほぼ同じぐらいの高さだったが、お嬢よりはガッシリした体格で、そこはいかにも外国人らしかった。胸もお嬢よりは大きかった、決して巨乳というほどでもないが……
などと、この期に及んでも女子の容姿チェックに余念のない俺の顔を見たクレナお嬢はなぜか、両手を口に当ててプルプルと震えていた。
な、なんだ?
ついにお嬢、ブチギレるのか?
そして俺は退学処分?
か、勘弁してくれ……
「あ、あなた……お名前はなんて言いますの? クラスは?」
身構えた俺を尻目に、クレナお嬢はごくごく普通の質問をしてきた。
「はあ……俺は1年A組の池川サトシですけど……」
拍子抜けした俺は素直に質問に答えた。
「池川サトシ様……1年ということはつまり、わたくしと同じ新入生ですのね」
「ええ、そうですけど……」
「なんとまあ……新入生に……こんなお人がいただなんて……」
クレナお嬢はそうつぶやくと、黙り込んでしまい、左右にいた金髪留学生とそごうさんは、そんなクレナお嬢のことを不思議そうに見つめていた。
「あ、あの……それで、俺に何かご用なんでしょうか? お嬢様」
俺はしびれを切らして、黙り込んだクレナお嬢に自ら話しかけた。さっき「お嬢様と呼べ」と言われたから、ちゃんとそう呼んであげた。
「あ、いや、これは失礼をいたしました、池川様。もう特に用はございませんわ」
俺の言葉を聞いたクレナお嬢は突然、あたふたし始めた。
「はあ、用がないのなら、もう帰っていいですかね? 俺、眠いんですよ」
「あ、あら、そうですの? だったらどうぞお帰りくださいませ。今日はいきなり呼び止めてしまって、失礼をいたしました。無礼をお許しください」
あれ?
なんかクレナお嬢の態度が変わってないか?
いや、間違いなく変わっている。
そもそも言葉づかいからして変わっている。
俺、別に何もしていないはずなんだけどな……
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて、帰らせていただきますね、さようなら、山田さん」
「さ、さようなら、池川様……また明日」
「うん、また明日」
俺がクレナお嬢に手を振って、別れを告げると、クレナお嬢も手を振った。
そして、玄関に向かって歩き始めた俺は、クレナお嬢のこんな言葉を聞いた。
声が大きいから聞こえてしまったのだ。
「十河! 耳を貸しなさい! ゴニョゴニョゴニョ……」
「はあ、なんでございますか? はい……はい……ええ!? ほ、本気でございますか!? お嬢様!!」
「本気も本気! 大本気よ!!」
「いや、しかし……さすがにそれは……お父様になんとご説明なさるのです?」
「お父様なんかいくらでも説き伏せてみせますわ!! とにかく、十河! これができなければ、あなたは明日でクビですわよ!!」
「そ、そんなご無体な……」
「ホッホッホ、明日はサプライズですわよ!!」
クレナお嬢が、そごうさんにいったい何をお願い……いや、命令したのか、俺には皆目見当がつかなかった。
まあ、どうせ俺には関係のないことだろう。
身の安全を守るためにも、明日からはクレナお嬢とは関わらないようにしよう……
俺はそんなことを思いながら、下駄箱のある玄関にたどり着いた。
とにかく眠かった俺はあくびをしながら靴を履き替え、校舎の外に出た。
次回「悲しきギター忍者」 お楽しみに。
あまり一般的ではない言葉の脚注(興味のない方は読み飛ばしていただいて結構です)
横浜市鶴見区生麦→幕末に薩摩藩士が、大名行列を見ても下馬しなかったイギリス人を無礼討ちにして、殺してしまったことで、教科書に載るほど有名になってしまった場所。いわゆる「生麦事件」の舞台である。事件のことを現代に伝える「生麦事件碑」というのが存在している場所でもある。
江戸城松の廊下→「忠臣蔵」で有名な浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかって、羽交い締めにされた挙句「殿中でござる!」って言われたことで有名な場所。正式名称は「松之大廊下」らしいが、時代劇などでは「松の廊下」と呼ばれることがほとんどである。




