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将棋の名人とはどのくらい強いものなのか

作者: Itashami

 

 A君は子供の頃、近所のおじさんやクラスの友達とよく将棋を指していました。

 自己流の将棋でしたが、A君はもともと聡明で要領の良い子だったので、たくさん指している内にどんどん強くなっていき、次第にクラスの友人も彼には全く敵わなくなり、それどころか親戚や近所のおじさんたちまでがコロッと負かされてしまうという有様でした。そのうち対等に指せる相手が周囲にはいなくなってしまい、たんだんとつまらくなって将棋から離れていってしまいました。

 そんなA君もやがて大きくなり、地元の会社に就職しました。

 

 暮れに社員旅行で温泉旅館に行ったA君は、そこで宿泊客の貸出し用の将棋盤を目にしました。途端に子供時代の思い出がよみがえってきます。A君は急に将棋を指したくなりました。そこで誰か将棋をする人はいないかと会社の人たちに尋ねてみると、B課長が名乗りをあげました。

 Bさんは棋歴20年近くの将棋愛好家でアマチュアの有段者(将棋の実力を示す段位を有する人)です。休みの日にはいつも棋書を読んだり棋譜を並べたりして熱心に将棋の勉強をしています。そんなことはつゆしらず、A君は自信満々でBさんと将棋を指し始めました。

 A君にとっては久しぶりの将棋でしたが、指し始めるとすぐに勘が戻ってきました。もう楽しくて楽しくて仕方がありません。絶好調でBさん相手ににガンガン攻めかかっていきます。そう、攻めかかっていたはずなのです……。

 ところが気が付いたらA君は負けてしまっていました。子供の頃あれだけたくさん将棋を指したのにこんな経験は生まれてはじめてです。どうして負けたのかすらも理解できない。普通に指していて、気がついたら突然自分の王様が危機に陥っていたのです。まるで魔法をかけられたみたいでした。

 その後Bさんと何番も勝負をするもA君は全く勝てません。というよりも全く勝負にすらならないのです。Bさんの提案で、ハンデとして、将棋の強い駒である角行を落としてみることにしました。Bさんにとっては大きな戦力ダウンです。それならさすがに勝てるだろう。A君はそう思ったのですが、やはり簡単に負かされてしまいました。では次はさらに強い駒である飛車を落としてみましょう。ここまで大きなハンデならばどうでしょう。しかしA君は勝てません。最後に、角行と飛車の両方を落としてみました。将棋においてこれはものすごい大きなハンデです。それでもA君はコロっと負かされてしまいました。

 A君は頭の中が沸騰しそうなほど一生懸命考えて指しましたが、Bさんの方はというとまるで気楽に遊んでいるかのような余裕の表情です。本気を出しているという感じでもありませんでした。

 A君は衝撃を受けました。子供の頃、彼の身近には将棋のアマ有段者と呼ばれるような人はいませんでした。日本中、将棋を指せる人は大勢いても、そこまで真剣に打ち込むような人はさすがに数が限られています。井の中の蛙とはいえ、世の中にこんなに将棋が強い人が存在するとは思いもしませんでした。まるで魔法のようだなとあたらめてA君は思いました。


 社員旅行の翌週の休日、Bさんは久しぶりに地元の将棋道場に行きました。ここにはBさんのようなアマチュアの有段者が大勢います。最近はネットで指すことが多かったBさんですが、道場で生身の相手と向かい合って指す将棋はやはり新鮮でいいものです。

 久しぶりに道場にやってきたBさんに、道場の席主さんが声をかけました。ひょろっとした背の小さな男の子を指さし、あの子はああ見えて意外と指せるから一局やってみないかというのです。小さな男の子C君は、小学校3年生で、幼稚園の頃に父親にルールを教わって将棋を指しはじめ、今は子供将棋教室にも通っているそうです。

 やれやれ、調子が狂うな。自分の息子より小さな男の子と盤をはさんで、Bさんは思わずそうつぶやきました。あまりこっぴどく負かすと泣き出してしまうかもしれないなとBさんは心配しました。

 ところがそんな心配は杞憂どころの話ではなく、BさんはC君に全く歯が立ちませんでした。実力の差は明らかでした。C君の方が一回りも二回りも棋力(将棋の強さ)で優っています。Bさんがいくら攻めようとして攻めは完全に空を切らされ、まるでお釈迦様の手の上でもがく孫悟空のような気分です。

 こんな強い子供もいるのか、とBさんは驚きました。彼が行く地元の将棋道場は、裏路地にある煙草の煙が漂うような昔ながらの道場で、今ではあまり子供が来るような場所ではありません。強い子供もいるとは知っていましたが、今までそういった子供と盤を挟む機会もなく、まさか小学校低学年に歯が立たないなんてことは夢にも思いませんでした。

 Bさんは愕然としました。自分は20年近く将棋を続けてきて、それもただの遊びではなく真剣にプロの将棋や定跡を勉強してきて、人生の中でそれなりに多くの時間を将棋に費やしてきて、それでもこんな小さな子に勝てないなんて、一体どういうことなんだろうか。

 何ともいえない虚しさに苛まれ、Bさんはその後だんだんと将棋から離れていくことになります。


 とはいえ、C君は決して特別な存在という訳でもありません。そこら辺のアマチュア有段者クラスを軽く打ち負かすような子供は、彼が通う将棋教室には大勢います。

 その中でもD君は特別でした。C君と同い年でありながら、D君は彼との格の違いをまざまざと見せつけることになります。まさに天才少年と呼ぶにふさわしい、あどけないその外見からは想像もつかないほどの実力者です。

 将棋教室ではじめてD君と練習対局したときのことをC君はよく覚えています。何局指してもC君は勝てませんでした。C君は悔しくてどうしても勝ちたくて、一生懸命時間をかけて深く読んで指すのですが、D君の指し手はというと全く時間を使わず一瞬なのです。C君からすれば、お前になんて考えなくても勝てると言われているかのような気がして悔しくなります。そのうちD君は飽きてきたのか、周りの子の練習対局をキョロキョロしながら観察しだして、まるで心ここにあらずといった様子です。一方でC君は盤上に没頭し子供とは思えない鬼気迫る表情で一生懸命考え続けるのですが、それでもD君にはまるで敵いません。

 D君は将棋の世界では「早見え」と呼ばれる、深く読まなくても一瞬で直感的にあるいは本能的に良い手が見える典型的な天才肌のようです。

 帰り道、がっくりと肩を落とすC君に、お父さんはこればかりは才能の違いだからしょうがないよといって慰めようとしました。お父さんとしては気をきかせたつもりなのですが、C君のプライドはすっかり傷つけられてしまい、しまいにはわんわん泣き出して止まらず、お父さんもどうすれば良いか分からずひたすら困惑する次第です。

 大きくなったら将棋のプロになるんだと目を輝かせながら語っていたC君も、そこまで自分には向いてないと感じるようになったのか、最近はサッカーやゲームなど別のことに夢中になっているようです。

 一方で、まさに天才少年という言葉がふさわしいD君は、本気で将棋のプロ棋士になることを志望するようになり、その後難関を突破して将棋のプロ養成機関である奨励会への入会をはたしました。


 奨励会入会当初、D君は自信に満ち溢れていました。周りの大人たちからは天才だ神童だと言われて、将棋教室の先生からも長年見てきた中でも特に見込みのある子だと太鼓判を押されていたからです。

 奨励会では下のランクである6級からはじまり、奨励会の会員同士の対局の成績によってランクが上下していきます。6級、5級、4級…と上がっていき1級を超えると今度は初段、二段、そして三段まで到達すると、そこでは三段リーグという最終関門のリーグ戦が行われており、そこを突破すると晴れて将棋のプロ棋士になれます(ここでの級位や段位はアマチュアの段級とは別のものです)。

 とにかくプロ棋士になるためには対局に勝ち続けてランクを上げていくしかありません。反対に成績が振るわなければランクは落ちていき、そしてやがては退会に追い込まれます。苛烈な競争の世界です。

 自信満々だったD君も、奨励会ではなかなか勝つことができず、現実の厳しさを知ることになります。確かにD君は天才ですが、もともと奨励会は選りすぐりの天才が各地から集まってくる場所であって、彼だけが特別なわけではないのです。

 D君は今までの甘い考えを捨てて心を入れ替え、それまで以上に真剣に将棋の勉強に打ち込むようになりました。とてつもないほどの集中力を発揮し、まるで何かにとりつかれたかのように、ときには寝食も忘れるほどに将棋の勉強に没頭し続けるD君を見て、彼の両親もこのままでは体調を崩さないかと心配でならなかったほどです。

 早見えだったD君も、今では一局一局丁寧に一生懸命読んで指しています。プロになるにはともかくも勝ち続けるしかないのです。どんな小さなミスすらも許されないのです。なりふり構わずただただ無我夢中で戦い続けました。

 

 並々ならぬ執念でひたすら努力し続け、D君はついに奨励会の1級まで上がります。あどけない姿をしていた天才少年ももう今年で高校生です。かつては周囲から天才と呼ばれて、絶対にプロになれるものだと信じてやってきた彼も、だんだんと先行きに不安を感じるようになりました。少しずつ焦りもでてきます。

 次の対局相手は彼よりも年下である中学生のE君。E君は小学生の頃から全国クラスの子ども大会で準優勝他度々上位入賞するなど華々しい経歴を有し、D君よりも遅れて奨励会に入会してきたにも関わらず順調に昇級を続けて、いつのまにかD君と同じ1級まで上りつめていた将来有望な少年です。

 D君はこの一番を必死に戦いました。D君にも自負があります。E君は溢れんばかりの才気で勢いよく勝ち続けているかもしれないが、自分だって必死に勉強してきたんだ。研究量では決して負けない。ここで勝って必ず昇段して見せる。そう自分に言い聞かせて、闘志を奮い立たせました。

 すさまじいほどの勉強量を誇るだけあってD君は序盤で見事作戦勝ちをおさめ戦況を有利に運びます。ところがその後は完全に力負けして、中盤以降は逆に相手にすっかり抑え込まれてしまい、最後は無様な負け方をしてしまいました。

 D君として明らかなミスをしたわけでもないし、自分の力を持てる限り存分にぶつけることができました。それなのにこの結果です。もはや力の差は明らかでした。否定のしようがない歴然とした力の差があるのです。

 この一局でD君はついに決意を固めました。自分の限界というのをやっと理解できました。ここから先、仮に上手く勝ち進めたとしても、その先はE君のような尋常ではない強さの相手が大勢待ち構えているわけです。素質とか才能とかそういったものばかりはどうしようもない。このまま続けていても、いつか自分がつぶされてしまいそうだ。将棋の道はもうあきらめて、将来に向けて何か別の道をさがそう。そう彼は決意しました。

 D君は、かつて自分が天才やら神童などともてはやされていたことをふと思い出しました。自信に満ち溢れていた昔の自分。あの頃のことがまるで夢のなかのできごとであるかのようです。それでももう過去を振り返ってばかりいても仕方がありません。退会を決めた彼の表情にはもう悲壮感といったものはなく、晴れ晴れとした面持ちで新たな人生をスタートしました。


 D君に退会を決意させたほどの実力者E君は、有望株の一人と呼ばれるだけのことはあって、その後も好成績をあげ続けました。それでも上位層の壁は厚く足踏みを余儀なくされた時期もありましたが、19歳のときにプロ入りの最終関門である三段リーグへとやっとの思いで到達しました。

 ここにいたるまでに、類まれなる才能を持つ多くの者たち、多くの天才たちが脱落してきました。その険しい道のりを越えてきた一部の者だたちけが三段リーグに参戦できるのです。ここさえ突破できれば晴れてプロ棋士になれます。三段リーグを越えて四段になれれば、周囲からは先生と呼ばれて、将棋の対局料で生活していけるプロ棋士という夢ような待遇が待っています。しかしながら本当の地獄はここからなのです。

 三段リーグには30名を超える者たちが参戦しています。その中で各自対局を続け、上位に2名に入れたものだけがプロ棋士になれます。たったの2名です。三段リーグは半年ごとの開催なので、プロになれるのは原則一年でたったの4人です(例外もあります)。しかもこれだけ狭き門でありながら、26歳までに三段リーグを突破してプロ棋士になれないと退会に追い込まれるという年齢制限まであります。

 あれほど華々しい経歴をひっさげて奨励会でも勢いよく勝ちつづけてきたE君だけあって、三段リーグでも奮闘し毎回勝ち越しを決めます。ところがそれだけでは上位2名には加われません。大きく勝ち越す年もありましたが、それでもまだ勝ち数が足りません。そうやって少しずつ年を重ねていき、たんだんと残された期間は少なくなっていきます。中にはあまりのプレッシャーやストレスで精神を病んでいく人たちもいます。あまりにも厳しい世界です。

 今まで並み居る天才たちを蹴散らしてきたE君から見ても、まるで別次元だと思えるほどの途方もない高いレベルの人たちが、三段リーグにはうごめいています。そういった人たちは何期かののちには順当にプロになって巣立っていきますが、するとまた新たな猛者たちが下から追い上げてきて三段リーグに入ってくるのです。

 E君も必死に努力を続けますが、7年もの足踏みの末についには26歳になり、今期を逃せばもう後はないというラストチャンスを迎えることになります。

 とはいえ、これで最後だと腹をくくったE君の今期の指し回しは冴えわたっていました。リーグ戦最後の1局を残し12勝もの勝ち星をあげました。次に勝てば、プロ入りの条件となる上位2名に入れる可能性が十分にあります。最後の対局相手はF君。E君より一回り年下である18歳のF君もまた次に一勝できればプロ入り確定という重要な局面にあります。E君にとって決して負けられない戦いになりました。

 ところがE君は内容的にも全く良いところがない惨敗を喫することになりました。何しろF君は奨励会員時代からもうすでにプロ棋士たちからも注目を浴びるほどのスーパールーキーで、三段リーグの中でも殊に突出した力を有する天才中の天才。今期が初めての三段リーグであるF君は何とたったの一期で抜け出してしまったのです。もはやE君が頑張って勝てるレベルの相手ではありませんでした。

 E君にとってもこれだけ実力差のある相手に完敗するなら、かえってあきらめもつくというものです。それにしても、最後の対局相手は、自分がやっとの思いで三段リーグに到達した19のときよりも早くプロ入りを決めることになるとは。何ともやりきれないものだなとE君は思いました。

 E君はその後一般企業に就職し、プロ入りの夢こそかなわなかったものの、将棋はその後も続けてアマチュアの全国大会でも優勝しました。


 さて大いなる期待を背負ってプロ棋士となったF新四段ですが、新入りプロである彼は順位戦というプロのリーグ戦に参加することになります。最初は一番下のランクであるC級2組からのスタートとなります。C級2組には50名のプロ棋士が在籍していますが、その中でリーグ戦上位3名に入れたものだけが、その上のクラスであるC級1組に昇級できます。反対にここで対局成績の振るわない棋士は、やがではプロ引退へと追い込まれることになります。

 あれほど厳しい競争を勝ち抜いてきてプロになれたわけですが、C級2組から一度も昇級できず現役生活を終えるプロ棋士も決して珍しいわけでありません。ここでも厳しい世界が待っています。

 注目を浴びる逸材F四段は、今や自信に満ち溢れていて、一期でC級2組を抜け出してやると意気込みますが、何しろあの奨励会を勝ち抜いてきた者たちが集う世界です。いくらF四段でもそう簡単に勝てるわけではありません。しかも上のクラスに行くには、50名もいる中で上位3名に入らなければならないのです。

 それでも彼は奮闘し続け3年後にC級1組へとあがり段位も五段へと昇段しました。今ではF五段と呼ばれています。ところが、それから先は何年もの間伸び悩むこととなりました。

 C級1組リーグ戦では、新人王戦優勝、タイトル戦挑戦者決定戦進出などの実績を誇り若手棋士の中でも実力派として知られるG六段とも対局しました。F五段にとっては自分の実力を試す絶好の機会で、心待ちにしていた対局でしたが、全くいいところがなく敗れてしまいました。

 F五段はそこで自分の中で何とか保っていた自信を完全に打ち砕かれてしまいました。研究量でも終盤力でも相手の方がはるかに上で、将棋の作り自体がまるで違いました。自分だって強い方だとは思っていたが、若手の中ですら上位との間はこれほど実力の差があるとは。これでは自分には全く太刀打ちできないし、棋戦などで目立った成績をあげるのも自分にはまだまだとても無理な話だと、あきらめにも似た感情がF五段の中にめばえはじめました。

 その後、自身の限界を悟ったF五段は、アマチュア愛好家へのレッスンや将棋イベント出演など、実戦よりも将棋の普及活動に力を入れるタイプのプロ棋士になっていきます。持ち前のルックスや愛嬌のある性格でファンからも広く愛され、対局とはまた別の方面で自らの持ち味を発揮できる棋士になっていったそうです。


 一方で七段に昇段したG七段は、その後さらに上のクラスであるB級2組へと昇級し、その後も順調に勝ち続けてそのまた上のクラスB級1組まで昇級しました。プロ棋士の間でもB級1組まで来られるのは一握りの実力者だけです。

 とはいえここまでくればさすがに層も厚く強敵ぞろいで、あれほどの実績を誇るG七段であっても思うように勝てずに連敗を続けてしまい、あと一敗すると元のB級2組に降級してしまうというピンチを迎えることになります。

 次の相手はH八段。将棋界の最高峰の栄誉であるタイトルを2期獲得したトップクラスの一人です。瀬戸際で踏ん張りたいG七段としては負けられない戦いですが、ほんの僅かのチャンスすら与えられず完封勝ちを収められてしまいました。

 G七段には対局中盤あたりからもう勝てないことがはっきり分かっていました。H八段は終始完全にリードして、慎重な指し回しで逆転の可能性をわずかにも与えず、安全に勝ち切りました。G七段からすれば、自分も若手の中ではトップクラスの実力といわれ、そこそこやれるのではないかという期待もありましたが、タイトル経験者の強さは想像を絶するものがありました。G七段からすれば、もはや人間離れした怪物のような強さです。

 本局で負けたG七段は降級が決まってしまい、一方で勝利したH八段は、順位戦の最高ランクであるA級への昇級が決定しました。G七段はその後も、タイトルを獲得するなどの実績はありませんでしたが、中堅クラスの棋士として、将棋界で長く活躍していくことになります。


 A級ではプロ棋士たちの中でも頂点に位置する11名が熾烈を極めた戦いを繰り広げます。11名で総当たりの対局を行い下位2名は脱落。一方で1位になった者には、400年の歴史を誇る将棋界で最も権威ある称号である名人の座に挑戦する権利が与えられます。

 H八段はタイトルを2期獲得していますが、A級にはタイトルを10期以上つまり二桁獲得している棋士たちもいます。まさに桁違いといったところでしょうか。人間離れした怪物のような強さのH八段ですらA級での戦いは厳しかったようで、ギリギリでA級脱落は免れたものの負け越してしまいました。

 一方で1位になったのはI九段。数多くのタイトルを獲得したほか、一般棋戦での優勝回数も数知れないトップ棋士たちの中でもさらにトップに位置する精鋭です。

 A級で1位になったI九段は、現在の名人であるJ名人に7番勝負を挑むことになります。この7番勝負で先に4勝した方が名人の座につくことになります。つまりI九段が勝てば名人の座を奪取、一方J名人が勝てば名人の座を防衛ということになります。

 7番勝負は名人にミスがでてI九段が先に1勝するも、その後はJ名人が4連勝して名人の座を防衛することになりました。

 I九段もトップクラス中のトップクラスといえるような偉大な棋士ですが、何しろJ名人は将棋のタイトル獲得数がもう少しで100期、つまり三桁に達しつつあります。これまた桁違いのすごさです。

 ほとんどのプロ棋士はタイトルをたったの1期も獲得することなく現役生活を終えます。ほとんどのプロ棋士は、たいていタイトル戦の予選で敗れるか、あるいは本戦や挑戦者決定戦まで仮に進出できたとしてもタイトル獲得まではまだ遥か遠く、タイトルとは無縁なままやがて引退していきます。

 それでも、ここまでお読みいただいた方ならお分かりいただけるように、例え1つもタイトルを獲得できなくても、プロ棋士というだけで、一般の将棋愛好家からみれば雲の上の偉大な存在です。ですが、プロ棋士の中にはそんなタイトルを数多く獲得し続ける猛者もいます。

 将棋の世界はまさにピラミッドのような構造になっています。


 さてそんなJ名人も、急躍進してきた新世代の若手棋士に名人の座を奪われてしまいます。そしてその後は、非公式戦ではありますが、最年少でプロ棋士になった14歳の少年に対局で敗れてしまい将棋界を騒がすニュースになるのです。とはいっても力が衰えたという訳ではなく、それだけ新たな世代も力をつけてきているということです。


             *      *      * 

 

 会社での昼休みに、A君は食堂のテレビに見入っていました。ワイドショーが巷で話題となっている14歳の中学生プロ棋士をとりあげています。歴代最年少でプロ棋士になるという偉業を達成したばかりか、デビューからは公式戦無敗で連勝を続けて、今までの記録をぬりかえてしまうのではないかと騒がれています。非公式戦ではすでにトップクラスの棋士たちからも勝ち星をあげているようです。

 A君はふと考えました。俺も子供の頃はよく指していてそこそこ将棋は強い方だけど、この子ははたしてどのくらい強いのものなのだろうか。この子は名人になるのが夢だそうだけど、将棋の名人っていうのはたしてどのくらい強いのだろうか。

 いくら考えてみても、彼には全く想像がつきませんでした。

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― 新着の感想 ―
[一言] 恥ずかしながら子供の頃は将棋のルールが理解できず、つい最近になって将棋に触れる機会を得、ようやくルールを理解し、こんなに面白いゲームだったのかと思えるようになったばかりです。 ニュースに出る…
[良い点] 分かりにくいプロ棋士の強さが分かりやすかったです。 プロの時点でやばいんですね。 [一言] あの最年少の人やべえな…
[一言] ドラゴンボールの戦闘力ランキング動画を見たかのような気持ちになってきます。 ニンゲンの可能性ってスゴイなぁ
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