こちら、ハル。今から空を見ます。
晴れわたる空。
流れる雲を追う。
いつまでそうしていたことだろうか。
真っ青だった空が、いつしか、淡く、滲み、朱色と黄色に染まっている。
艶やかで、そして、頬が、赤く染まった少女のように、微笑んでいる気がした。
それでいて、感傷に浸るような様子でもないほど、素敵な空だった。
「うん、満足。」
すがすがしい気持ちでいっぱい満たされてしまった。
充電完了である。
僕の名前は、ハル。
春に生まれたからハルらしい。
職業、学生。趣味は、空を見ることである。
っと、紹介はこんな感じで。
「おーい、ハルー、またここにいたのかー!?」
幼馴染のアカリが、いつもの様子で話しかけてきている。
「ああ、そうだ。ここは俺らの秘密基地だからな。」
と、ハルが答える。
「あんたも、好きだねー。この場所」
「当たり前だろ。この場所が、空眺めるのに一番なんだよ。」
「はい、四重屋の大福。」
ぽいっと自分に向かって投げられた白い物体を受け取る。
「サンキュ。ありがとな。」
自分からは、アカリに、飲みかけのお茶のペットボトルを渡す。
「すまねーな。飲みかけで悪いけど。」
「お。すまないねー。ハルさんや。」
「どこの老婆だよ。」
なんて、軽口をたたきながら、もう、夜に変わってしまった空を二人で眺める。
「あ、流れ星。」
「どこだよ。見えないじゃねーか。」
「もうとっくに流れたよ。ばーか。」
「アカリ、お前、ホント目がいいよなー。」
えっへんと、いかにものドヤ顔で。
「両眼2.0。いいでしょー。」
ちなみに俺はメガネっ子でそんなに目が良くない。
だから、物が見えて、空を眺められることに、感謝している。
というか、アカリくらいに目がいいと、どんな世界を見られるのか興味をそそる。
ふと、思い出してハルが、言う。
「あ。そうそう、同じクラスに川谷って奴いるだろ?」
「いるね。で、そいつがどうしたの?」
「まあ、そいついわく、アカネのことが気になるんだと。」
「それを伝えてくれ、だそうだ。」
用を済ませるように、アカリがどうこたえるのか気になるが、さらっと自分の動揺を
見せないように伝える。
アカリが、ぶーたれながら、俺の頬を突っつきながら、言う。
「君からの告白と思ってしまったではないか。」
笑いながら、二人して飲んでいたお茶をふきだしそうになる。
俺たちは、幼馴染。
距離が近すぎて、どうこう言う関係でもない。
だが、最近、ちょっとしたアカリの表情を見ていると、時々ドキッとすることが多々ある。
これは伏せているのだが。
誰に語り掛けてるのだろうか。
そう、心の中に呟きながら、アカリに向かって、自分の今日感じた空について言うっていう。
それが最近の日常となってきている。
「そろそろ、冷えてきたな。」
「うん、帰ろっか?」
「カラスが泣くから、かーえろっ。」
もう、すでに、そんな時間はとっくに過ぎているが、突っ込まずに、一緒に並んで帰宅する。
俺は、自室に戻ると、まず、やることがある。
おもむろに、スケッチブックと鉛筆、それに、メモ帳を出すと、今日、目に焼き付いた空の姿を文字と絵で描くことにしている。
描くって表現にしたのは、文字といっても詩のようなものをメモ帳に。
目に焼き付いた空の姿を、絵に、って感じだからだ。
描くっていうのは実にいい。
だんだん、ザッザッ、という音とともに集中し始めて、無心に近い何かになれるからだ。
詩にしても、自分というフィルターを通して、押し出されるのだから、空と俺の合作という気分になれる。
さっと、いつものように絵と詩を描いてしまうと、急に眠気が来る。
今日はずっと空を見上げていた。
いつか届くかな?、なんてこと考えながら眠りへと、落ちる。
翌朝、起きて、居間のテーブルの上に母の書置きが置いてあるのに気づく。
冷蔵庫にシチューの残りがあるから、レンジにて温めてください、とだけ。
ちなみにうちの家庭は母子家庭である。
あ、そうそう、それと何時に帰ろうと、何も言わないおおらかな放任主義というべきか。
自分で、そう解説しながら、少し照れくさくもあるが、かなりの愛情を注いでもらっているのを感じている。
はにかみながら、食事を済ませると、いつもの秘密基地へ。
途中、すれ違うご近所のおじさんやおばさんたちに、あいさつをしながら。
今日は、朝から空を眺められる。
学生ならではの休みっていう土曜日ってやつだ。
普段なら、空をすぐ眺めてまったり過ごすのだが、今回は違う。
秘密基地に、備蓄してきたいろんなものを整理しようと、朝から来たのだ。
備蓄とは言ったが、ただ昔の思い出の品がほとんどだ。
整理していると、1対の少し高そうな本格的なトランシーバーを発見した。
これは、昔、基地ごっこしてる時に使っていた大切なものだった。
ふと、アカリも覚えているのだろうかと頭によぎる。
他の備品を整理し、段ボールにまとめてしまうと、おもむろに、一息入れながら、空を眺める。
「はあ、いいなー。今日も雲の位置具合が絶妙だ。」
空をこの上なく愛すようになったのは、一瞬といって同じ姿がない事。
それに尽きる。
まさに、空を音読みした感じだ。
おっと、アカリがそろそろ来る頃だなと思いながら、また空へと視線を戻す。
「じー。」、アカリの声がした。
ふと振り返りながら、「じー。ってそのまま言うやつがいるか?」って言いながら笑う。
「だってさっきから気づいてくれないんだもん。」
「悪い。悪い。」
「ホントにハルって空眺めるの好きだよねー。」
「ああ、空ってなんか、いいんだ。」
そんな会話をしながら、今日、整理した荷物の中にあったトランシーバーを見せる。
「あ、懐かしいね。これって、私が、迷子になたっ時に使ったやつだ。」
「覚えてたんだな。」
「うん。」、と一言だけ微笑みながら、アカリが言う。
「隣に座るよっと。」
それは突然だった。
俺は、何が起こったかわからなかった。
視界が遮られ、唇に何か柔らかい感触を感じる。
アカリの女性らしい香りが鼻腔をくすぐった。
ふいに、空の映像に戻る。
「アカリ?」
しばらくの静寂ののち、アカリが話し始める。
なぜか、寂しそうな、辛そうな面持ちで。
「引っ越すことになった。」
「明日、すぐに発つらしい。」
「急でごめんね。」とだけ、アカリは言い残して、その場を後にし、走り去ってゆく。
気が動転したのだろうか?
おもむろに立ち上がり走り始める。
鼓動がどくどくと、なり響く。
秘密基地からの坂道を駆け下りてゆく。
そこにアカリの姿はもうなかった。
いろんな感情が沸き上がり、うねりながら、ぶわっと涙があふれてくる。
「なんでだよ。」
言葉が宙を舞い、残響することもなく、そして、想いを届けることも叶わず、消えてゆく。
翌日、アカリの家に行くと、がらんどうの空き家になっていた。
母に聞いても、行く先は聞いていないとだけ言われてしまった。
その足で、二人の秘密基地へとフラフラと歩いてゆく。
秘密基地に着くと、膝を抱えながらうつむいてしまう自分がいた。
あんなに好きだった空のことすら考えずに、ぽっかり空いてしまった心を埋めるすべもなく、
どうすることもできずに泣きじゃくった。
どのくらい経っただろうか。
肌寒くなって、滲む空を眺めていた。
体を起こそうと後ろに手をついた瞬間、ガタっっと音が鳴り、手に引っかかる感覚があった。
トランシーバーだった。
よく見ると、1対あるはずのものが1つしかないことに気づく。
「アカリが持って行ったのか?」
ポツリと呟く。
ふと思いつき、「それならば探せる。」、理屈ではない何かが自分の中を巡りだす。
「あの時も見つけたんだ。アカリを。」
この街を出ていたとしても、きっと探せる。いや、見つけ出す。
空を見上げると、淡く光っている。
夕焼け空を眺めながら、そう、思うのであった。
俄然、気力がわいてきた。
これからすることがある。
行き先を告げずに行ってしまったアカリを見つけるための旅。
それと、行き先を見つけること。
これについては、具体的に、大体の行き先を、聞いてまわるしかない。
なぜ、そうまでして、アカリにこだわるのかは、自分でも説明できない。
今は。
でも、残された片割れのトランシーバーからの想いを汲み取ることはできるから。
だから俺は旅立つことに決めたんだ。
帰宅すると、母に、まず、言うことがあった。
「俺、旅に出る。」、と、言い放つ。
「そう。」
母は、察してくれたのか、なぜか独り言を言うように、行き先を伝えてくれた。
具体的な住所でないが、それを聞くと自室に戻り、バッグにいろいろ詰めてゆく。
「今の時間なら、間に合うかも。」独り言をつぶやく。
列車のダイヤ表を、見ながら、まず、向かう先を調べる。
ありったけの貯金を箱の中から取り出す。
こういう時、普段使ってなかった分すごくありがたい。
「うし、準備完了。」というと、気合を入れるように顔をパシッとやる。
駅へと走っていく。
息を切らせても走った。
今までのことを思うとなぜ一緒にいたのが当たり前だと思っていたのか、
自分の浅はかさに悔しさがあふれてくる。
自分自身いてくれて当たり前だと思っていたアカリが、今はいない。
心臓の音は鳴りやまない。
でも、走りながら、いろんな感情があふれだしてくる。
「これって好きってことだよな?」と、呟きながら走った。
駅に着くと即座に切符売り場に。
現地への切符を買うとすぐさま電車のホームへと向かう。
電車が来るのがとても長く感じられる。
ハルは、ふと、空を眺めながら、今、アカリも同じ空を眺めているのだろうか?
と、想いをはせる。
「まってろよ。アカリ。」空を眺め終えながら、ハルは呟く。
電車がホームになる音でふと前方に意識が向けられる。
席に着くと、おもむろに今まで描いた空の絵と詩を見ながらトランシーバーを握りしめる。
俺の初めての旅。
まさか、空を見る旅などではなく、アカリを探しに行くたびが待っていようとは思ってもみなかった。
それほどアカリと一緒にいる時間が長く、いてくれるのがあまりにも当たり前すぎた。
「気づけなくてごめんな、アカリ。」いたたまれなくなり、涙があふれてくる。
とめどなく、溢れるそれは美しかった。
ひどく、美しかった。
電車が目的地に着くと、すぐさま駆け下り、ホームから改札口へ走る。
予測できるのは、空が見える高台か海だ。
アカリのいそうな場所を走って回り始める。
地図だけを片手に。
なぜ、俺にはっきりと相談せずに行ってしまったのだろうか。
胸の中にたくさんの疑問が浮き上がり始める。
確かに行ってしまった。
だけど、トランシーバーを一つだけを残していったのには意味があるはずだ。
そう思える。
いや、そうとしか考えられない。
アカリは、言いたかったはずだ。
「絶対、見つけるからな。アカリ。」
見晴らしのいい展望台へ向かう。
これは、アカリの残したラストメッセージだ。
俺は、それをもとに探すだけだ。
バスにも目をくれず、走りながら坂を上がって行く。
山道だ。
でも、負けてられない。
こんなことで別れるなんて嫌だ。
絶対に。
息が上がっていく。
ゼーハー、息をしながらやっとのことで展望台付近にたどり着く。
お土産屋に視線を向ける。
アカリはいない。
ここにも。
展望台から海はどっちの方角か見渡す。
展望台にもアカリはいなかった。
ここにもいないことを悟ると、次は、海へと足を向ける。
これからは下りだ。
全速力で走っていく。
勢いあまってこけてしまう。
すぐさま立ち上がるとまた下り坂を全速力で走る。
走る。
ひたすらに走った。
そうこうしているうちに、もう夕焼雲が朱色に染まっていた。
夜になると余計見つけにくくなると思い、心が焦り始める。
バスに乗れば早いとかそんなことを考える余裕もない。
ただただ、ハルは、海に向けて走っていく。
海の磯の香りがし始める。
防砂林の林が見え始める。
息をつく間もなく、ハルは砂浜に向けて走った。
そのころにはもう夕闇でもなく、そこは、もう夜だった。
きれいな満月と淡く光る星たちを一瞬眺めながら。
砂浜へと降りてゆく。
人影は何人かいるようだ。
アカリらしき人影を探して砂浜を歩いてゆく。
注意深く。
トランシーバーを片手にしている女性が座りながら空を眺めていた。
佇んでいた。
後姿から、ハルは気づく。
アカリだと。
そこで、深呼吸してハルは、トランシーバーを取り出し、言う。
ジジッっと音が鳴り、トランシーバーがONになる。
「こちら、ハル。今から、空を見ます。」
勢いよく、ハルの声がトランシーバーをとおして、目の前に座るアカリのトランシーバーに送信される。
不意に振り向き誰かを探すアカリ。
斜め後ろで立ち尽くしていた自分を見つけてくれるアカリ。
涙を流しながら、「ありがとう。みつけてくれて。」と、アカリがはにかみながら何とも言えない表情で伝えてくれる。
「ありがとう。気づかせてくれて。アカリ、俺、お前が好きだ。」
そっと、そこで振り向いてくれているアカリの隣に座る。
「夜空だけど、空でも見よう。」
「うん、見よう。」
二人はそっとお互いの手を握りながら空を見上げる。
「きれいだな。月夜の星も淡くて。おつなもんだ。」
「うん。」
アカリは泣いているのだろう。
ぎゅっと手を握り返してくれている。
海風が凪いで来る。
頬に心地よく当たっていた風が止まる。
いつまで空を二人で眺めていただろうか。
空は白みはじめ、海の中の地平線が照らされだす。
俺たちの夏は、いま動き出す。
(完)