Ⅸ:王(ワン)の訪問
「はい」
俺が今しがた着いたばかりの木の椅子から腰を上げ、勝手に自動ロックされた錠を手で解錠してドアを開けると、俺の部屋のドアの前のアパートの廊下には隣の部屋に住む華人の王が立っていた。40代半ばで、小柄で細身なのだが、いつもよく着ている黒のTシャツの薄い生地の張る様から、その下に隠れる胴体の筋肉がよく発達しているのがわかり、短い袖から突き出た腕も筋肉の筋が間に深い溝を作って浮かび上がり、浅黒い肌はよく張っている。四角張った細長い顔をしており、細く小さい目元の奥に引っ込んだ目の瞳をよく見ると、生気を感じさせる強い輝きを持っているのに気付く。黒くつやつやした髪をオールバックに撫でつけ、陽にさらされて厚くなった皮膚に横皺が刻まれた広い額を露わにしていた。
「デイヴィスさん、さっきちょうど部屋の窓からアパートに帰ってくるのが見えたもんでね。実は故郷の福建省からいい白酒が届いたんだが、どうですか、一緒に飲みませんか」
小柄な体格に比して大きく筋張った手を口元でくいっと手酌して、目と口元をかすかに微笑ませる。
「ありがたいが、もう30分ほどでまた仕事に出るんでね。バーで飲んできた酒も抜かなきゃいかんし。お茶くらいならいただけるが」
王はそれを聞くとぱっと顔を明るくした。せかせかとした早口でしゃべり始める。
「そうですか! よかった! 実はうちの奥さんが、今アメリカの別な所にいる親戚の所に出かけてましてね。一人じゃ寂しいもんで、ちょっとでも相手してくれると助かりますよ」
そこまで言った所でふと口をつぐみ、ちらと俺の顔を上目遣いに覗くようにした。
「お仕事なら大丈夫ですか? アルコール分解薬なら家にありますが」
「いや、家にも置いてあるし問題ないよ。まず依頼人に会う格好に着替える。すぐ行くから待っててくれ」
俺が言うと王は、
「わかりました。先に茶を用意しておきますね」
軽く頭を下げて、右隣の部屋へ帰って行った。
俺は会話を聞きつけてすでに立ち上がっていたミリーに、「アルコール分解薬を用意しといてくれ」と言うと、右手の洋服箪笥が置かれた部屋に入った。洋服箪笥に掛けられたうち、黒のスーツに茶色のネクタイとワイシャツを選び出す。ここには白塗りの木の洋服箪笥の、横板が外された開口部に合わせて設置された洗濯機から自動で洗濯乾燥の上、圧迫されて形を整えられた衣服が、架け渡されたバーを通して伝わって並べられているので、いつでもピンと張った服を着て外に出ることが出来る。洗濯機と洋服箪笥はこれ一式しかないが、ミリーが家にいる間、自分の服と俺の服、さらに普段のカジュアルなのと形式的なのを選り分けて並べ直していてくれている。俺は着ていた紺のジャケットとTシャツ、黒のズボンを脱ぎ捨てると、パリッとしたYシャツとスーツの、硬質な心地よさでさっと体表を撫ですさる感覚を感じながら手早く着替えた。本当はシャワーぐらいは浴びたかったが、まあいいだろう。
俺は、コップに入った水と脱アルコール錠剤を2粒用意して待っていたミリーからそれらを受け取って錠剤を飲み下すと、再び家を出る夫を励ますように気遣う表情をしながらも、寂しそうな目を見せる妻に、「今日はこのまま仕事に出て、遅くなると思うから先に寝てて(C.M.Wも実際に機能上必要というわけではないが眠るのだ。特にセックスするってんならともかく、夜中も起きてられたんじゃこっちの神経が持たない)いいぞ」と言い置いて、再び靴を履いてアパートの部屋を出ると、隣の王の部屋に向かった。