トイ・ティンダロス
「え、ニク? なんでこんなところにいるのよ」
「ティンダロス様が、わたしをご主人様の元に召喚してくれたのです、ロクコ様」
部屋の奥でローブを着込んだ爺さんが口ひげをいじりつつ笑う。小さな犬耳メイドは俺に会えたのが嬉しいのか笑顔で涙を浮かべている。
「……」
「どうしましたかご主人様?」
俺はその愛らしい表情に感じた薄気味悪さに、がばっとニクを引き剥がした――いや。
「お前がトイ・ティンダロスか」
「あれぇ。バレるの早すぎませんか?」
「ふぇ? え、これ、ニクじゃないの?」
混乱するロクコ。「うふふ」と誰かさんそっくりな微笑みを浮かべながらくるりと回り、指を鳴らすトイ。ローブを着ていた老人はふわりと姿を消し、ローブだけが残って床に落ちた。
なにはともあれ、隠す気が無いようである。
「御明察、私がトイ・ティンダロスです。参考までに、どうしてお判りになられたのかお聞きしても? 見た目は完全に同じだと、レオナから伺いましたのに」
「……ニクの笑い方と違っていたからな」
「ややや! それは勉強不足で申し訳ありませんでした。笑い方の違いで気が付くとは、さぞ失敗作を愛でてくださっているようで。製作者のレオナに代わりましてお礼申し上げる所存でございます」
演技がかった所作で、恭しく頭を下げるトイ。張り付けたような笑顔で。
しかしレオナはいつの間にニクの姿を確認したのだろう……いや、あのレオナのことだし、いくらでも盗み見できるだろう。なんならオフトン教シスターを務めているサキュバスの目を借りる、なんてこともあっておかしくなかった。
「まぁ立ち話もなんですし、お座りください」
「うわぁ、見れば見るほどニクそっくりね……」
促されて、ソファーに座る俺とロクコ。スプリング式の柔らかなソファーは、腹が立つほどに座り心地が良い。パチンとトイが指を鳴らすと、間に置かれたテーブルにクッキーと紅茶が一瞬で現れた。ふわりと甘い花の香りがする。
礼儀の毒見だと言わんばかりに、トイはそのクッキーをひとつつまみ上げ、サクリと心地よい音を立てて齧る。もっとも全く信用することはできない。
「……何を企んでいる?」
「何を? とは?」
「しらばっくれるな。俺とロクコをこのダイード国に呼んだ理由だ」
「ああ――それでしたら、単なるプレゼントで御座います。お気に召しましたか?」
にこりと胡散臭い商人のような笑みを浮かべてトイが笑う。
「分かりませんか? なるべく日本の食品などを再現させてみたのですよ。現地人に記憶を植え付けて。このクッキーのように、私共が心を尽くした食べ物でも、私共が用意したものであれば口にされないでしょう?」
そしてもう一枚、クッキーを美味しそうに食べるトイ。……ロクコ、食べちゃダメだぞ? 分かってるよな?
「毒は一切入ってませんよ? 真偽判定の魔法や契約魔法で確認していただいても構いません」
「そんなもんは使えないぞ」
「ではこちらをどうぞ。【トリィティ】という契約魔法のスクロールです。ケーマ様でしたら文字が読めて、真贋もわかるでしょう?」
スクロールを広げてテーブルに置く。……『神級儀式魔法』、『契約・宣誓』……本物なのか。じっくり読んでみるが、魔法陣にも不審な点は見当たらない。もっとも、本物の『トリィティのスクロール』を見たことはないわけだけど。
「どうぞお使いください」
トイに促され、俺はスクロールを使う。……魔法陣が広がり、弾け、俺の中に入ってくる。……【トリィティ】の使い方がわかる。ちゃんと本物だったようだ。その効果はスクロールの中に書かれていた通り、宣誓だ。
「俺の質問に、正直に嘘をつかずに答えると誓うか?」
「今夜、この部屋を出るまでならいいですよ。答えられることなら何でも答えましょう」
お互いに同意を取れたところで【トリィティ】を発動させる。改めて嘘をつかず正直に答える事を誓わせ、トイが「今夜、この部屋を出るまで」と期間と範囲を言う。
「――以上、これは合意の取れた正当な契約である。創造神オーティに誓い、契約を履行する――【トリィティ】」
キンッ、と俺とトイの間に魔法的なパスが形成される。成功だ。
これで今夜、この部屋を出るまで、トイは嘘は吐かない。正直トイには何のメリットもないはずなのだが、何の対価を求めることも無く同意したのが不気味で仕方ないが。
「さて、それじゃあ早速質問させてもらおう。……このクッキーには何が入っている?」
「惚れ薬です。ああ、先程からケーマ様が凄く魅力的に見えて堪りません。本当はケーマ様とロクコ様に肉体的にも相思相愛になってもらおうと思って用意したのですが」
「……そうか」
嘘ではないようだ……食べるなよロクコ? 絶対だぞ? フリじゃないぞ?
「レオナは何を企んでいる?」
「さぁ? 私はケーマ様にプレゼントだとしか聞いてません。実際、『日本人』がデートするには持ってこいの環境なのですよ、この国は。ケーマ様も本日はデートを楽しまれたのでしょう? ねぇロクコ様。ケーマ様とのデートはいかがでした?」
「え? ま、まぁそうね、悪くなかったわ」
「答える必要はないぞロクコ」
俺はロクコが答えようとしていたのを止める。
「聞き方を変えよう……レオナは、何を企んでいると思う?」
「製作者であるレオナは、あれでいて心は乙女でありますから。デートスポットを作り、心躍る恋愛模様が見たいのでは?」
冗談めかして答えるトイ。「他には……」少し上へ目線をやり思案する。
「……ああ、強いて言うのであれば、白の女神への嫌がらせでしょうか? なので存分にデートを楽しまれると良いかと。観光名所もいくつか用意して御座いますので、パンフレットをどうぞ」
トイがパチンと指を鳴らすと、観光地に置いてあるようなパンフレットの小冊子がテーブルの上に現れた。……テーマパークかよ。
「そうそう。召喚に際して発覚が遅れるよう、入れ替わりでこちらが用意したダミーのヒトガタを送り付けております」
「は? なんだそりゃ」
「死ぬまで寝続けるだけの魂を持たない肉人形ですが、半年は持つでしょう。つまり、時間はしばらくあるということです」
……よくお考え下さい。その間であれば、あの白の女神の監視の心配が一切ないこの地で、好きなだけデートができるのです。無論、その先も――と囁くトイ。
「代わりにレオナが確実に監視してるってんだろ、ふざけんな覗き魔め」
「おやおや! ダンジョンマスターに覗き魔などと言われるとは、レオナも大概ですねぇ!」
ニクにはあり得ない大仰な反応に、どうにも違和感としか言えない奇妙な感覚が付きまとう。
「さて、他に聞きたいことは?」
「レオナはどこにいる」
「さあ? 玩具である私はただ遊ばれるのを粛々と待つのみ。関与する範囲ではありません。……私や失敗作についての質問でもいいのですよ? 並べて一糸まとわぬ姿を見比べたいというのでしたら、召喚びましょうか」
「いや、いい……」
やろうと思えば、不可能ではないということだろう。
不意に甘くねっとりした香りがふわりと鼻をくすぐり、心拍数が上がる……
「……お前やレオナは、俺達に危害を加える気はあるか?」
「ん? 無論、殺す気なんかはありませんよ。むしろ私共はケーマ様をとてもとても愛しているといっていいでしょう。2人の恋を手助けし、後押ししたい次第です。あ、それとダンジョンコアにも効く媚薬のお香を焚く程度は危害に含まれませんよねぇ?」
顎に人差し指を添えつつ小首をかしげて笑うトイ。ハッとさっきから静かだった隣を見るとロクコの目がぽやりと眠そうになり、頬が赤くなっていた。
ダンジョンコア『にも』、ということはダンジョンマスターの俺にも効くんだろう多分。……ヤバい。これ以上この部屋にいるのはまずそうだ。
「命を害するどころか増やすための手助けなら一切危害ではありませんね。幸いこの部屋にはベッドもありますので、どうぞお休みになって行かれては? 部屋を出たら契約も終了してしまいますもの。客間に置いてあるものと違いとても快適なベッドですよ」
「ふざけんなこのメスガキ」
「あはっ、最高の誉め言葉です!」
トイは、ニクに良く似た顔で、ニクとは似ても似つかぬ恍惚とした表情を浮かべる。そのくせ尻尾や耳は感情が一切ないかのようにぴくりともせず体の動きに合わせて揺れる程度。
……俺は、ロクコをつれて甘い香りの漂う部屋を後にした。
(書籍化作業というかもはや書下ろし作業中なのですが、今週は更新分を書いちゃったので更新お休みはやっぱり来週になるのではないかと思われます)





































