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清流の蛇姫  作者: 海山 紺
第三章
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第20話 隠れ咲く不滅の花

「上様」


 奇特な主従が修練に打ちこんでいた頃。武京のとある山地にひっそりと建てられた古寺で、荒れ果てた場にそぐわぬ凛とした呼声が冴えわたった。呼ばれた男はおもむろに視線を持ち上げる。


 右手には鮮明な赤が照り映える盃。左手には部下が献上した上等な酒。白く濁った液体を注いでは一気に飲み干し、男は粗雑に口元を拭った。

 木賊(とくさ)色の髪は後ろに撫でつけられ、彫の深い顔立ちを構成する三白眼からは抜き身の刃の如き鋭利な眼光と覇気が放たれている。


「何だ。紅葉(もみじ)


 浪人が纏うような着流しと羽織で身を包んでいる元将軍、花川嵐慶は重厚な低声を発した。歳は五十路を少し過ぎたくらいだが、その声音は明瞭で若々しい。細身でありながら鍛え抜かれた体躯も相まって周囲は必然的に畏敬の念を露わにする。しかし、嵐慶と相対している紅葉なる者だけは般若の面をつけているため表情が読めなかった。おまけに中性的かつ淡然とした低声ときたものだから、かの者の心境すら誰一人として掴めない。


「先ほど密偵から文が届きました。千萩と菊星が親兵局に捕縛され、どうやらいまは地下牢に収監されているようです」

「……捕縛、だと?」


 わずかな苛立ちを孕んだ地を這うような声音が周囲の空気を張りつめる。沈丁花の雑兵たちはごくりと唾を呑むが、紅葉を含めた幹部陣は依然として沈毅な立ち居振る舞いを崩さない。


「加えて、十四年前に焼き討ちにした宮原一門の生き残り――宮原伊織が親兵局の副長となっているようです」

「宮原……」


 凄まじい握力によって携えていた盃が変形し、中に入っていた酒が零れた。


「今では烏賀陽の姓を名乗り、養子として引き取られていたとか」

「輪皇の飼い烏か。どうやって生き延びて奴らの懐に入ったのかは知らんが、何にせよそいつも生かしちゃおけん。で、〈緑爪〉の所在はわかったのか」

「はい」

「どこにある?」

「皇宮の東青殿(とうせいでん)と呼ばれる宝物殿です。親兵や皇族の証言が一致していたことを踏まえて偵察に向かった際、確かに〈緑爪〉が収められていたそうで」

「そうか」


 わずかに残った最後の一杯を飲み下し、嵐慶は手にしていた酒瓶をまじまじと見つめながら言う。


「ふん、なかなかにうまい酒だった。褒美としてあいつらを牢から出してやるか。紅葉、迎えに行ってやれ」

「御意」

「ああ、あと桜夜の弟――蓮夜って言ったか。そいつも連れてこい」


 桜夜の生存、そして完全変化ができる弟の存在は親兵局に潜りこんでいる幹部から聞き及んでいた。  

 柳夜の暴乱に紛れて逃げ果せ、あまつさえ親子が貴重な龍男を隠し通していたことを耳にした時には憤激こそしたものの、桜夜と寧子の憶測に反して今さら捕縛して再び支配下におこうとは思わなかった。


「弟だけで良いのですか」

「弟を餌にすればあいつは四肢が引きちぎれてでもこっちに来る。あいつに花川寺で待っていると伝えておけ。この俺が直々に断罪してやる」


 残忍かつ歪んだ笑みが雑兵たちを秘かに震え上がらせる。

 紅葉は相変わらず起伏のない声音で「御意」と端的に返した。


桐南(きりな)

「何だい、上様」


 嵐慶を取り巻く幹部たちのなかから、小柄な女性がひょっこりと顔をのぞかせた。

 肩まで伸ばされた少し癖のある朱華の髪に、猫のように吊り上がったつぶらな瞳。その明眸は細い(チェーン)がついた丸眼鏡で覆われていた。また他の幹部たちが身にまとっている着物や袴、御庭番時代の黒装束とは異なり、作務衣を着用している。国家転覆を目論む賊徒というより、職人の形容がしっくりくる。


「お前も紅葉と一緒に行って、〈緑爪〉を取り返してこい」

「えっ、僕がかい⁉」


 自身を指さして素っ頓狂な声をあげたのは鳳城桐南。沈丁花幹部の一人にして、序列第三位の称号をもつ鍛冶師である。玄星石の武器化という偉業を成し遂げたのは、幹部のなかで最も矮躯で幼子と勘違いされやすい彼女だった。


「不満か?」


 ぎろりと睥睨を寄越す嵐慶に「いやいやいや! そうじゃなくて」と桐南は仰々しく両手を左右に振る。


「僕は今まで遠征に出たことないし、急に指名されて驚いちゃっただけだよ。でも、上様の新しい武器がまだ完成していなくて、僕が留守にするぶん完成が遅れちゃうけどいいの?」

「〈緑爪〉がある。それはもう必要ない」

「ええ⁉ それはちょっとあんまりじゃないかい⁉ せっかく渾身の一振りができそうなのに。ていうか、上様のほうからもっと出来の良い刀を寄越せって言ってきたんじゃないか! たとえ上様といえど刀を粗雑に扱うのは許さないよ!」


 桐南は主君を遠慮なく指さして反駁した。

 言動こそ幼稚なものの、決して低位ではない立場にある桐南は嵐慶に対して忌憚ない意見を貫き通す。相手が嵐慶に限らずとも、彼女は愛してやまない武器に関することであれば善悪を問わずどんな些細なことでも見逃さない。


「僕が作った刀を甘く見ないでほしいね! そこらへんの鉄塊とはわけが違うんだから! それこそ神器にも引けをとらないほどの硬度と鋭さを――」

「ああもう、うるせえな。わかったわかった。お前が作った刀はちゃんと貰ってやる。その代わり、鈍らだったら容赦しないからな。お前の目の前で刀を折る」

「そんなことにはならないから安心してよ。何せ僕は国一番――いや、世界一の鍛冶師なんだから!」


 桐南は胸を叩いて豪語するなり、紅葉の隣に移動して嵐慶と向き合う。


「じゃ、僕の窯の見張りは頼んだよ。工房内は高温ですごく暑いからね。交代で窯の管理をよろしく!」

「わかったから早く行け」

「はーい! 行こ、紅葉」


 追い払うように嵐慶が右手を振るも、天真爛漫な鍛冶師は雑なあしらいをまったく意に介さず隣の同僚に声をかけた。紅葉は静かに首肯して嵐慶に一礼し、ずかずかと先を行く桐南の背を追う。


「やっと、神の力を掌握できる」


 嵐慶は屈強な拳を握りしめ、欣快を滲ませて言った。


〈緑爪〉はかつて初代将軍――花川吉久が所有していた神器であり、〈木〉を司る神、青龍によって生み出された。しかし、二百年ほど前に吉久が幕府を開いて政権が輪皇から将軍家に譲渡されると、その引き換えとして〈緑爪〉は皇宮に献納された。輪皇の権威を失墜させず、あくまで皇家の守護および治政代行という立場であることを自重させるためだった。


 それゆえ花川家の先祖に代々受け継がれてきた伝家の宝刀は輪皇の管理下におかれ、二百年もの間、花川家は皇家を凋落させる脅威とならずに国の繁栄を築いてきた。だが、散花と同時に再び栄華を咲かせる切り札として、神刀を我が物にせんと画策していた。


「〈緑爪〉も主恋しさに痺れを切らしていることだろうよ」


 早くこの手で抱いてやりたいものだ、と嵐慶は立ち上がって観音開きの扉へと歩を進めた。

沈丁花の本拠地であるこの古寺の近くには天然の温泉があり、工房の火番を幹部たちに任せ、古寺を去る。


 青々と茂る木叢(こむら)。その深緑の天蓋からは春の木漏れ日が差しこみ、嵐慶がゆく林道を照らしている。

 吹き撫でるそよ風に着物をはためかせながら、嵐慶は葉擦れの囁きに紛れて呟いた。


「恩を仇で返すことしかできない生成は要らん」


 龍蛇の呪いは俺が終わりにしてやる。

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