地味眼鏡、退職します。
セネクア王国王都に存在する冒険者ギルドと言えば、大陸どころか全世界を見渡しても屈指の規模を誇るそれであり、もはや、この国に存在するもう一つの王城であると言って過言ではない。
荘厳にして華美な建物はトラバーチン石材によって形作られており、太陽の光を受けて、黄金の輝きを放っているのだ。
これだけの規模を誇る冒険者ギルドであるから、在籍している冒険者たちの質も量も他が及ぶところではない。
そしてそれは、とりもなおさず、彼ら冒険者の活動を支える各施設の規模と質も、他の追随を許さぬということであった。
とりわけ、力を入れているのが――食。
「さあ、気合い入れていくわよ!」
「何しろ、“戦神”ニウ様のご戦勝祝いなんだから!」
「集まった冒険者たちに、飢えも乾きも決して感じさせてはいけないわ!」
百人からの人間が同時に働ける大厨房内で、料理長を務める中年女の声が響き渡る。
「フライドチキンとポテト! 次々と揚げていくよ!」
「会場から伝言です!
ローストビーフ、おかわりを急いで欲しいと!」
「ミートローフ焼き上がったわ!
そっちを宣伝して、冒険者様たちの意識を反らして!」
それにしても、殺気立った声が飛び交う大厨房内で印象的なのは、空気そのものがねっとりと粘性を帯びているかのような、油と脂の匂いであろう。
肉、肉、肉。
油、油、油。
ローストビーフやミートローフに、スペアリブ。
フライドチキンにポテト、あるいはフィッシュアンドチップス。
まるで、国中の肉と油がここに集められているかのようなのだ。
「……うぷ」
極東の島国――ヤーパンから留学してきたミドリとしては、この匂いだけで胸焼けを感じざるを得ない。
「ちょっと地味眼鏡! タラタラやってるんじゃないわよ!」
「分かってんの!?
今日はニウ様が西の波動竜を討ち取ってきた祝賀会なのよ!」
「今まで手を付けられなかった西部大湿地帯を開拓できるってんで、うちの国だけじゃなく、他国の有力冒険者たちも大勢集まってるんだから!」
先輩たち――いずれも、自分より頭一つは身長が高い女性たちだ――に次々と怒鳴られるが、これは体質的な問題なので、いかんともしがたい。
地味眼鏡が生まれ育ったヤーパンでは、こんなに多量の肉と油に囲まれることなど、想像すらできなかったのだ。
「ああもう! 厨房にいられたって邪魔ね!」
「地味眼鏡! あんたは会場の方で給仕や片付けをやってきな!」
「他の人たちを邪魔するんじゃないよ!」
「……分かりました」
他のギルド職員たちにそう言われ、トレー片手に会場の方へと向かう。
その足をピタリと止めたのは、続く言葉が聞こえたから。
「でも、こいつ行かせて大丈夫?
チビだし、踏み潰されちゃうんじゃない?」
「言えてる。
それか、子供と間違われて追い出されちゃうかも」
「子供ならまだいいわよ。
あんまり胸がないから、男の子だと思われるんじゃない?」
……かつてないほどの忙しさだというのに、悪口を叩く余裕はあるというわけか。
うんざりとした気分を溜め息と共に吐き出せたのは、身長や胸の大きさと反比例して、ミドリが彼女たち以上の大人であるからだろう。
故郷ではおかっぱ、こちらではショートボブと呼ばれる形に切り揃えた黒髪を、軽く撫でる。
それから、恩師のプレゼントである眼鏡を軽くいじって、心の切り替え完了。
“戦神”ニウの祝勝会が開かれている大広間へと向かった。
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あの大厨房で作られた料理が並べられているわけだから当然だが、シャンデリアと魔法の光で照らされた会場内に漂うのも、やはり濃密な肉と油脂の匂いである。
加えて感じられるのが――酒精の香り。
今まで人類未踏の地だった西部地方が切り開かれた今日は、超無礼講の飲み放題。
招待された冒険者たちは、ギルドが用意した酒を飲み放題なのであった。
「「「カンパーイ!」」」
「いや、それにしてもめでたい!」
「これで、新しい冒険の種へありつけるってもんだ!」
「Sランク冒険者万歳! “戦神”ニウに栄光あれ!」
立食形式を取っている会場内のあちこちで、冒険者たちがそのような言葉を交わす。
そんな彼らに酒と料理を提供するため、ギルドの職員たちは忙しく働き回っていたが、冒険者たちの熱狂が少し移っているのだろう。
時たま、無駄口……あるいは、職務を円滑に遂行するための雑談が交わされる。
「それにしても、“戦神”ニウ様は、今日も何もお食べにならないのね」
「どころか、兜も外さないまま。
一体、どんな顔をされているのかしら?」
「あれだけの長身なんだもの。
きっと、精悍な殿方に違いないわ」
彼女らがもっぱら話題にしているのが、Sランク冒険者――“戦神”ニウ。
彼は、会場の上座に用意された豪奢な椅子に腰かけ、王国の要人たちや諸国からの招待客と歓談に及んでいた。
まるで玉座に腰かけた王のごとき態度であるが、西の波動竜討伐というのはそれほどの偉業。
かつて西方に存在したという古代文明を滅ぼして以来、豊かな西部をずっと支配してきたかの竜は、神話の時代存在したという魔王のように人類種進出を阻んできたのだ。
それを討ち取ったということは、土地が肥えた西部を開拓することも、かの地に眠る古代遺跡群を探索することも自由ということ。
まず間違いなく、史書へ名を残すに違いない。
ただし、残るのは名前だけで、容姿に関する記録は存在しないかもしれないが。
何故ならば、特等席に座りし本日の主役は、全身を青色の完全鎧で包み込み、かつ、雄牛のごとき角が飾られた兜の面頬も下ろしているのである。
今日だけではない。
“戦神”ニウという超一級の冒険者は、いかなる時でもこうであった。
一体、兜の下にはどのような顔が隠されているのか?
そもそも、どうして顔を隠しているのか?
誰もその真実は知らない。
ブルーブデン鋼によって作られた芸術品のごとき鎧と声、何よりその卓越した剣術のみが、彼を彼たらしめているのである。
「私が作ったフライドポテト、食べてくれないかなー」
「それより、何も飲まないのかしら?
あたし、あの方の杯にお酒を注ぎたーい」
「というか、あの方が食事されてるところ、見たことがないわ。
ギルド内でご宿泊されてるはずなのに、活動中以外は姿も見ないし」
「本当に、謎の多いお方……」
空のまま放置されている皿やグラスを片付けている間に、そんな同僚たちの話し声が聞こえてきた。
それで、ミドリが思うのはこのこと。
(案外、わたしと同じで、油っぽいものや肉肉しい料理が駄目なだけだったりして)
目論見通り、この国へ来て様々なことを学べたが、味覚の違いだけはいかんともしがたい。
ひょっとしたら、“戦神”ニウという天上人もまた、自分と同じ悩みを抱えた人間なのではないかと思えたのである。
(ま、そんなの、わたしたちくらいのものか)
すぐにつまらぬ考えを振り払い、唯一、この地で共感できる味覚の持ち主を思い浮かべる。
さてさて、今日は彼に、何を食べさせてやろうか。
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外観は城のごときセネクア王都冒険者ギルドであるが、内部の実態は恐ろしく豪華な宿と言って相違ない。
所属する冒険者たちの健康を維持するため……。
あるいは、住居という必要不可欠な要素で縛り付けることにより、本来は自由な身である冒険者をギルドへ抱き込んでいるのだ。
「ラミンさん、失礼します。
本日のお夕食をお持ちしました」
ミドリが膳を運び込んだのは、そのようにして抱き込まれた冒険者たちが住まう一角であった。
といっても、“戦神”ニウのようなSランクが住まう部屋とは比べ物にならない。
Dランク冒険者が暮らすウサギ小屋めいた部屋の連なりであったが。
「ありがとうございます。
……わあ、今日も美味しそうですね」
部屋のドアを開け、運ばれた膳に目を輝かせたのは、なるほどパッとしない外見の青年だ。
身長こそ高いのだが、ひどく痩せぎすで迫力にも胆力にも欠けており……。
せっかく綺麗な金髪は、しかし、手入れが悪いせいかボサボサの極みを尽くしている。
顔も整ってはいると思うのだが、覇気のはの字もないのと、青い目の下にできた大きなクマで台無しだった。
この青年冒険者こそラミン。
ミドリにとっては、唯一、この地で味覚的趣向を同じとする同志だ。
本日、彼に用意した夕食は焼き塩鮭と、若ほうれん草と豆のサラダ(ホースラディッシュドレッシング)。
それから、炊きたての白米と、干しトマトのスープであった。
この地で手に入る食材を使い、可能な限り故郷ヤーパン形式に近付けた定食だ。
もし、他の脂ぎった冒険者たちが見たなら「なんて貧相な食事なんだ」と眉根をひそめるに違いない。
でも、これはミドリにとって、舌と……何より体に合う料理。
そして、目の前にいるラミンにとっても。
「うん……彩りも豊かで、量は少ないのに食べ応えがありそう。
何よりやっぱり、このギルドで通常出してる料理と違って、脂っこさがないのが嬉しいです」
ラミンが、大きなクマも消え失せそうなほどの輝きを瞳に宿す。
何やら大げさというか、説明的な言葉遣いではあるが、これは彼固有の癖みたいなものなので、もう慣れた。
「そんな大げさな。
こちらで暮らしている方には、貧相なだけでしょう?」
だから、流れるようにこう答える。
とはいえ、ミドリがせっかく調理したものをこのように評するのは、実のところ初めてであった。
それには、ある理由があり……。
ミドリは今日、いつも通り食事を届けるついでに、それを告げに来たのである。
「貧相だなんて、とんでもない。
僕、小さい頃から周囲に期待されて育って、それで皆こぞって大きく強くなれって出してくるのが、焼いた肉の固まりとか揚げた芋とかで……。
もちろん、それで強くなった先達がいるっていうのは、理解してるんです。
でも、僕はそれじゃ胃もたれして、普通に生活するのも億劫で……体質に合ってないんだ。
ミドリさんのご飯は、僕にとっては一番のご馳走です」
そういえば、ラミンというこの青年冒険者は、一体どのような活動で生計を立てているのだろうか?
考えてもみれば、結構な付き合いになるのに、一度として依頼の受け付けなどをしていない。
ただ、一つだけ確かなのは、彼が半ば引きこもりのような生活を送っており、他の冒険者ともギルド職員とも、関わりが薄いということ。
つまり、面と向かっての会話を苦手としているわけで、そんな彼が、勇気を出して真っ直ぐに告げてくれた言葉は、ミドリにとって温かいものだった。
故に、言わねばならない。
誠意に応えられるのは、誠意だけなのだ。
「……やっぱり、言わないとですね」
「……ミドリさん?」
自分の態度に不審を覚えたのだろう。
膳を両手にしたラミンが、首をかしげる。
「わたし、実は近々、退職するんです」
「――ええっ!?」
そんな彼に予定している退職を告げると、大きく目を見開かれた。
「ど、どど、どうしてですか!?
ぼ、僕が図々しくお願いしすぎちゃってました!?
す、すいません! そんなつもりじゃなかったんです!
僕みたいなミジンコが生まれてきてしまって申し訳ありません……!」
「いえいえ、そういうわけじゃないんです。
ただ、完全にこちらの都合で……」
慌てて両手をパタパタさせる。
ミジンコて……。
「わたし、極東の田舎から出てきた人間なんですけど……ヤーパンって聞いたことあります?」
「少しだけ。
近年になって国交ができたとか」
「そう、それです。
そのヤーパンで、両親が遺した宿屋を再開するのが、わたしの目標なんです。
ただ、お金は両親が残してくれていたけど、生き残るためには、強みが必要だと思って……。
それで、世界一豪華な宿でもあるこの冒険者ギルドで働いて、勉強してたんです」
「たった一人で、修行しに来てたってことですか?」
「そう言われると、なんだかすごいことしたような気になります」
「実際、すごいですよ!
……あ、でも、それで」
膳を落としそうなほど興奮した彼が、ふと意気を抜く。
この流れで続く言葉を告げるのは胸が苦しかったが、もはや言ったも同然だった。
「はい。
予定していた期間になりましたし、そろそろ故郷へ帰って、叔父に預けていた宿を引き継がないといけません」
「そう……ですか」
微妙な沈黙が、二人の間に流れる。
「……がんばってください!
応援しています!」
「……はい!」
それでも、沈黙の果てに彼はこう言ってくれて。
唯一の友人に背中を押してもらった地味眼鏡は、後日、心残りなく退職し故郷への旅路についたのであった。
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――水運の都。
ヤーパンの王都フソウを評するのに、これほど相応しい言葉もない。
海に面し、かつ、街中の至る所を大小様々な水路が行き交っていて、牛馬よりも、舟の行き来の方が盛んなのだ。
建築物の特徴は、木と紙を張り合わせて造っていること。
そんな街の片隅に存在し、旅人相手の商売をしているのが宿屋『かめ吉』。
経営していた夫婦が事故により没して以来、数年間休業していた宿である。
最近、たくましくも海外へ修行に出ていた跡継ぎ娘が営業再開したこの宿に、その日、珍客が訪れていた。
何が珍しいのか?
まず、顔を見ることができぬ。
全身を覆うのは、真っ青な西洋風の鎧。
見るからに強力な魔力を帯びているそれは、芸術品のごとき豪奢な造りをしていた。
腰にはやはり見事な造りの長剣を差して、背中には、不死鳥の紋が入った大盾を背負っている。
その上で、雄牛のような一対の角が生えた兜の面頬を下ろしているのだ。
この国において、あまりといえばあまりに異質な存在……。
セネクア王国の冒険者ギルドで働いていた時と異なり、今は母が遺した浅葱色の着物姿なミドリは、彼が何者かを知っていた。
「“戦神”ニウ……様?」
そうなのである。
帳台越しに見上げた人物は、世界最大の冒険者ギルドにおいて最強を誇るSランク勇者なのであった。
「宿泊させてください。
期間は……生涯」
そんな彼が、ずしりという音と共に金貨袋を台に置く。
それから、面頬をカシャリと上げてみせたのだ。
果たして、誰も見たことがない兜の奥に隠された真実は……。
「ラミン……さん?」
「来ちゃいました」
彼――ラミンは、相変わらずクマの浮かんだ顔ではにかんだ。
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